HOME > わたしたちの声 > 経験者の視点で語り合いました > 摂食障害って一体なんだった? ~in 福井(H21.1月)

 

あかり座談会第一回は、平成20年1月、福井にて開催しました。参加メンバーは計6名、直接会場には来られなかったけれど書面で協力してくださったメン バーのお話も交えてご紹介します。テーマは、「摂食障害って一体なんだったんだろう!?」。みなさんそれぞれの経験を踏まえて、語ってくださいました。

(2009/5/26)

 

プロフィール

○座談会メンバー
いずみさん saahkoさん ちいちゃん まさちゃん 雅代ちゃん いづ(進行役)

○書面で考えてくださったメンバー
*いっちゃん *岡井ルマさん *かつらさん *レイカさん

いずみさん:拒食、過食、そして過食嘔吐へ。食べたく て、痩せたくて、死にたくて。10代20代を食べることと痩せることにすべてを費やしてきました。これじゃーいかん、と自助グループ・パインの会を立ち上 げ、手探りで回復を願う中、どう死ぬか、からどう生きるかへ。現在、三児のオカンとなりドタバタの毎日を、マンガ『パイ~ンな日々』執筆中(発表予定な し・笑)

saahkoさん:高校1年生の時にdietをしたのが きっかけで、短い拒食期→吐かない過食を約5年間抱え、「このままでは私はつぶれてしまう!!」と思ったところから、自分らしく生きる道を模索~約3年掛 けて自力で治し、治ってから約12年の月日を経て、今現在へと至る。『自分らしく生きる』をテーマに、これまで自分が経験・体験してきた事を、これからも 表現し続けていきたいなと思っています。

ちいちゃん:高校一年の頃から過食が始まった。ダイエッ トに挑戦しては反動で過食、その繰り返しが約10年。吐けない過食だった。10年間根本にある“生きづらさ”を何とかすべく試行錯誤し続けたが、その難し さに回復への希望を持てずにいた。しかし意外にも、妊娠中のつわりで食べ物に執着せず過ごせたことがきっかけで、過食生活は静かに幕を下ろし約2年とな る。引き続き、根本の“生きづらさ”を何とかするべく発起人としてあかりプロジェクトに参加している。

まさちゃん:高2の時、友人からダイエットのために吐く人 がいるという話を聞き、こっそり食べた物を吐くようになる。それからはどんどん痩せていき、嬉しい日々。過食嘔吐にはまる。学生時代は誰にも話せなかった が、今の主人と出会い、病気と認識をするようになり摂食障害について調べ、病気を周りに告白。うつになったり苦しい日々を過ごし、病気をもちながら8年前 に結婚。3年前に出産。それでも食べ吐きを続けていたが、昨年7月摂食の友人が吐くのを我慢している話を聞き自分も挑戦。なんと今も吐かずにいられる。ま だまだ回復途中ですが、吐くのをやめたら2人目を授かり、もうすぐ出産予定。

雅代ちゃん:基本的には楽しいことが大好きな34才。なんやこうや、泣いたり笑ったり!ウザウザ楽しんでます!

*いっちゃん:高校3年の時に、ダイエットで食べない ようにしていたら10kgくらい減っていく。専門学校では過食嘔吐が始まり、就職した現在まで7年間してます。 1年前くらいから気持ちが落ち着き、1週間に1回程度の過食嘔吐。現在は自分癒しをするためさまざまな経験をインプットしています。いつかはその経験をア ウトプットできるようになりたいと、あかりプロジェクトに参加。

*岡井ルマさん:過食歴(嘔吐なし)約10年。今現在は貿易関係の仕事をしています。将来は摂食障害関連の翻訳、摂食障害者の就労支援に携わりたいと思っています。

*かつらさん:3年の拒食期をへて、過食嘔吐へ。 受診も一回しましたが、私には合わなかったので、10年かけて自己流で治しました。
~メッセージ~
 自分のアップアップした思いと、唯一の癒しを求めてがむしゃらに過食嘔吐していました。
 でも、その唯一の癒しが、やがて牙を剥き、私をボロボロにしたのも事実です。
 過食嘔吐に依存しすぎたようです。
 けれど、この過程があったから、今の私があると思っています。
 人生に、無駄な時間なんてありませんよ☆
 それに、摂食障害も私の個性なんです♪

*レイカさん:20歳くらいから痩せ願望があり、強い拒食になったのは8年前から。過食は3~4年前くらいに始まって、現在過食嘔吐がある。

いづ:中学二年のときから、お菓子を食べることが止まらな くなり、その後7~8年間吐かない過食の症状を抱える。社会人になってから嘔吐を覚え、さらに7~8年間の過食嘔吐生活。自分で回復したと実感してから2 年あまり。苦しかったときに欲しかったサポートをすべて書きだしあかりプロジェクトの計画を立て始める。現在、発起人として日々活動をしている。

 

治したいと思った?そのときどうした?

いづ : わたしは、苦しくて、なんとかしたいって思ったときに、医学的な観点から書かれた本などを調べたのだけど、医学や心理学の専門用語などの難しい記述を見て もよくわからなかったし、なんだかしっくりこなかった。みなさんはどうかな?摂食障害まっただ中のときに、自分に何が起こっているのだろうかと調べました か?

まさ : 私は、ダイエットから嘔吐を始めてそこから過食嘔吐になったので、痩せることが嬉しくて苦しさがなかったし、病気だとか治すという認識がなかったな。認識するまでに3~4年かかった。

いづ : その3~4年の間は苦しさはなかった?治そうと思うようになったきっかけは?

まさ : 食べ吐きを隠さなきゃならないという苦しさはあったけど、その行為自体に苦しさはなかった。きっかけは、彼氏との楽しいデートをした夜にも食べ吐きしよう としている自分に、「いつまでこんなこと続けるんだ」と疑問がでたとき。それがきっかけで、摂食障害について調べたり病院に行った。でも、治そうとして治 るものじゃないのでそこで初めて苦しくなった。それからが地獄のような苦しみでした。

雅代 : わたしは、一人暮らし中に拒食に。親におかしいと気づかれて病院に無理やり連れて行かれました。そのときは体が動かない苦しさはあったけど、病気に対する 苦しさはありませんでした。そのうち、栄養のあるものを食べるとパニックになったり、食べ物に支配されるのが辛かったけど、拒食のうちは病気を治そうとい うところまではいっていなかった…。やっぱり、過食になってからが辛くて、治そうというふうになったんだと思う。

いづ : 一番初めに親御さんが病院に連れて行ってくれたときは、自分ではどうにかしようというのはなかった?

雅代 : 仕事や今の状況から逃げたくて、体を壊せば逃げられるかもというのから拒食が始まったんだと思う。だから、むしろ拒食をどうにかしたいというのはなかった。

いづ : じゃあ、治りたいという感情が最初からあったわけじゃないんだ。まさちゃんと雅代ちゃんは、最初から摂食障害で苦しいという感じじゃなかったんだね。 わたしは最初から苦しかったな。まずはじめから生きていることが辛かった。中学2年のころからお菓子を食べるのが止まらなくて太っていって、もともとあった生きづらさももっと苦しくなっていった。 私は、食べるのが止まらないところから始まったから、最初から苦しくて、どこかで楽になりたいというのがあった。だから、最初からいろいろ調べたりしたなあ。

ちい : 私も初めから過食だったから、初めから苦しくてもがいてどうにかしなきゃと思っていた。過食から抜け出せるなんて思ってもいなかったから、拒食や吐ける人がうらやましくも感じていた

いづ : 過食症という病名と自分とを結びつけたのはいつだった?

ちい : あまりその辺は覚えてないけど、過食症をというよりも”生きづらさ”をどうにかしたくて、本とかいろいろ調べていったら徐々に過食症のことも知ることになったんじゃないかと思う。

雅代 : 摂食障害といえど、それぞれによって症状も経過も全然違うよね。

まさ : でも共通するのはやっぱり自己否定感だよね。

saahko : 私はダイエットから始まった。痩せていくのが楽しくてうまくいっていると思っていたけど、その糸がプチンと切れて、食べたくないのに食べずにはいられなく なったときに自分はおかしいと感じ始めた。食べたら太るから、食べたい欲求を満たすために、ご飯とかお菓子を作って家族に食べさせて満足していたり…。

いづ : そうすると、おかしいなと思い始めたのはやっぱり食欲が出てきたときだね。摂食障害という言葉と自分をつなげた時は?

saahko : 有名な女優さんの摂食障害が話題になっていた時期だったから、もしかしてそうかなというのはあった。当時、摂食障害という言葉がなくて、女性誌とかにちょっと載っていたぐらいだった。おかしいと思いながらも何とか自分で治そうと思っていたな。

いづ : いずみさんは?自分のおかしなこれを病気と認識し始めたときとか、自分に何が起きているか調べようと思った時は?

いずみ : やっぱり始めは、痩せておかしいと思っても、絶好調だから調べようとは思わなかったよね。太りだして挫折感を感じたときからかな…。挫折感、罪悪感、絶望 感で苦しくなってから、やっぱり調べようと思ったのかな。病気と認めたくない時期もあったけど、自分を表現するときに摂食障害と言えて嬉しいときがあった な。自分を伝えるときに、摂食障害という病名をつけると「私もこんなに大変なんだ」と表現できたような気がしてほっとしたというのかな。自分の意志が弱い と言われていたときはつらかったから。パインの会(自助グループ)を開いて思ったのは、自分はただでさえ症状で大変なのに、周り(社会、医者、親)になか なか伝わらなくて伝えるというだけで大変だということです。だからパインではそれを代弁できたらいいと思ったんだよね。

 

摂食障害っていったい何?

いづ : ここにいらっしゃるみなさんは、苦しくてどうにかしようとするのは過食に切り替わって太りだすときだったのですね。では、自分にとって摂食障害とは、ずばり何だったか一人ずつ教えていただけますか?

saahko : 本当の自分に逢うために落ちてきた隕石!摂食障害って、自分の生きづらさが全部集約されているものだった。現実社会で起こるいざこざから、ある意味守って くれていた側面もあるかな。私は、自分の本当の気持ちを素直に表現しないまま大きくなってしまって、本当の気持ちをふさぎこんできて、本当の自分と現実を 生きている自分とかけ離れていた感じがあるんだけど、摂食障害のおかげで本来の自分と近づけたな。

雅代 : 私は、心の障害だという気がしている。振り返ってみると、生まれてから摂食障害になるまでの心の傷だったりいろんな人から受けたモノ(私の場合親が主だけ ど)とか、そういったものが積み重なって自分じゃない自分が出来上がって、就職がきっかけで、本当の自分を探さざるを得なかったのかな。間違った自分に気 づかせてくれたもの。だから、私にはやっぱり必要だったものだな。

ちい : 私は、心のサインだったと思う。自分が自分に正直ではない行動をとっているときのサイン。自分の本当にしたい行動でなく、世間に合わせた行動を無意識にとっていたときに起こっていたと思う。それから、助けて!という心の叫びでもあったかな。

いずみ : 体型のこだわりに始まって、すべてにおいて他人の評価にこだわる。食べることと体型に囚われるということは誰にでもあるかもしれないけど、そこに囚われすぎて生活できなくなっていくときが病気と健常の境目だと思う。

 

摂食障害は病気なの?

いづ : 病気と健常の境目…、みんなは摂食障害は病気だと思う?これはいいテーマだと思うから聞いてみたいな。

saahko : 私は、病名が付く付かないが問題なのではなく、生きづらさが問題なんだと思う。病気というより、その人にとって必要な経験を歩んでいるんだと思う。

いづ : 病気かどうか・・・例えばインフルエンザは病気だと思うけど、摂食障害というものは必ずしも病気だと思えない部分があるのは、自分にとって必要なことだっ たという気がするからかな。でも、「病気のせいやから私が悪いんじゃない」と楽になれた点では、病名をつけてくれてありがとうと思う。

雅代 : 病気というと、摂食障害は心の病気だと思う。他の依存症と同じで、その中の分類として摂食障害があるんだと思う。「あなたが悪いんじゃなくて病気が悪いん だよ」と医者に言われて救われたことがある。そこに自分を置いたほうが楽だった部分も確かにあるな。それから、病気ということで、自分と向き合う時間と場 所をたくさん確保できたことはよかった。

いずみ : 「病気じゃなくて、食べ方が分からないだけ」というフレーズを書いていた時期もあったんだけど、私は病気と認めたときに治そうと思えたのかもしれない。で も、(拒食症の場合)病気と思っていないから、みんな医者任せにできないんじゃない?これだけ食べなさいとか言われても嫌嫌嫌って。

saahko : そうそう!そこだけは、誰にも何も言わせない!みたいな。私は今までこれだけ我慢ばかりしているのだから、ここだけは譲れないっていうような。本当の怒りを出せなかった分、食べること・食べ物に関しては怒りをあらわにしていたな。

いづ : 病気というか、怒り?

いずみ : 摂食障害の多くの人はみんな根底に怒りがあるよね。みんな怒ってるんだよね。

saahko : 私の場合、(痩せを保つことが)自分が唯一コントロールできる部分で、自分を保つための砦だったのかもしれない。

いづ : 痩せを保つことが“自分を保つ砦”の意味合いのときは、ご自身的には病名が必要なかったのですね。摂食障害は病気かどうか…、これは簡単には答えが出ない ね…。病名がつくことで楽になれる部分があったり、病名がついて病気と認識したからこそ治そうという思いが生まれる場合があったり…。

 

どんな症状が起こる?どんな苦しみがある?

いづ : まっただ中のとき、体にどんな症状が起こりましたか?そして、そこにはどんな苦しみがあったのか教えてください。

saahko : 拒食数ヶ月間、一日500kcalのみしか摂らないと決めていた時期を経て、そこから吐かない過食になった。1食べたら100食べるぐらいの勢いだった。苦しさと罪悪感と後悔がありました。一旦スイッチが入ると食べてしまう事が苦しかったな。

雅代 : 私は拒食から始まって、とにかく野菜のみしか食べられなかった。30kgになって、あなた死ぬよというぐらいまでいったときに、親に無理やり病院に連れて いかれた。でも、元気は元気なんだよね。ハイというか気力だけで生きているという感じで、症状というと“食べない&動く”ぐらいかな。あと、おしりが痛く て座れなかった。体が動けない。毛深くなった。検査で脳が萎縮していたというのがあったかな。3~4年の拒食を経て、その後は吐けない過食でした。どこま で食べるんだっていうぐらい食べまくって太って、その自分に苛立って、外に出られないし死にたいし…。

saahko : 私も体毛が濃くなったよ。妊娠中もそうだけど、自分の体を守るためにそんな現象が起こるのかな。

いずみ : やっぱり辛い感じがあるのは拒食より過食だよね。自殺が多いのは、拒食から過食にかわってからだよね。

いづ : いずみさんも拒食のときあったんよね?

いずみ : ダイエットから拒食のときは絶好調やった~。中2で45kgのときは、困ったというような症状はなかった。心地良さしかなかったんだよね。それが1年続い て、その後過食のみが3年ぐらい。その後一人暮らしで嘔吐が始まり、40kgまで下がったんだ。症状というと、リストカット、髪の毛抜けた、自殺願望、は きだこ、耳下腺が腫れた、目の充血。でも、それらのことは全然たいしたことじゃなくて、“太ること”のほうが辛かった。股づれは症状かしら?(笑)

いづ : 股づれより、股づれが気になるというのは症状かもね(笑)よく、客観的には「食べ続けて、嘔吐や下剤を乱用することもあります」とかって書いてあるけど、 私は、そこよりもそれによってもたらされるあの苦しさを強調したい!!症状の第一位に“あの苦しさ”を入れたい。気持ちが絶望的、どん底、真っ暗になっ て、死んでしまったほうがいい存在なんじゃないかとか思い始めて…。食べ物にまつわるしんどさに加えて、自分が存在していることそのものに対しての罪悪 感。死ぬべき存在なんじゃないかというようなあの苦しさや自分を追い詰める感じとか、そういうのを症状の第一位に挙げたいな!あれはうつ病を併発してい たってことになるのかな?

いずみ : 摂食障害と鬱って多いよね。

saahko : 形になって現れたのが摂食障害だっただけであって、その奥に潜んでいるのは罪悪感とか鬱とか、ということになるのかな。

ちい : 私も、罪悪感、絶望感、自己嫌悪感、挫折感、鬱とかあった。過食に関して言えば、食べなかったらとてもソワソワして、いてもたってもいられなかった。私は 過食してなかったら、何かをぶっ壊していたかもしれないし誰かを傷つけていたかもしれないとも思う。それぐらい、そのソワソワは気が狂いそうになるぐらい に苦しかった。自分でコントロールできないので、どんどん醜くなっていくんじゃないかという恐怖と、人に見放される恐怖が強くなった。

*いっちゃん : 一度食べ吐きが始まるとその日の予定は全部狂ってしまう。スイッチが入って葛藤に負けてしまった時はうつ状態です。自分の存在自体が嫌になります。周りか らは怠けているように見えたり、答えのないような悩み事ばかりしているので理解されにくく、誰にも相談できず苦しかった。貧血、体重の15キロぐらいの増 減、虫歯、皮膚荒れなどあった。

*かつら : 拒食のときは体重が減れば減るだけ嬉しく感じていて、病識もなかったため苦しさは感じられなかった。過食嘔吐の時期は、罪悪感と劣等感、孤独感、過食嘔吐 の副作用に苦しさを感じた。生きにくさを感じた。何もかもが過食嘔吐に支配され、うまくいかずにすべてを放棄したくなった。拒食のときは、生理が止まっ た。過食期は嘔吐後の顔の浮腫み、爪の変形、虫歯、食道の焦熱感、吐きだこ、血中ヘモグロビンの低下、過喚起症候群の併発があった。

*ルマ : 食べても食べても満足できず隠れて食べまくってしまう。嘔吐しないタイプだったので、異常に太り、服は着られなくなるし、人には会いたくないし、お金もなくなるしで、いいことがなかった。罪悪感で死ぬことばかり考えていた。

*レイカ : 拒食、過食嘔吐、過食を経験。強い痩せ願望や食べ物へのこだわり。拒食のときは、体重が20kgを切ってしまい歩けなくなり死にかけた。栄養状態が悪かっ たので、体がむくんでパンパンに腫れた。過食嘔吐では、肌がボロボロ、髪も抜け、手に吐きだこ。のどから血が出ても一日中食べはきが止まらなかったとき も。精神的な不安定からうつになった。苦しさは、症状によって分かれるけれど、どれにも共通して、心が苦しく生きていることが苦しく、死にたいと毎日思っ て生活していた。笑わなくなり、食べ物以外の興味が無くなり、孤独感や寂しさに押しつぶされるような日々。

 

原因は何だろう?

いづ : 原因は何だったと思いますか?

saahko : 私は、小さい頃に親戚から受けていた出来事があったんだけど、それが辛いことだったんだと気づいたのが、つい最近のこと。小さい頃はそれが当たり前のよう に起こっていたことだったので辛いことなのだと気づきもしなかった。だから、発見するまでに36年というすごく長い時間がかかった(涙)

いずみ : 辛かった過去をたくさん話せるといいよね。原因探しは必要ありません、って書いたらいいんじゃない?探し出したら、見つからないこともあるし、まっただ中 のときに原因ばかり探していても前に進めないし、たくさんの年月がかかるから、このつらい只中には必要なことではないんじゃない?

saahko : 探しているときは見つからなくても、探していないときにふと思い出すときがあるよね。そのときに浄化してあげるといいんだよね。回復してから原因が分かる場合もあるしね。

いずみ : 原因がわかったらそれはラッキーだよね。

saahko : 原因がわかったからこそ、自分の中で自分は重要な存在だと思えた!

いづ : 「原因はこれやったんや!」ってわかったら、すっきりするだろうね。雅代ちゃんはどう?

雅代 : 私は原因探しばかりしていた。どちらかというと、そこに力を入れていたというか。家庭環境が悪くて暗い家だった。家の中の状態が悪いのを察知して盛り上げ 役だったのが私。私はそこで頑張っていたんだよね。いろいろあって、「殺される!」と思う体験があってから、その感覚(盛り上げ役を頑張る)が染み付い ちゃった。内面と向き合うだけじゃ辛かった。親を責めるだけじゃつらいから、許すということを心がけた。精神障害もあってひどかったんだけど、過去の問題 と向き合わないと生きていかれないと思った。親を許す作業…、自分を理解してもらうだけじゃなくて親も理解しようとした。その人の状況が人に八つ当たりし ないと生きていけない状況、なんだよね。だから、そう思えると許せる。親だって、みんなそれぞれ大変なんだと自分の過去も含めて受け入れたときから楽に なった。

いづ : 雅代ちゃんの場合は、原因は何かと突き詰めながら、幼い頃の親からのことなどを受け入れたり親を許したりしながら、回復に向かっていったということやね。いずみさんは、原因探ししてきた?

いずみ : うん、してきた。

いづ : してきたけど、やっぱり原因探ししないでいいよって言いたい?

いずみ : 作業が果てしないと思うから…。でも、今雅代ちゃんの話聞いたら、原因探しもいいかもと思えたな~。

いづ : 「原因探しではなく、これからどう生きるかを考えながら進んでいきましょう。」ってよく書いてあるけど、だって探してしまわない?わたしは、原因探しは自 然なことじゃないかなと思う。何でこうなったのかなと考えることはごく自然なことのような気がする。見つかるか見つからないかはわからないけど。

雅代 : 私は、それをしないと生きていけなかったんだもん。

saahko : 実は原因探しって、後ろに下がっていくように見えるけど、ちゃんと前に進むんだよね。

いずみ : 雅代ちゃんはどういうふうに原因探ししたの?

雅代 : 自分一人で講習とか、本とか、ノートに書くとか、やれることは全部やりましたね。

いずみ : あたしはその作業もしたんだけど、あたしは生きるためにはつぶれちゃいけなかったんだよね。今ある自分を進むためにできる限りやったという思いはある。人 生のたな卸しはパインの会を始めてから。場所や仕事を変えたら変わると思っていろいろもがいて、でもやっぱり上手くいかなくて、立ち止まった。そしてそこ で掘り下げ始めたのかな。…そうすると遠回りってことかな?最初に原因を探して根本から見て立ち止まったら早かったんかな…。掘り下げる作業を後回しにし て、“今生きること”を精一杯やったという思いはあるんだけど。

saahko : それがきっと、いずみさんのベストなタイミングだったんじゃないかと思う。それにしても、いままでこんな話をしてもほかの人には伝わらないと思っていたから、内面を掘り下げてなんていう話を普通に話せてる今、すごく嬉しいんだけど!!

いずみ : 一人の人の人生ってすごいよね。書面で見てもあまり感動とかはないかもしれないけど、こうやって顔が見えて話せるっていいよね。

*補足ちい : 私が思う原因は、社会風潮に合わせていかないと生きていかれないという恐怖心。そのままの自分じゃ駄目だと思い込んでいたこと。競争社会の中で人に認めら れないと生きていかれないという風潮があると思う。その風潮にがんじがらめになったのは、学校での苦しい体験と家での苦しい体験が関係していると思う。

*いっちゃん : 両親の考えに従うことがいい子であると勝手に思い込んでいたことで、自分の意志で何かをすることができなかったし、しようともしなかったことでしょうか。 あとは痩せ願望は小学校くらいから、からかわれたことがきっかけでありました。自分の意見を言うことや仕事でのミスへの不安や恐怖、そのほかに対しても間 違っているのではないかといった恐怖感から逃げたかったのもあると思います。見えない何かに対する不安をどうにかしようとしているようにも思います。

*かつら : マイナス思考・こだわり・悩みを引きずる・悩みを人に言えずに抱え込んでしまう・周りに本心を言うことが、恐怖とまで感じていたこと・自分の感情を鈍麻さ せてまで、周りに合わせてしまう…という、性格。自分の中で、劣等感が過剰に前面に出ていたという現実。そして、幼い頃の家庭環境・社会環境の中で、自信 をなくしてしまう状況下にずっと立たされていたこと。それらすべてが原因だったように思います

*ルマ : 過食症だと気づいてからは、家庭に問題があるのかな?と思っていたけれど、今から振り返ると、不安でぽっかり開いた穴を埋めるために食べてたのだと思う。

*レイカ : 原因は今ひとつわからない。子供の頃、母親にあまり甘えられなかったこと、小中学生の頃のいじめ、私自身の完璧主義で神経質な性格があるのかもしれない…。

 

これは良かったという治療法

いづ : これは良かったという治療法はありますか?雅代ちゃんみたいに自分自身でおこなっていたことも含めて教えてください。

いずみ : 私は、医者は全然信頼できてなくて、さんざん自分でいろいろやってきて、でも自分では何もできなかった。某病院に約一年入院したら、何が良かったかという と、日常の人付き合いが遮断されていた。三食自分で作らなくても出てくるという環境の中で、自分の人生の棚卸しをする時間があったんだよね。一人暮らしだ と仕事もしながら生活に追われているとそんな時間ないし。そういう意味で利用させてもらえたなと。その後、自助グループのパインの会がすごくよかった。自 分にはかけてあげられなくても人には優しい言葉が言える。「いいよ」とか人に言い続けることで、自分の深いところに届いていく言葉があって、いつしか自分 自身にも言えるようになったんだよね。自分の成長によかったな。

saahko : 自分の内面を見る作業オンリーでやってきました。病院には行かなかったし、自助グループもなかったし。本との出逢いも良かった。人との出逢いもそうだけ ど、自分の中にはなくて自分では思いつかないような考え方が書いてあったりして、そこから新しい言葉や感覚を取り入れることができたかな。書き留めておい て、そのときどきでいろいろ試してみたり。やっていくうちに、過去を精算することができてきたというか、処理しないと前に進めなかったから。未来をはじめ て思い描けたのも過去を精算できてからだったと思う。

ちい : 私も、苦しいというのが根本にあって、これは一体何か、何とかしたいから見つめずには絶対進めなかった。これは何?というのから始まって、本やセミナーに 参加したり。ノートに気持ちを書きまくっていたのもよかったな。自分の気持ちを知ることもできたし、書ききった後には自然に自己肯定する自分も出てきたか らこれはよかった。そして、本やセミナー全部に共通していたのがやはり自己肯定感を大事にするというところ。今思うと、無意識にそういうものを選んでいた けど、やっぱり私にとってそこが一番必要だったんだと思う。

いずみ : 無意識に選んでたちいちゃんもすごいよね!

ちい : みんなもそうじゃなかった?

いづ : 私もそうだった。「根本的に、自分のことが嫌いやから過食なんや」と思っていて、その点はちいちゃんと一緒でした。いずみさんはどうだった?

いずみ : それはすごく後半かな…。回復の近道として“自分を好きになること”があると気づいたけど、それは後半だった。これはキーワードだよね。私は自分のこと嫌いやったし、自分のこと好きになることが回復には重要だと今でも思うよ。雅代ちゃんはどう?今自分のこと好き?

雅代 : 今は大好き。意識はしていなかったけど、辛いときは嫌いだったかな…。

saahko : わたしも、摂食を治す過程を経て、「自分を好きだ」と思えるようになったな。2003年からの流れで、自分が本当に好きだった「歌うこと」を実際に行動に 移すことが出来るようになって、さらに「自分のことを好きだ」と思えるようになった。でも…、実は昨年1年間大きく凹み、気持ちの問題から再び「歌えない 自分」になってしまって、自分のことを「好き」と言い切れなくなってしまったんだ。やせてる私だからOK、太ってる私だからNO…というのではなく、やせ てる・太ってる関係なしに、私は私が好き、というところにつながると思うのだけど、歌を歌っている自分はOK、歌えない自分はNO…というのではなく、凹 んでいる今の自分も含め、自分自身を全肯定したいと、今は思っています。そして、出不精の私が今日ここに来れたことは自分にとってとても大きい事。自らの 意志で選び、行動に移して来たってことが、今の私の自信につながったよ。

いずみ : 私は、あの過去を思うとすごく信じられないけど、好き!

いづ : 私も、今は大~好き(心を込めて)!摂食障害になった要因の大きな一つに“気質”があると思うんだけど、症状はなくなったけどその気質はまだ持ち続けていて、その部分で日々模索、葛藤は変わってないんだけどね。

ちい : 私は今でも大嫌いというのがぬぐいきれない部分がある、あるんだよね~。摂食障害は一応は回復したけど、その部分は今も生きづらさとなってあるな。

*いっちゃん : 私の場合は兄弟に話を聞いてもらうことで、共感してもらうことができたと思います。あとは、こうなるのではないかという、未来への不安を持たないようにな るべく努力しています。現在も過食嘔吐してしまっているのではっきりとは言い切れませんが。あとは買ったお惣菜より、自分で作ったり、誰かが作ったものを 1人で食べないことが過食嘔吐しないで済みました。

*かつら : AC(アダルト・チルドレン)が基本にあったんでしょうね。自分の感情・意見を大事にしなかったから、本当はどうしたいのか・どう感じているのかが、わか らなかった。それらを感じて、言葉にする訓練をして、誰かに表現する訓練をした。恋愛も、良い治療法だったのかもしれません。

*ルマ : 自助グループ。あとは「結果的に」ですが、私は働き始めたことがよかったと思います。罪悪感が大きかった「お金」の面が解消されたので。

*補足saahko : 私は、自分の抱えている現在の問題、過去から派生している問題、未来に対してどうありたいか??などなど、自分の心を大学ノートに書き出し、表に出してい くことで治ってきました。その際に私が大切にしていたのは、☆3つのkey word☆①素直になる(自分の気持ちに素直になる)②自信を持つ(自分の素直な気持ちを信じる)③今を生きる(自分を信じる気持ちをもって、行動に起こ す)。これを『自分らしく生きる』の基本的理念として持ち続けました。この3つのkey wordは、摂食を治すためだけでなく、『自分らしく生きる』という、自分の生き方そのものにまで通じていました。今も大切に、実践しています☆

 

薬はどんな効き目がある?副作用は?

いづ : みんな薬は飲んでいたのかな?薬にはどんな効き目があったか、また、副作用はあったかなどを聞かせてもらえますか。

雅代 : パキシル、ルーランとか結構飲んでたけど、効いたという感じはなかった。でも、効き目があっても気づかなかっただけかもしれないし、医者に言われるがまま に飲んでた。精神的におかしい状態になったときは、意識を朦朧とさせる薬を飲んで、それがないと生きられなかったな。

ちい : 何の薬かはおぼえてないけど、医者もわかっていなくて試験的な感じだったから、効くというのはないんだなと。でも、飲んでいれば自分じゃどうしようもできない部分を何とかしてくれるかもという一時的な安心感みたいものはあったときもある。

いずみ : 投薬をしないと入院できないからというので無理やり飲んだ。それも一粒だけ…。入院するために飲んだという感じかな(笑)

いづ : 薬のことってあいまいな感じだよね。わからないままに飲んでる方が多いような気がするね。薬飲んでるから安心という時期もあったり、薬が必ず必要っていう場合もあるんだよね、きっと。

ちい : 薬が必要なときもあるかもしれないけど、薬を飲むことだけでは摂食障害の治療にはならないよね。

*いっちゃん : 抗不安薬は初期にもらいましたが、薬の量が増えることに対して不安が募ってしまい、私には逆効果でした。

*かつら : 病院も薬も、自分に合わなくて捨てました。薬を飲んで仕事場に行ったら、仕事中に倒れてしまいました…。

*ルマ : 心療内科に1年半くらい通いましたが、投薬によって極端な不安定さが落ち着いた。ただ、ずっと飲み続けるのがいいのかは疑問。副作用としては、気持ち悪くなりました。

*レイカ :精神安定剤と眠剤(ロヒプノール)。眠剤はよく眠れるので良かったと思う。イライラしたら一日二回だけ安定剤を飲むように言われたが、効き目はよくわからなかった。副作用は特にないですが恐いので減らすようにしていました。

 

摂食障害からの回復とは?

いづ : では最後に、自分にとっての回復とは何か、教えていただけますか。

いずみ : 今までは、何かあると食べるとか体型とつながってた。回復しても嬉しいことも悲しいこともあって…摂食じゃない人もそうじゃない?思考パターンは症状のあ るときと一緒なんだけど、食べることとは直接的につながらない。つまづくところがそこじゃなくなったというか。まっすぐにそこにつながらないのが回復なん じゃないかな…。

saahko : 自分の思いで自分の人生を自分の足で歩いていけるようになってきたという点かな。今までは、与えられた現実の中でしか一生懸命頑張るしかなくてその範囲内 で自分を出すしかなかったけど、今は、自分の思いから行動に起こして自分で選んでいけるな~と。いろんな情報であふれているけれど、自分の必要なものを自 分で選び取ることができる。今までの摂食の経験は、自分の気持ちを行動にうつすっていう考え方や生き方の予行演習だったとも思えるな。

ちい : 私は、摂食障害って食べ物にまつわることだけじゃなくて、自己肯定感とか心の何かも必ずあると思ってる。二つとも回復してはじめて、摂食障害の回復かなと も思うんだよね。だから私の場合、食べ物に関しての症状は回復したけど、まだ根本のところは回復していないと思う。

いづ : 私にとっての回復…苦しくなくなることかな。心が楽になることやと思う。気づいたら自然に症状がなくなっていた。気づいたら、今まで心にあった“こうしな きゃ”というのがなくなって自由になっていた。それで、私回復したんやと思えた。自分の中にあったいろいろな囚われがなくなるということかな。

雅代 : 自然な満腹感とかは症状の回復だと思うんだけど、“普通で当たり前のことができるようになること”だと思う。当たり前はみんなそれぞれ違うかもしれないけ ど、私の場合は、空を見てきれいだなと思えること、ご飯を三食食べられること、テレビを観る余裕があること。普通の生活ができることが一番の回復やと思う。

 

 

~ 3時間という時間は、こうしてあっという間に過ぎていきました。『摂食障害の基本知識』ページをつくるために企画した座談会でしたが、このように体験を語 り合うということ自体が、わたしをはじめとして参加してくださった方にとっての宝物になったのではないかと感じます。回復したと感じている方にとっても、 まだ回復していないと感じている方にとっても、自身の体験や思いを語り合うということは、すごく意義深いことのように思えます。そういった意味でも、この ような座談会、これからもまた開催したいなあと思いました。 次は是非、あなたの体験を聞かせてください。 そしてみんなで、経験者視点の『摂食障害の基本知識』を積み上げていきましょう。 (いづ)

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