HOME > わたしたちの声 > 経験者の視点で語り合いました >あの(この)苦しみを、言葉にしてみよう ~in 金沢(H21.7月)

 

平成21年7月、「あの(この)苦しみを、言葉にしてみよう」というテーマで、金沢、大阪、東京にてあかり トーク(座談会)を開催しました。テーマは同じでも、参加メンバーによって語られる内容が変化したり、逆に、とても似通った共通点があったり…。同じ摂食 障害でもここまで感じ方が違うんだなあと発見したり、こういうところ、似ているなあと共感したり☆
いろんな方の体験からあなたにとってのヒントが見つかることを祈りつつ…まずは、金沢での模様をご紹介します。

摂食障害、苦しいよ、大変だよ!
だけど、どんなに大変なのか、人にうまく伝えることがなかなかできなくて、それがまた、苦しかったりして…。
だから、今回のあかりトーク in 金沢は、『どんなに苦しかったか』『誰に伝えたかったか』を話し合いながら、ひとに伝える言葉をみつけていけたら…そんな思いを込めて開催されました。
途中、出入りもありつつ、いろいろと奥深い話し合いができました。

(2009/9/15)

プロフィール

Yui : 私は摂食障害を含む依存症は、11年くらい前にある日突然止んで、もう過去の記憶になってしまっていて、生々しい感じはそんなにもう覚えてないんですが、 中学校2年から3年に上がるときくらいから28歳までずっとでした。いろんなことをして、やんちゃな生活をしていたのでニキビ跡もいっぱいあります(笑)

マリ : マリといいます。今19歳です。摂食障害はまだ全然回復はしていなくて、高校2年くらいから、自分では気づいてなかったんだけど、だんだんと食べられなくなっていきました。
高校卒業後、専門学校に入学まではしたんですけど、そこで周りとの差を感じたというか、周りが大人に見えて自分だけが幼い感じがして、体のこともあったので病院に行ったほうがいいということになり、診断の結果、急遽入院となりました。
地元の病院へ入院して、食事も食べれてはいたのですが、病院の先生と合わなくて、2ヶ月くらいで出てしまいました。今は家に居て、あかりPJとつながったり、回復した人からのメッセージをもらったり、自助グループや病院を探したりしています。

Bちゃん : Bちゃんです。今37歳なんですけど、18歳から2年前までずっと過食嘔吐をしていました。
母親との関係とかもあったんだけど、大学に進んで一人暮らしをして、そのとき多分寂しかったり、人間関係でつまずきを感じたりして、痩せたら何かが変わるというようなこともあって食べ吐きをし始めたんですね。
最初はちょっと食べてちょっと吐くって感じだったんだけど、本当にどんどん酷くなって、就職してからも、会社でも上司が居なくなると人のいない応接室のトイレとかでも吐いたりして、なんで生きてるのか、なんで食べて吐いてるのか分からない感じでした。
その頃、実家にも帰ってたんだけど、実の親は見て見ぬふりをしているような感じでした。 自助グループや病院にいろいろ行ったんだけど、自助グループには馴染めなくて、病院の先生も薬を飲むことも合わなかったんですね。
そうこうしているうちに結婚したんだけど、旦那さんは過食嘔吐とか分かってなくて、子どもを一人産んだ後も、子どもを泣かせてしまっても罪悪感で吐いたり してました。それで自助グループにつながって、そこでもすぐに治ったわけじゃないんだけど、何となく吐く回数が減っていって、過食嘔吐をやめたいやめたい という気持ちもなくなっていって、だんだんに治っていって、今は2年半ぐらい吐いてない状況です。

ちいちゃん : ちいちゃんです。過食のみで、高校1年生のときからダイエットがきっかけで始まりました。ダイエットすると必ず反動で過食になって、それが止まらなくなっていきました。
卒業して働きだしてからもずっと過食だったんだけど、妊娠をきっかけにつわりで食べれなくなって、食べれない楽さを実感として感じられたのが良かったというか、そのまま食べなくてもいられる感じが続いていて2年になります。
多分、あかりPJに関わっていることも大きいし、今まで、過食や生きづらさからどうやったら解放されるかというとこばかり探して探して、本を読むとかワー クショップとか自助グループとかそういうちょっとした行動の積み重ねが、今食べなくてもいられる状態になれたんだと思います。
今は、過食はないけど、子育てですごくつまずいていて、私がキレたり、娘がすごい憎くなったりして、自分の中にまだいっぱい取り組まなきゃいけないところがたくさんあるんだろうな、というのが今の私です。

いづ : 摂食障害は…、青春時代すべてを持っていかれたなって感じ。中学2年ぐらいのときに、本当にわけがわからないんだけど、とにかく食べるのが止まらないわけ。
そんなことしたくないのに、それなのに止められない、「これは何なんだろう」って…。
親に言っても「成長期なんだから当たり前だよ」と言われて、友達に相談してみても、「それは明らかに食べ過ぎだよ」とか言われて、一人で、どうしたらいいんやろうって苦しみました。
それから15年間くらい。途中で過食から過食嘔吐になりました。
今は過食嘔吐がなくなって2年半ぐらい経つんですけど、今振り返ってみたら、もともと過食になる前から辛かった。
ものごころついたときから辛かったっていうか…。生まれたときからいろんな辛さが蓄積されてきていた。自分を責めてお尻をたたいたり、完璧にしなきゃいけ ないとかいう、生きていくために身につけた術が辛さの源だったんだけれど、だんだんと、それは楽な考え方じゃない、そういうことに気づくんですね。
苦しい生き方を身につけざるを得なかったのは、私は家庭環境の影響もあると思ってて、本当に過酷な家の中で生き延びてきたなと思う。だけど、親が悪い訳で は決してなくて、親もその親からそういう生き方を受け継いできたんだろうし、戦争があったり世の中のいろんな枠組みがあったりとかで生きづらいところを生 きてきた歴史が受け継がれているのかなって…。誰が悪いとか人の問題じゃなくて、そういう苦しさが生まれる価値観というか、風潮のようなものがあるんじゃ ないかと思い始めました。
そこを何とか変えようとかは思わないけど、私みたいな感じの人間でも、のびのび生きられるような風潮に、少なくとも風潮の枠は広げられるのではと今は思っていて、少しずつでもそこに取組んで行けたらなと思っています。

いずみさん : (後ほど、途中参加)

 

 

摂食障害、どんなに苦しくて大変(だった)?

いづ:座談会の内容ですが、今回は、「どんなに苦しくて大変か、苦しくて大変だったか」をうまい言葉をみんなで探せたらと思います。この苦しさとか、誰に助けてほしいとか、誰に伝えたかったかを、より伝わりやすいような言葉や伝える方法を、話し合いながら見つけていければと思います。それから、「自分や他の人にどういうメッセージを発していたと思うか」ということを話し合っていければと思います。

ちいちゃん:一言では言えないよね。いろんな苦しさが絡み合ってると思うんだけど、私の場合、大きく二通りに。
一つは、自分の中に破壊的な感じの怒りがあって、何かものを壊したりしないといられない衝動とか、殴りたいとか、それを出してしまいたいという怒りの衝動があって、それと過食と何らかの関係性があると思う。
もう一つは、もともと自己否定感があって、自分が恥ずかしい人間やと思っていて、人に自分の存在を見られるのも恥ずかしい。それが、過食によって太ることでさらに自己否定感が強まって、自分は最低の極限て感じ。
「最低すぎて生きてちゃいけない存在」、言葉では思ってたわけじゃないけど、感覚としてそういう苦しさがあった。
それから、誰にもわかってもらえない辛さもあったな。それも恥ずかしいと思ってたから友達にも言えないし。

いづ:恥ずかしいというのと、怒りとが過食をよんだ。太ったら太るだけもっともっと恥ずかしいみたいな。

ちいちゃん:そう、変な悪循環が。

Bちゃん:誰かへのメッセージを伝えたかったのかといわれたら、私は本当に誰にも知られたくなかった。
でも今冷静に考えるとやっぱり母親なのかなと。
抵抗しているけど、本当は母親に抱きしめて「大丈夫だよ」とか「好きだよ」とか、言ってほしかったのかなとか、今なら思う。
当時は、私はちいちゃんとは逆で、人に見られたかったというか、注目されたかった。
太ったら、周囲の人をがっかりさせるとか、評価されなくなると思っていた。
親からも自分は評価されていなかったと思っていたので、自分では評価を求めていたのかなと。当時、500グラムとか増えたら「死んだほうがマシだ、どうしよう」っていう感じで。
だけど、見られたいんだけど、例えばみんなが集まった場所とかで、人に評価されなかったと思ったら、もう食べたくて。
そこで、私も怒りみたいなものがすごく湧くんだよね。
評価されなかったというのも勝手に思っていることなんだけど、「ああもうだめだ失敗した」と思ったら、すごく怒りが湧いて、食べ物を詰め込んで、それも吐くために食べるから、牛乳とか生クリームとか買い込んでこなきゃならなくて、一秒もじっとしていられなくて、仕事を抜けてスーパーに行きたいとか、何分以内に吐かなきゃみたいなことで、人生が終わっちゃって。
ただ、私は当時は吐いたらすごくエネルギーが出て、吐き終わったら体重計に乗ってすっきり吐けてたら、達成感が得られたんですよね。これはなかったことになったみたいな気持ちがあって。
でも、だんだん気持ちの落ち込みとかアップダウンが自分でもコントロールできないくらい酷くなっていって、生活がそれで振り回されちゃう。
家族にはアピールしていたと思うんだけど、友達とか周りの人には絶対に知られたくなくて、知られたら死ぬぐらいの気持ちでいました。
でも自助グループも探して東京に行ったりもしていたので、私の中で、自分のいる世界がまったく二つにわかれていた。
外側の自分は、綺麗に食べて、もらった高級なクッキーをちょっとだけ食べてとっておける自分みたいなのが理想で、だけど、実際は食べ尽くしちゃうから、違うと思ったら、すごい馬鹿食いして吐くみたいな。
一口二口食べて紅茶を飲んで置いておくというちょっとした理想が守れなかっただけで、全部崩れちゃったというか、そういう意味で自分に過度な要求とか期待をしていたんだなって思う。
いづさんの言うように、自分の生まれた家族の中でも、つねにお母さんが求めるような子でいないと生きられないと思っていたので、ずっと自分に無理を強いて、「このままでもいいよ」とか、「だらだらでもいいよ」とか思ったことがないまま生きてきてたんですよね。今でも実家に帰るとそうなんだけど。
でも、過食嘔吐が自分の人生の中で終わると思った事はなかったけど、今症状が出なくて2年ほど経っているんだよね。

いづ:怒りってやっぱりあるね。

Bちゃん:怒りがすごくあった。怒りが自分のエネルギーになってるなって思った。
ちょっとしたことで傷ついたりしたんだけど、誰かに言われた心ないことで、自分に向けられたわけじゃないけど、裏読みして。そのときに、見返してやろうみたいな気持ちになって、それが体重にも繋がるっていうか。
細くもなって、もっとすごいことをして見返してやろうみたいな気持ちが強かったです。

マリちゃん:私は、自分が心が汚れた人みたいな気持ちなのかなって。
摂食障害の回復施設に行ったんですけど、そんな気持ちにさせられました。
そこに入って一年くらいしたらみんな回復して卒業すると聞いて、お母さんと一緒に見学したんです。そこは、みんな歌ったり共同作業をして気持ちを育てていくみたいなところでした。
私も病気だってことがわかっているから、何とかすがる思いで治りたいと思って飛び込んだんですが、そこにいる人たちに受け入れてもらえなかった。
私は拒食で、ここでは拒食は治りにくいと。拒食は自分を捨てれないからって。
確かに、自分は「こうでありたい」みたいな願望が強くて、優しい気持ちにはなれてない。
そこにいる子たちを見てたら、純粋で歌を歌っていたりとかする。それを見たときに私はやっぱり違うと確かに思った。でもそれを他の人に言われてしまうと、不安になったし、治らないのかなって思ってしまった。
「私って欲のかたまりみたいだからダメなのかな」というふうに思って。
でもなかなかそういう自分を崩せないっていうか、「こうなりたい」とか「これしたい」とか希望ばっかりが膨らんでしまう。
実際にそれができる自信があるかっていうとまったくなくて、私はこのままどうなっていくのかなっていう、絶望みたいのが見えていたりするし、そういうので戸惑ってしまって、施設で言われたその言葉を今でも引きずってしまっているのが実際の状況です。
治るとか治らないとかにばっかり囚われてしまう気がするし、「自分って何なんだろうな」って思う。自分にこれっていうものがなくて、食べるとか食べないとか食べたいとかいう気持ちに翻弄されて一日終わってしまって。
「何なのかな」、「何でこんな変なことばっかり考えてしまってるんだろう」、「こうじゃなかったはず」って思う。普通は多分こうじゃないんだろうなって思うけど、私には今とりあえずこういう生き方しかできなくて、兆しとか希望とか、どこにそういうものがあるのかもわからない。病院も探すけど入ってみないとわからないし、人にも会ってみないとわからないし、それでダメだったらまた自分のことを二重にも三重にもダメだししてしまいそうで、自分探しなんだけど、自分を探すのも怖い。
でも、このままでは嫌で、どうしても治りたいなって思いもあります。

いづ:こうなりたい自分とか夢とか希望とか、それを感じることがダメなことと感じる?

マリちゃん:今はそこまででもなくなってきたんですけど、当時はとても感じていました。
どうしても仲間に入りたくて、物を作ったり手紙を書いたりもした。
それでもやっぱり自分を持ってるから、「深く傷ついた子は、自分のためじゃなくて、他の人を助けることでしか生きられない」とか言われて、言われたというか私はそういうふうに捉えて。私の抱えている辛さは、辛さじゃなくて、本当はこんなことで辛いとか思っていたけど、それもダメなのかなって。私よりもっと辛い思いをしている人とかがいるから、私がそんなふうに「やりたい」とか「行きたい」とかいろいろ憧れたり夢見がちだけど、結局そういうことを言っていちゃダメなのかなと思ったりしたのも、そういう体験があるっていうか、二つで揺れてしまっているというか。
信じたい道はあるけど、それを信じちゃダメなのかなというふうに引っ張られてしまう。
自分のためばっかりなのかな、それじゃダメなのかなとか。
人のためにっていうとそれは素敵なことだと思うし、今の私からしたら尊いことで素晴らしいことなんだけど、今は自分のことでいっぱいいっぱいで、自分にそういう力があるかっていうと、そういう力は信じれなくて、「自分をとりあえず何とか」って思うところが今の実際かなって思います。

いづ:今マリちゃんの話を聞いて、何となく思い出したのが、本当にあり得ないぐらい辛いのに、「その辛さは辛いと思ってダメ」って思っていたこと。
みんな一生懸命やっていて、みんな辛いものを抱えているのに、自分だけこんな弱音はいたり、食べて吐いて、なんて私はダメなんだろうと思っていた。
でも、辛いものは辛かったし、それを辛いと思うこと自体がダメと思ってたことがまた辛かったというか・・・今そんなこと思った。
唯さんはどうですか?

Yui:辛いこと忘れちゃったんですけど、何だろう、何が一番辛かったかな。
ていうか、当時はそれが一番と思ってなかったけど、自分が統合されていない感じが辛かったのかも。
親からしつけを受けたり、学校で道徳教育みたいのを受けたり、先生から「これはいいこと、これは悪いこと」とか言われて誰でも育つじゃないですか。
そういう刷り込みで自分の中に入っている考え方とかこうすべきだということと、自分が本当にしたいとか感じたいとか「私はこうでありたい」と思う方向性がばらばらだった。と思うのね。
空き缶を投げ捨てて歩いている人とか、車の窓からたばこの吸殻を捨てて走っていくのを見ると、それこそすごいムカつくわけですよ。あんなことして「キー」みたいな。
5秒に一回くらい怒っていた。不正なことをしている人を自分で見つけるかのようにしてしょっちゅう怒っていた。
でも自分が正義感に満ち満ちていて、すがすがしい生き方をしているかというと全然そうじゃなくて、ずるいこといっぱい考えたりしたりしているわけ。
自分がそういうふうに統合されていない感じが、多分自分で自分をもてあましていたというか、どうしたらいいのかわからなかったんだろうなと今になると思う。
自分のことを責めちゃったり、「こんなんじゃダメや」って思っちゃうという話もみんなからも出たけど、「自分はこんなことばかり考えて」とか、「こんな人間なのに」とか思ったその舌の根も乾かないうちに、「あの人あんなことしてる、キー」みたいな、人を糾弾したくなる自分、そういうのが本当に辛かったんじゃないかな。
それが辛いって当時は自覚したことがないけど、今思うと、バランスがとれてない感じだった。
言葉にもならなかったし、そういうことが辛いのだということもわからなかったから、どうしたらいいのかが全然わからなかった。
つねにカリカリしていて、つねに何をしていてもこれじゃいけないみたいな感じがあって、
誰を見ても「あんたそれじゃダメでしょ」って言いたくなるし、自分自身に対しても「これじゃダメだダメだ」ってつねに思っている感じで、ホッとする時間がなかったっていうか。
それって、刷り込まれた自分と本当の自分が一致する瞬間がないから、これでいいんだってホッとするということがなかったのかなと、今になると思う。

いづ:統合されていないっていうのは、自分がばらばらみたいな?

Yui:ばらばらとは思ってはなかった。
そのときはそのときで、自分の考えがあるので、自分のことが世界で一番正しいと思っていて周りはみんな馬鹿だと思っていたから、その頃自分がばらばらって感じではないけど、
すべてがとにかく「こんなはずじゃない」とか、「これでいいわけない」とかそういう感じで、「自分はもっといい生き方をできるはず」とか、「人から評価されるはず」とか、「太く短く生きれるはずだ」とか、「有名になれるはず」とか、」「メジャーになれるはず」とか、今のこの状態じゃない他の何かをつねに求めていて、そっちの理想ばかり見ているから、心休まるときが全然ないという感じだったかな。

 

きらいな人ばっかりだった

Bちゃん : 私も思ったのは、嫌いな人が多かった。「あの人は絶対悪い人じゃないんだけど…」っていうのは思うの。だけど、傷つく一言を言われたときに怒りが人の何倍もあるし、本当に冗談の言い方一つとかが嫌いで、ほとんど同僚も会社の人もほとんど嫌いだった。
どこに行っても場所を変えても嫌いな人だらけで、「自分は悪くない」って思いつつも、どこに行っても自分だけが浮くっていう感覚があるから、「やっぱり私はダメなのかな」ってうすうす感づきながら、過食嘔吐して気を紛らわしていたみたいなところがあった。
母親もまた怒りに満ちていた人で、世間に嫌いな人が多いから、やっぱりそれを刷り込まれたっていうのも大きい。
治った今思うのは、自分にもだらしないところはあるし、多分、当時は自分のことが嫌いだから人のことも嫌いだったんでしょうね。
人がいるコミュニティは幸せそうな気がするんだけど、中に入ると自分だけ受け入れてもらえないし、見なきゃいいことを聞いたり見たりして、その一言で大嫌 いになって、ずっと恨んでいた。恨みも多かった。人に言われたことを、執念深く「絶対忘れない」とか(笑)。冗談としてなんだけど笑われたこととかで勝手 に怒っちゃって。

いづ : 世の中全部を敵に思っていたというか、そういうところ私にもあったな。

Bちゃん : こんなに頑張ってるのにという気持ちと、ダメだダメだって思う気持ちとありましたね。

いづ : ちいちゃんは?嫌いな人がいっぱいいたりした?人間関係とか。

ちいちゃん : もしかしたらそうやったんかな…。そんな自覚はなくて、むしろ嫌いっていう感覚がダメなことだと思っていたから、誰かのことを嫌いって自覚してしまった ら、とことん、這い上がれなくなるくらい自分を追い詰めそうな気がしたからか、嫌いっていう感覚を感じないようにしていたんだと思う。無意識にだけど、意 識的に感じないようにしていたと思う。
嫌いって感じることって苦しくない?その苦しさを感じたくないがために、自分の気持ちを見て見ぬ振りをしていたと思う。

Bちゃん : 嫌っちゃだめっていうのは思っていた。
みんなと仲良くやれて、いつも笑顔でっていう人がいいなとは思ってたんだけど。

いづ : それはそれで演じてるってだけなんだよね。

Bちゃん : そうそう。嫌いな人にも嫌いってうまく伝えられなくて、表面上は仲良くしたりとかっていうのはすごかった。
多分誰からも好かれたかったんだと思う。一番に。
その人から最も好かれたいのに、別の人と仲良くしていると、些細なことですごい腹を立てて。

いづ : 嫌いな人ばっかりやったし、本当にどこに行っても浮いていたし、なにか自分が変というか…浮いてるんよね。
嫌いと感じる人のことを、「嫌いや」って堂々と思えたらよかったんかもしれんけど、私もちいちゃんと似ていて、その人たちを嫌いって思う事自体、自分がダメって。
みんなはコミュニケーションが上手で優れているけど、自分はそこに入っていけないし、うまくやっていけないダメな人間だという劣等感、それはものすごくあった。

マリちゃん : 施設にいたとき、みんなシンデレラみたいな心を持っているんじゃないかなと思うくらいキラキラして純粋に見えて。だけど自分だけポツンと。心が汚れた人みたいな気持ちでした。
この人たちと違うかもみたいな。自分はおかしいなと思って、何なのかな。これって。

Bちゃん : さみしいよね。私も自助グループで入れなくてさみしくて。
でも異質なんだよね。向こうがもし受け入れてくれても自分はちょっと違うみたいな。

マリちゃん : 受け入れてくれても、もしかしたら居られなかったかもしれないし…。演じるというか、結局その人のことを好きじゃなくても、価値観がまったく違う人でも、 とりあえず顔を見たら合わせなきゃいられなくて、本当の自分もよくわからないくらいになったり、本当の自分を出すことができなかったかもしれないなって思 います。

いづ : 心が汚れた人ってどういう感じ?シンデレラのお話でシンデレラに意地悪をするお母さんみたいな感じ?

マリちゃん : 心が綺麗じゃないなっていう。一人ぼっちの感じ。みんな綺麗な心を持っている人たちの中で、私だけおかしいなって思って。わたしは自分のことばっかり考えてる人間なのかな。人のために役に立つこととかじゃなくて、自分のことばっかり考えてる人間なのかなって。

 

ひとのために生きてた?

いづ : 人のためとか、自分のことばかり考えるとか、ちょっとそのへんについてみんなからも聞いてみたいな。

Bちゃん : 人のために私は生きてきてた。
例えば、お姉ちゃんを喜ばせたくて、お姉ちゃんの好きな雑誌を小学校の低学年のときに万引きしてあげたりしてて、見つかって母に怒られたりとか。
家の手伝いをしたのも母の役に立ちたかったからだし、会社で一生懸命仕事をしたのも上司を喜ばせたかったし、っていうのがすごくあって、だけど多分自分のやりたいこと、自分本来のやりたかったことを出しちゃいけないと思っていたから、それが苦しかった。
自分のやりたいことを出したら嫌われるっていうふうに思っていて。でもそうしないと生きられなかったからきたんだけど。
それで、誰かに喜ばれなかったりしたら、多分そこで怒りが湧くというのがあったんだと思う。自分が本当にやりたかったこととか、自分自身を支えてくれる人 も場所も自信もなかったんだと思う。生きていく場所を探すには、人に喜ばれたり人に評価される場所を捜すしかなかったんだなと思う。でも多分それが苦しく てずっと食べて吐いていたんだと思う。

Yui : 私はそのへん(人のために生きるとか、誰かの役に立ちたいということを)、あまり考えてみたことがないかなぁ…。「所詮自分だしね、誰だって自分がいちば ん可愛いしね。」という本音が私自身にあったんだよね。人様の不公平さや身勝手さを糾弾しながら、自分の自己顕示欲の強さもわかってるから、その矛盾がま た痛くて、バランス取れてなかったなぁ。

いづ : 私は人のためとかっていうところ、個人的には結構引っかかるなあ。
私もBちゃんと一緒で、ずっと人のためにやってきているその感じが本当に辛かった。
例えば母親の話の聞き役になるとか、気づいたら会社の人間関係の橋渡し役になっていたりとか、そういうのって、人のためだったんだけど、でも、それも自分 のためだったんよね。母親の聞き役をやるのも、結局、お母さんに離れていってほしくない、お母さんが辛いのを見たくないから聞き役になっていたんだし。
全部自分のためにやっているんだと思えてきて、そしたらちょっと楽になったという経過がありました。表面的には人のためのことでも、結局は全部自分のため なんだって。人の役に立っているということで自分を保てるってこと、あるもの。そういう考え方に切り替えたら、人のために動いて自分がなくなってしまって いる不安とか、これだけしたのにという怒りが薄れたりして、「いいやもう、自分のためで」というか。うん、そういう変化というか、そういうふうに考えたら 楽になるんやなという知恵はついた気がします。

ちいちゃん : いづと似たような感じかな。人のためだったか、自分のためだったかというと、自分主体じゃないというか、自分が見捨てられないためにということを主体に生 きていたと思う。自分のために心地よく生きるために行動していたわけでもなく、人のために何かすることで、見捨てられないために行動していたという、そっ ちだと思う。

*Bちゃんとマリちゃんはここまでの参加です。

 

いずみさんのはなし

*いずみさんはここからの参加です。

いずみ : 苦しかったことを具体的に言葉に置き換えるのができないんだけど、自分はこんなに大変なのを誰もわかってくれないという思いだけが残ってる。今も。
もっと大変な人は世の中にはたくさんいるんだけど、自分が一番大変っていう思いがあって、それを誰も分かってくれないって思ってる。
特に、身近な、親とか親とか親とかにね(笑)、わかってほしいんだろうね。
特に母親には、自分のことをわかってくれて当然みたいなところからスタートするからおかしいんだよね。
回復の最後の段階で、「お母さんて100%は私と同じ人間ではないんや」と気づいて、当たり前なのに、そこまでいくまで気づかない。
それを、「わかってくれて当然、何でわからんの?」って思ってるから、すごい葛藤だったんだなって、回復の最後の段階でわかったんだよね。
何が大変かとか苦しさを言葉にというのがね、今となっては出てこないな。
書きなぐっていたはずなんだけど。「死にたい」とか、「何のために生まれてきたのか」とか、「苦しい辛い」とか。
でも自分で一番危険で死に近いなと思ったのは、がむしゃらなときとか「死にたい」とか「苦しい」ってときではなくて、「もういいわ、何もかも疲れた~」なんて結構軽く言えてるときだという気がした。でも死ななかったけどね。
死ぬときって、どん底のときじゃなくて、結構回復期みたいな、働きだして、症状がおさまったときにヤバイとか言うよね。
症状があるうちは、人間関係なり社会の仕組みの中での苦しさを、食べたり吐いたり食べないことで吐き出したりバランスとってるのに、やめたときにパタッといく人が多いとか言うよね。
でもみんな結構しぶとく死なないんじゃないかなというのが実体験なんだけどね。
苦しかったよね。おかしかったし、囚われていたよね。なんでやろうとか思うけど、しんどかったわ。

いづ : しんどかったとか、とてつもなくとか、狂いそうなぐらいとか、そういう言葉しか出てこなかったりするんだよね…。でもそれでは伝わりにくいというか…。

いずみ : 「みんなしんどいことぐらい一つぐらいある」とか言われると、あらぁそれで終わっちゃうのって感じ(笑)。「俺だって悩みぐらいあるさ」とか言われると、「あらそうですね」みたいな(笑)。

いづ : 死と隣り合わせっていうか、もう死に片足つっこんでいるような感じなんだよね。

いずみ : 私の実感は、死を感じる、半分片足つっこんでいるからこそやっと生きていることを感じられてたって感じだった。死を感じることで生きる。痛いのは生きてる 証拠というじゃない、それぐらいのレベルだったと思う。死がそこにあるから、何とか死んでない自分がいるってことをかろうじてわかっているというぐらいの 勢いだったなと思うけど。
よく死ななかったと思う。私なんか、命なくてもおかしくなかったと思うけど、生かされてきたんだなと思う。あのときもあのときもあのまま死んでてもおかしくなかっただろう事件というのはいっぱいある。

いづ : 自殺しようとしたってこと?

いずみ : 自殺って自分で多分しなかった。リストカット?私の場合は根性切りやけど、あれは死ぬ気はなかったと思うし、飛び降り、れなかったと思うし、包丁を喉ま で、刺せなかったと思うし、首吊り、便器に立って紐までかけたけど、首吊れなかったと思うし、そこでは死ねないんだけど、私の死ぬは、酒飲んで路上で朝目 覚めるとか、男に連れ去られてそのまま売り飛ばされてもおかしくなかったやろうとか。

いづ : (笑)「もうどうにでもなればいいわ」っていう、投げ出しというか?

いずみ : コンビニで買い込んで、食べながら歩いてのどに詰まって倒れ込んだとかもあるよ(笑)。「どうしてもこのおにぎりが詰まってとれない~これで私の人生終わ るのか」っていう。駅から家まで帰るまでももたないのよね。買い込んだものを食べながらじゃないと。それも駅前の喫茶店みたいなところで、喫茶店らしから ぬカツどんみたいなメニューを二つ食べておいて、そして酒と食べ物買い込んで持って帰る道の途中で倒れ込むんだよね、おにぎりがのどに詰まって死んでもお かしくないみたいなね。
飲み屋から夜中歩いて帰る途中でヘロヘロで、ヒッチハイク、大型トラックの運ちゃんが乗せてくれて、そのままどっかで捨てられてもおかしくないやろ!危な いやろ!そんな人と一晩ドライブ、酔っ払ってま~す、みたいな。コンビニで捨てられました。「どうする、ここはどこ?」もう一回ヒッチハイク、知らない人 のトラック乗り込んで寝てます。みたいなそういう日々。ダメじゃない?

いづ : そういうところ、すごく似てる(笑)。自殺、今から飛び降りますとか首吊りますとかっていうのよりも、もうどうにでもなればいいみたいな、わざと暗い暗黒 街みたいなところ(笑)に行ってみたり、繁華街の裏通りの地下入っていくみたいな、あんなおかしな世界っていうか。

いずみ : 私も怪しかったなあ。
新宿でおなべしてたときのこと。朝方とかに、あれはなんだったんだろうね、みんなで変な雰囲気のお店に入って…。入り口とかもわからないようにしてあっ て、誰かの紹介じゃないと入れないみたいな。そんなの普通はないやろうみたいな。どうする私!?おなべもどうよって感じ。(笑)
おなべも怪しい。SM嬢の女王様みたいな人がお客さんと来たりして、その人のお客がひょろひょろっともやしみたいな男で、別荘があるとかで、朝方5時に店 あけてから、その人の別荘にみんなで行って。全然知らないとこやけど。SM嬢とひょろひょろもやしとおなべ三人ぐらいで、怪しい洋館みたいなとこだった。
そういうとこからよく無事生還できました~というような感じだけど。

いづ : そういう中じゃないと息できなかったというか。

Yui : 自分がそういうところに見合うっていうか“そぐう”感じがしない?! お天道様の下にいるよりは、そういうところにいるほうが馴染むっていうか、落ち着くっていうか。

いずみ : 本当は私はお天道様の下にいたかったんだけどな。
舞台の真ん中で、女優さんとかアイドルみたいにキャーキャーとかヒューヒューとかされたかったんだけど。(笑)なんか、やっていくことが裏街道なんだよね。なんで?
そのギャップだと思う。プライドの高さとか、賞賛されたいとか、認められたいのに、それを地道に努力とかもできなくて、一発スポットライトみたいな棚ボタ みたいにいけるようなつもりでいるけど、そんな中で地道にできなくて崩れてく。裏と表みたいな。外ではニコニコしてみんなに愛想のいい私、すごくうまく人 ともやれているような自分。
でも、家ではトイレでゲーゲー吐いてる自分というそのギャップは、まさしくそういう生活に出てるかなっていうぐらい大波小波の人生だった。
でも、どこに幸せがある?そのてっぺんに幸せがあるかと思ったらそうでもなく、どん底があり、結局今となっては、波がなくなって、何もない平凡というのが 幸せなんだな~。朝起きて、ご飯食べれて、夜あったかい布団で寝れて、子どもの笑顔があって、みたいなね。朝洗濯物が干せて夜乾いてましたというのが幸せ とか(笑)。

Yui : でも、そんなちまちましたの、あの頃は耐えれなかったよね〜(笑)

いずみ : 耐えれなかった。

Yui : 「みんなそんなので何喜んでるの?」とか思って。ひどいな(笑)

いずみ : 刺激が欲しかった。喜びが欲しかったし、飛び込んで行くのかな。「もっともっと」って感じ。満足なんかなかった。

いづ : あれ、何なんだろうね?

いずみ : 病気や(笑)。でも、私もこれだけまともになれたんだから、なれるよってことは伝えたいなって思う。
さんざん社会とか親とかに迷惑かけた分、何か私にできることをしていかんなんというか。
生かされてた、いつ死んでもよかったのに死ねなかったというか生かされてたという枠でみても、何か私、生きている間にできることあるんじゃないかなと思っ たりとか、本当は直接親に恩返しできたらいいけど、なかなか面と向かってできない分、ほかのところでしようとしているのかなという気もしたりして。
わが子が自分と同じ道を通ると思ったら恐ろしい。
でも、きっと通ると思う。それじゃ困る。
さて、どうしましょう、というところで、私はやっぱりまともな人間らしい道を歩いていきたいなと思うし、子どもにもそういう道を歩いて欲しいと思うんだよね。
長男はまだ4歳なんだけど、自分の我を通したくて、自分を見て欲しくてそれを発信している人。
この姿は私の姿だなって思って見せてもらう。
こんなに小さくてもこれだけ我が強くて、自分が一番じゃないとダメだし、特別じゃないとダメだし、「みんな自分のこと馬鹿にして」とか言うよ。「誰も僕のことなんかわかってくれん」とか言うよ。あんた中心に結構みんな動いてますけど、みたいな。
それがわからないって、私そのものやなとか思う。
一歳の娘なんて私みたいになっていくと思ったら恐ろしいわぁ。
てことは、どれだけ親が自分のしてきたことを心配してたかと思う。
水商売あがりで、朝酔っ払ってホームから降りたとこまでは覚えてるんだけど、そこで記憶ない。次起きたら、駅の消防科みたいなところで床で吐いて寝転がっ てて、意識もなく、吐いたものが詰まりそうとかで消防科だったみたいなんだけど、免許証か何かで朝5時とかに実家に連絡がいき、私は起きてケロッとして 「お世話になりました」とか言って、酒くさいけど、仕事に行くんだよね。サウナのマッサージしてて。仕事場に親が心配で来たりした。私にしたら「何でこん なところ来るん?」って感じで、親が心配して来てくれたこととか一切わからず、怒ってるのね。親は、私が夜仕事が終わるまでどこかで待ってるんだよね。食 べ吐きする気まんまんで買い込んで帰る。帰ったら玄関で2人で待ってて、「邪魔、私今から食べ吐きするんだから入ってもらっても困る」とか言って。でも 「食べてても入る」って言って入ってくる。そこに両親座らせて、がつがつ食べてる姿を私は見せ付けたい。『私はこんなに大変』を見せ付けたい。こんなこと 毎日やってる、「どうだ」って感じで食い漁って。話どころじゃない。「今から吐くんだから黙ってろ」みたいな勢いで。ゲーゲーはいて。私はそういう娘だっ た。
お父さんとお母さんには、大変なときにはもっと仕事休んでほしかったんだよね。
学生のときとかは自分を見てほしいと思ってた。「根性切りして傷跡見えてるのに知らん顔しやがって」とか、私が学校行ったり行かなかったりしてたのに仕事ばっかりしてとか思ってた。お父さんは仕事の鬼やと思っていた。
ところが、自分の来て欲しくないときには来る親。自分のしてほしいときには手をさしのべてくれなくて、もういいというときには来るみたいな、すごくうざったかった。
入院していた病院まで「送って行って」と言うと、「自分で帰れ」と言っといて、「わかったよ、自分で帰るよ」って泣きながら歩き出したら後ろから「乗せてこうか?」て追いかけて来る。「乗せていらんよ」…そいういうタイミングいつも。
自分が腹くくって飛び出したら追って来るみたいな。
私はそんな娘だったよ。娘がそんなふうになってったらどうする?
まわりまわって自分に返ってくるんじゃないかなとか思う…。

Yui : 返ってなんかこないって(笑)

いずみ : そうかな?Yuiさんとこは双子で、すごいよね。子どもたち問題なく順調?

Yui : 問題なく順調かわからないけど、何とかなるんじゃない?
私、子育て向いてないから極力子育てしてないの。夫が育ててるから、2人ともとってもいい子(笑)。

いずみ : へぇ~!そういう話し合いのもとに出産に挑んだの?

Yui : (笑) 産む前から話し合ったりはしていないけど、産んでから、ダメだと思ったから、なるべく子どもには近づかない。バンバン泊まりの出張に出る仕事に着いてみたりして(笑)。

いずみ : へぇ~そういうのもありなんだね。
無理にしなきゃっていう枠に入ったら、虐待なり、自分を責めるなりの悪パターンに入ってく。苦手だから距離おきますみたいな。そういうスタイルでいったんだ。
いかにもこうしましょうみたいのが多いよね今。本読みしましょうとか、スキンシップが大事ですとか、そうできないお母さんは苦しい一方だよね。

ちいちゃん : 本当だ。私はまさに枠にはまろうとしてた。それも枠なんやね。枠っていうか、そうせんとダメなような気がしてしまっていた。

Yui : 私も一応ダメな気はするよ。だけど、できないもんはしょうがないよ〜。

いずみ : それ大事じゃない?摂食障害の人は、できないからごめんなさい。とかしょうがないとか言えない。頼まれたりとか、これが普通ですっていうことを目の前に出 されたら、「それは私できません」て言えないことが問題じゃない?言えたら楽になっていきそうじゃない?そういうYuiさんは、自己評価低い?高い?

Yui : わかんない。どうだろうね?昔は、「自分はいけてる」と思いながら、「いつでもホームラン打てるのよ、今は打たないだけでね」ってやってたわけだけど (笑)、でもそれは自己評価が高いわけではなくて、自己評価低いの裏返しだったね。今はどっちでもないかな。「いけてる」とほくそ笑むこともないし (笑)、ホームランも、ラッキーなら打てることもあるだろう、程度な感じ。

いずみ : 一緒だね。表街道まっしぐらでいきたいのに、裏街道まっしぐらで。ホームラン打てないはずがないぐらいの勢いでね、何でみんなその私を応援しないの?みたいな(笑)

*いずみさんはここまでの参加となります。

 

つらいっていう自覚がなかった

*ここからは、いづ、ちい、yuiの三人トークです。

いづ : 後からになったらわかったけど、その真っ只中のときって、辛いという感情があること自体も気づいてなかった。
自分はすごく身動きとれないくらい苦しいのに、苦しくない状態を知らなかった。今みたいなこういう穏やかな感じがあるって知らなかった。
だから、この身動きとれないこの感じで一生いかなきゃって思っていた。
でも、そのときに、「今身動きとれてないんだ」とか「辛いんだ」とか、もし言葉にできてたら、ちょっと空気の風穴が通ったような気がする。

ちいちゃん : 客観的にその自分を見て、そうじゃないのもあるって見えたら楽になるよね。辛いときってココしか見えないし。言葉にできたら、楽になるんかな…?

いづ : 言葉にできて、誰かに伝えてたらまだ楽だったような気が私はする。
だって、いつもノートに「死にたい」とか「誰か私をなんとかして!」とか、書きなぐってたけど、それって本当は誰かに、親とか彼氏とかに見せたかったのかなって思う。Yuiさんは、辛いってこと自体わからないような感覚ってなかった?

Yui : …というより、人生は辛いものだってまず思ってたから。
辛くて苦しいことが沢山あるのが人生で、それを乗り越えていくのが、人として尊いことだみたいな、人としてあるべき道みたいな。
だから、辛いことが変だっていう感覚がないっていうか、『人生は辛いものだ』が自分の中の標準値になっているので、辛さをどうこうって思わないの。本当に とにかく、いつも焦燥感があって、カリカリしているんだけど、「楽になるためにはどうしたら?」なんて発想は全く、さらさらない。
私の場合は、自分一人身のときに摂食障害だったりいろいろやってたりするのはそれはそれで何とかなった。全てを上手くやってるつもりでいたからね(笑)。 仮に自分がのたれ死んだとしてもそれはそれで…というのがどこかにあって、そんなにこの状況をどうにかしたいっていう切羽詰ったのはなかった。
でも子どもを持ってから、子どもにも『人生は辛いものだ』にしようとしちゃうから、子どもを苦しませないといられないとか、傷つけないといられないとか、そういうふうになったときに、はじめて切迫感を持ってこれはヤバいと思った。
それも簡単じゃないんだけど。ヤバいと苦しむ自分が自分にとって『人生このように苦しいものだ』という標準値なので、苦しまずに子育てするには?という選択肢が思いつかないの。
そういう自分に行き詰まって初めて「誰か助けて」とか「私はもうどうしたらいいかわかんない!」ってなった。

いづ : 誰かに伝えた?助けてとか。

Yui : 夫にはけっこう暴れたけれど、夫は実感を伴ってそれをわかることは当たり前だけどないし、夫って健康的な人で、べったりしてくるところはないのね。
大げさに言ってもそういう作戦にのってくる人ではなくて、話はちゃんと聞くけど、聞くだけっていうか(笑)。
私にしたら、彼をハラハラさせたくて、そのためにはもっとひどい事態を起こさないと彼は大騒ぎしてくれないのでは?と最初は思ってたんだけど、彼は子ども をすごく好きなの。本当に子どもが好きなんだな〜って思ったときにね、多分、私が子どもを利用して、何か夫をハラハラさせるような、そこまで卑劣なことを したら、彼は私ではなく子どもを選ぶし、子ども連れて私から離れるなと感じたの。
それがわかると、子どもを徹底的に虐待するわけにもいかず、夫からは同情も買えず、でも彼に助けてほしいし、私が思いつく浅い作戦にものらない人だから、どうしようというのはすごく思った。
どうしようどうしようってなって、結局行き着いたのが、私は夫を操れないんだなってことと、自分でどうにかするしかないってことで。だから夫にも伝えはしたけど、病院に行ってみるとか、いろんな人に話すとか、思いつく限りのことをした。

いづ : 大騒ぎを起こすような、見せ付けるようなやり方っていうのは、結構私たちが陥りやすいというか…、私自身には身に覚えがある(笑)。それができない相手だったわけですね。

Yui : 本格的にやってみたことはないんだけどね。でも、やる前から、『彼には絶対通じない』と思った。すごくはっきりと。うん。絶対ダメだな。

いづ : よかったね。ラッキーだったね。
『辛いことを乗り越えるのが人生だ』って思い込んでいたというのも、そうだったなって思った。辛いが自分の中で標準になっているんだよね。ちいちゃんそんなのある?

ちいちゃん : 言葉にしてそういうふうに思ったことないけど、私の場合、辛いって自覚がなかったかな。今から思ったらあれは辛いよって思うけど、辛いって思ってもダメだ とも思ってたし、これが普通だって思っていた。そんな中でみんなはうまいことやっているんだとか、それができない私は弱いとかっていう感覚だったかな。

いづ : 辛いって思ってなかったというか、自分が感じてる感じはすごく苦痛な感じなんだけど、まさに、それが普通だって感じなんよね。それ以外の、こういう穏やか な感覚とかがあるというのも知らなかったし。だから、それって二重に苦しかったというか、このままやっていかなきゃっていうのがあった。

ちいちゃん : そう、だから生きるのって辛かった。
「生きるのは素晴らしい」とかいうフレーズとかは全然そうとは思えなかったし、意味わからなかったし、無理やりがんばってそう言わなきゃいけないのかと思ってたし。

いづ : 私の中でこれはすごい発見!辛いのにそれを辛いって思ってなかったってことが、とっても辛かっただなんて。
世の中に溢れてるいろんな言葉とかが、健康な心の状態の人向けの言葉が、自分にもあてはまると思っていたというか、今から考えると、どうみても心は健康 じゃないし、辛い状態だったんだけど、それがわからないから、いろんなこと全部みんなと同じスタートラインに立たたなきゃと思ってたし、フルタイムで働か なきゃ人間として失格とか、コミュニケーションうまくないから自分はもっとそういう練習をしなきゃとか。
「生まれてきたことに感謝しましょう」みたいなフレーズに、全然感謝なんてできない自分をまたダメだと思ってみたり。
そういうのあったなって思い出した。

ちいちゃん : これが普通って思って生きてたけど、これじゃない生き方もあるんだって思ってふと楽になった瞬間とか、ありますか?

Yui : 楽にねぇ…。あるような気がするけど、すぐには思い出せない。

いづ : 私もあるような気がするけど。ちいちゃんは?

ちいちゃん : 私は金盛浦子先生という方の本を読んだときに、「えぇ」ってすごくびっくりしたのを覚えてる。本当にびっくりした。そんな生き方って!いろんなそういう本 もあるし人もいるんだけど、私のはじめて踏み込んだそういう世界は金盛先生で、すごくびっくりしたのを思い出した。

いづ : でもこれを読んだからといって、すぐに、辛くないほうの自分を体感するってことは、それはまた時間がかかるんだよね。私はやっぱり、楽になってはじめて、あの頃は辛い状態だったんだって自覚できたなあ。

Yui : 私、ふと軽くなったということはすぐには思い出せないけど、二つ思い出したことがある。
一つは、ある人のことなんだけど、私が苦手な人がいたの。すっごくオープンで細かいこと気にしない感じで裏表がない人なんだけど、なんていうかな、公式な 打合せの場でも自由に振る舞から、チャラチャラして見える。そう、きちんとしてないの。で、私は『こういう人にだけはなりたくないな』くらいの感じで (笑)その人のことを見てる。でも、何度も会って、私自身がその数年間に変わってきて楽になってきてみると、その人のこと全然イヤじゃなくなってるんだよ ね。
もう一つは、やはりもう何年も前に、夫と会話をしてたときのこと。
話の筋は忘れたけど、夫が「それって上だよね、下だよね」みたいなことを言ってね。それを聞いたときに「上とか下とか、どうしてそう評価的な言い方するか なぁ。辞めてよ」とかなんとか、私が言ったんだったと思う。そしたら、「僕は、30センチのものを30センチって言うように、上とか下とかの単語を使って るだけだ。上や下に評価的なニュアンスを含めているのは、僕でなくて、君だろ」って言われて。そう言われたときに、なんの悔しさも反発心もなく、「ホント だ。…そうだ!」って思ったの。
言葉を使う人がそういう意図で使ってないものを、私が勝手にそういうふうに感じ取って、「ああいうニュアンスで話す人って嫌だわ」とかって、私が勝手に思ってるんだってわかって、すごい衝撃だった。

ちいちゃん : 私も今衝撃受けた。(笑)

Yui : そういうことが何度かあって、だから私は夫を健康的な人だなーと思うんだけど。彼は言葉は言葉の意味としてだけで使う。

いづ : 率直ということかな?

Yui : うーん。こちらが「これで汲んでよ、頼むから」っていうところも汲んでくれないし非常に気は利かないよ(笑)。優しくないわけじゃないけど、「わかってよ、これで」っていうところも全然わかんない(笑)。でも言えばそのままに伝わる。
彼からあの指摘をされたときに、私の中に、ものさしとか、使っていい言葉使っちゃいけない言葉っていう区別とか、評価のまなざしがあるのであって、それを私は他の人に自分が勝手に投影しているだけで、みんなは実はそうは思ってなかったのかもってことに、気づいたんです。

いづ : 今は、上とか下とか言う人の言葉を聞いても腹を立てない?

Yui : 前ほどは立たない。「あれは絶対そういう意味を込めて上から目線で言っているな~」とか勝手に思うことはあるよ。でもその思いは、私自身が産んでるものだっていう気づきもあるから、自分の腹の中に留めるし、それはできるようになってきた。

いづ : 私が一番嫌な感じを受ける言葉に、まさにその、上とか下とか、優劣を言うような言葉があるんだけれど、今その話を聞いて、「あ、私がそう見てるだけなんだっけ」って混乱してきたなあ(笑)。
パートナーとか彼氏とかが、健康的な感じの人で救われていった人の話は結構聞くよ。不思議だなあと思うのは、どっちかというと、共依存に陥りがちという か、同じように苦しい人にひかれたり、不幸そうな人にひかれるとかいう傾向がある人が多くない?それなのに、旦那さんが全然振り回されない人で待っててく れたから助かったとか。放っておいてくれたから助かったとか、旦那さんには心の闇がない人だとかいう話も結構聞く。

Yui : 私は運が良かっただけだと思う。もしどっかの段階でできちゃった結婚とかしてたらこうはなってなかった(夫と結婚できていなかった)。

 

この経験にはどんな意味やメッセージがあった?

Yui : どんな意味があったか…。そういうこと考えるの、私、苦手かも〜。
もしかしたら、そういうふうに辛かった体験に意味や価値を見出して元気になっていくタイプの人もいるだろうけど、私の場合は、意味づけを手放すことで楽になった人なんですね。
それ(意味付け)をやってると、「じゃあ、今自分がやっていることにはどんな意味が?」になっていくし、「意味のないことやってちゃダメだ」にまた戻って いきそうな感じがする。自分という存在や、自分のすることとかに、意味や価値があるかなんて、そもそも全然考えなくてもいいんだ、というふうに心底思えた ことで私は楽になったので、もうそっち方面で考える習慣がなくなってるなー。
あ、でも、いわゆる回復初期?みたいな頃にはそういうのあったかな。「体験した自分だからこそできることがある!」「摂食障害があったからこそ、この人と出会えた」とか、思っていた時期はあるな〜。今は全然思ってないんですけど(笑)。
『摂食障害』がやはり過去のことになっていて、私のこれまでの人生には他にも様々な出来事があるから、さして『特別な』位置の体験ではなくなってきてるってことかも。

いづ : 私の場合はもともとすごく苦しくて、物心ついたときから辛かったから、辛いのは普通と思っていたから、それが実はこんな穏やかな心の感じがあるということ を知るまで、あの摂食障害の症状が続いたんやろうなと思うし、もし、症状がなかったら、その辛~いままでも人生なんとかやっていた気もする。
あんなに振り回されてどうにもできんくなったからこそ、穏やかな気持ちを獲得できたわけで…。転換点だったな。
辛いままでもきっとやっていったんだろうけど、どうしても変わらざるを得なくなったから、そしたら楽なほうにいけるようになった、そういう風に捉えているかな。

ちいちゃん : 私もちょっと似ていて、もうどうしても抜け出したくてしょうがないっていうか、これは絶対嫌だっていうのが原動力で、もっと生き辛くない生き方とかを探す ことができたというのがよかったことではあって、その過程で、自助グループや本や人と出逢うことができたのはすごく意味があったと思うし、何で生き辛いか ということを見つめるきっかけになったし、それが大きいと思う。

いづ : でも私、Yuiさんの、何かに意味づけをしないで、今目の前で起こっていることをただそのままを受け入れるというか、そういう境地には行ってみたい(笑)。
「今後どうやって生きていこう」とか、「自分はこのために生まれてきたからこうしていこう」とか全然なくて、「自分は生きてるからただ生きてる」というところに行きたい、というのはすごく思った。

ちいちゃん : Yuiさんの、意味づけを手放していくことが楽になったっていうので、「あっ」て思ったんだけど、自分の中に、意味づけをする場面がたくさんあって、それが案外楽になろうと思ってやっていることでも、苦のほうにいくことがあるんだ、そっか~と思った。

Yui : そうだね。よくさ、「人のいい面を見ましょう」とか言うけど、「嫌いな人なら嫌いでだめですか?」と私は思うんですよ。
摂食障害になってできた友達とか、わかったことってもちろんあるけど、「じゃあ生まれ変わっても摂食障害になりたいか?」って言われたら私はヤだ(笑)。 選択が許されるなら積極的に選択したくはない程度の体験にどれほどの意味が?って私は思っちゃうの。「あの頃私達チョー変だったよねー」「もう懲り懲りだ ね〜」でいいじゃん?って思うから、あんまり意味づけをしないほうが今の私は楽ちんです。

ちいちゃん : 新鮮でした(笑)

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