HOME > わたしたちの声 > わたしたちのストーリー > Vol.8 福多唯さん

 

アディクションからの回復とは、自分自身の価値観を生きることでした

結婚は「何とかしなければ…!」となるきっかけでした

アディクション回復の重要なきっかけは、私の場合は結婚で「人生や生活が自分一人だけのものではなくなった」と感じ始めたことだったと思います。
それまでは所詮自分一人の人生だとどこかで冷めていて、「どうしてもこの問題を何とかしなければ…!」という切実な思いを持っていなかったのに対して、結婚は「何とかしなければ…!」となるきっかけでした。

私、危険な香りのする人やダメな感じの人が大好きなの(笑)。
こんな人とこんな交際をしていても自分がボロボロになるだけだ、みたいな世界観にキューっと惹かれちゃう。
幸せになりたい一方で、所詮自分などこの程度がお似合いだ、みたいな感じがあって、…っていう言い方も相手に失礼やね(笑)。ってことも今になるとわかるんだけど(笑)。…とにかく、激しい恋愛をしていても幸せが遠いのはなぜ? みたいな。

でも、夫は全然違いました。まず、危険な香りがしなかった(笑)。私へのアプローチや関わり方も、それまで私が恋愛関係に陥った人たちとは違っていて、 いわゆる『ズルズル感』や『計算』がないんです。なんていうか、ヘルシーな感じ。
彼の家に初めて行って両親にお会いしたときにも、私が知っている『家族』 の空気とか、私が知っている親像とはなんとなく違う印象でした。

今までの私のパターンや世界とは、この人たちは全然違うところにいるんだなと思って、この人と人生を共にすれば、私でも《あっち側の世界》にいけるかもしれない、という感じがしたんです。

《あっち側の世界》は居心地が良くなかった

でも、すぐには行けないんですよね。私には私なりの行動や思考回路の癖があるので。 それに、彼側のヘルシーな世界には私は馴染みがないから、最初はあっち側は期待したほど居心地が良くなかったの。ならばこっち側に彼を引きずり込もう、と いろいろしてみましたが(苦笑)、彼は絶対にこっち側にはこない人でした。すぐに同じ世界に住めるようになったわけではないんです。
今は、私も、健康な世界にいる、…つもり(笑)ですけど。

例えばね、彼はよく「お互いに足をマッサージし合おうよ」って言ってくれてたんです。でも、私はそういうのが大の苦手でダメだったから、「マッサージをしあうなんてイヤだ」ってことを言うんだけど、すると夫は、「じゃあ、君は何もしなくていいよ」って私の足をマッサージしようとするの。でも、そんなことをされちゃったら、私は彼に何もしてあげていないのに・・・と、非常にいたたまれない気持ちになって、益々私には苦痛なわけですよ。

で、彼にもそう説明するんだけど、でも彼は「ボクは、君の疲れている足をマッサージしたいからするだけで、君がそのことで僕にお返ししなくちゃと思う必要はないから」と平然と続けるわけです。

夫婦なのにそこまで言われて頑なにマッサージを拒むのもナンかなと(笑)、「じゃあ、私はあなたにはマッサージしないからっ。『してあげたのに』 とか後から絶対に言わないでよっ」と念を押して、やっとの思いで足を出したり、背中をほぐしてもらったり。そうやって念を押しても、最初の頃は『してもらっている』という構図が苦痛で、マッサージを快適に思うどころじゃなかったです。

「こうでなければいい人生を送れるはずがない」と思っていたのと、違う路線で幸せそうにしている人がいる

それを積み重ねていくうちに、世の中には本当に、何の見返りも代償も求めずに、私に何かを与えたいと思ってくれる人がいるんだ、ってことがわかってきました。
《良い子でなければ愛されない》とか、《善い人間でなければ人からのケアを受けるに値しない》とかの思い込みの塊だった私には、延々とただマッサージをし続けてもらえるという関係性は理解しがたかったけど、夫は本当に私に見返りを求めなかったし、しかもなんか、楽しそうなの。新鮮でしたね。

今でも、私はほとんど彼にマッサージはしないです。って威張ることでもないか(笑)。その上、今は「肩が凝ってて痛いんだけど、ちょっと揉んでくれない?」と、自分から夫にリクエストまで出しちゃってます。

彼は私にとっては、私のパターンや私の中に刷り込まれた概念とは全然違うところで、おおらかに伸び伸びと、そしてそういう自分に堂々として生きている人なんですね。

私が「こうでなければいい人生が送れるはずがない」と思っていたのと全然違う路線で、幸せそうに生きている人がいて、そういう人と毎日一緒に過ごして顔を合わせていると、徐々にですけど「ああ、別の路線でも行きたいところに行けそう。大丈夫なんだな」って、思えるようになりました。
そうやって 徐々に『あっち側の世界』の住人になれた感じです。


双子育児で
「自分の根っこからどうにかしないと…」と思った

妊娠は結婚後に割と早い段階でわかり、双胎(双子)だと分かるのも早かったです。その時点で、「とにかく大事にして、そして体重コントロールは普通の人以上に気をつけてね」と周りから言われていました。

そういうこと言われると、私達って燃えるじゃないですか(笑)。

それで食事や体重を厳密にコントロールして臨月まで持たせて、10ヶ月後の出産当日は双子なのに7.2キロ増という、今思うと驚異的な妊婦生活を送ってたんですが、あの頃は、「私はそれができる人間だ」っていうことで自分を支えてたんですねぇ…。

だけど、産んだら悲惨なの。子どもはコントロールがきかないでしょ。赤ちゃんは、いつ泣くとか、いつご機嫌になるとか、いつ不快感を示すとかわからない。
でも関わらないわけにはいかない。しかも双子。
それで私の限界を超えちゃって、育児に対して非常に追い詰められた気持ちになってました。子どもって本当に面倒くさいとしか思えなくなって、「私、このままだとかなりヤバい」って。

それに、その辛さは、子育てでの負担だけではなくて、摂食障害だったこととか、周りと自分が何か違うんじゃないかと感じていたこととか、自分の深いところと関連があるのだろうと、なんとなくわかっていました。
だから、夫は一緒に育児も家事もしていたんだけど、それだけじゃ私の場合は足りなかったの と、周りの手助けがどうこうというよりも、「一刻も早く、自分の根っこからどうにかしないと…」という気持ちでいっぱいでした。

身体だけでも楽に子育てをしたいと、通院先を探す

何からどうしたらいいのかはわからなかったのが正直なところですが、結果として、本はけっこう読んでいたかも。読書なら育児中の細切れの時間でもできたから。
ちょうど当時、アダルトチルドレンとか機能不全家族とかいう言葉が書籍を通して社会に広まり、話題にのぼっていた時期だったんです。
で、色々読んで、自分の課題が沢山あることが見えてきて…。

私は、幼少期からずっと喘息なのですが、その頃調子がすごく悪くて育児も日常生活も辛かったんです。ですから、喘息だけでも治まればもっと身体的に楽に子育てできるんじゃないかと考えました。独身時代は、不調になってから病院に駆け込んで点滴を打って…と対処療法的にしのいでいたのですが、もう、それじゃダメだと。

それで、喘息の治療ができて、私のメンタル面も診てわかってくれて、私はもう一つ持病があるんですけど、その病気も一緒に診てくれる病院を探しました。双子を連れてあちこちに通院することは出来なかったので、一カ所で済ませたかったんです。石川県には実は喘息治療で全国的に有名な病院があるのです が、私の場合は、その病院でも喘息は良くならなくて。それも問題の根に取り組まなくてはダメなんだ、と私に思わせた要因のひとつです。

そうやってやっと見つけた病院で、自分の全ての持病とからめながら、今現在の精神的な辛さも話すことができて、メンタル面用の、怒りの衝動とか過剰な食欲がわかなくなるという薬を出してもらうようになりました。

イライラカリカリしていた自分を心底から「大変だな」と思った

「緩やかに効いてくるから最初はそんな劇的な変化はないので、2週間~3週間は飲み続けてくださいね」って言われて薬を飲んでいたんですが…。ある日、掃除機をかけながら、なんと自分が鼻歌を歌っていることに気付いてしまった!(笑)

これまでの私の世界観では、鼻歌を歌うとか踊るとかっていうのは、そうしたほうが効果的だと計算づくでする(笑)か、または「『何も考えずにやりたいことをポンと出来る気楽な人たち』が考えずにすること」なわけです。「ナチュラルに鼻歌を歌う私なんて、そんなの私じゃない!」って、仰天ですよ。

でも同時にそのときに、「でも…そういえば、ここ数日間なんとなく神経がカリカリ波立たなくて、ちょっと穏やかな状態が続いているな」と思ったの。

私は私を、イライラカリカリした人間だと、それまでずっと思ってたんです。それが自分の性格なのだと。でも、鼻歌を歌う自分になってみると、「もしかして健全な私の状態っていうのは、今のこの状態なのかも?!」って気がしたんです。そしたら、かつての、常にイライラカリカリしていた自分のことを、「わぁ、すごい大変だったなぁ」って心底思えて、自分で自分に思いやりを持てるようになりました。

私もこんな風に穏やかでフラットになれるのだという体験をきっかけに、じゃあ、いかにして自分がイライラカリカリしないで居られるようにすればいいのかを、毎日の中で考えて行動すればいいのかも…って思えてきて。
それからは、自分に負担をかけないことを念頭に置くようにしました。自分にムチを打つような生活にどっぷりだったわけですから、あれは大きな転機のひとつでした。

そこにはしばらく通院しました。それまでも、私は依存症の治療のために心療内科や精神科に行ったことはあったんですけど、このときの主治医は一番私にとって良かったです。あっさりしていて、余分なことを言わない先生でした。

行くと「この一週間はどうでしたか?」と聞いてくれて、こちらが話すと「そうですか」って言ってカルテに書いて「他には何かありましたか?」みたいな感じ。
アドバイスとかコメントとか、滅多にしないんです。でも、すごく肝心な場面では、「なるほど。そのお気持ちはわかるような気がします」って気持ちを受け止めてくれたりして。

言いたいことを言い尽くせる同士との出会い

あともう一つ大きかったのは、双子の母親で、なおかつ摂食障害だというふたりの女性との出会いがあって、沢山話せたことかな。

そのふたりとは主にメールでやりとりをしてたんですけど、お互いに双子の親だという親近感に加えて、摂食障害だとわかって、話したいことが次から次へと止まらなくて(笑)。一日にメールが4往復も5往復もするような濃いやりとりを、どのくらいかな…半年くらいかな、していた時期がありました。

はっきり言って当事者でないと、あそこまで濃い世界には付き合いきれないと思う(笑)。一般的な感覚だと『そんなことばかり言ってないで、前向きになれよ!』って説教したくなるようなことばかり話してましたしね(笑)。
でも、そういう、他ではできない話ができたということと、話し尽くせたってことが、結果的には良かったです。

話してスッキリ、とかじゃなくて、言いたかったことを言い尽くしたからこそ、私にとって核になる部分にコツンと触れることが出来たって感じです。

雪崩のように、全てが一気に崩れて流れたその瞬間

私は海外旅行が好きで、当時もそのふたりに旅行が好きだっていう話をしていました。それと同時に、私は日常生活でも色んなことを過剰に管理しすぎる面が当時まだ強烈で、特に、双子でお金がかかっていたから、お金の節約に躍起になってたんですね。

例えば、子どもたちと公園に散歩に行ったときに、公園の水道で哺乳瓶に200mlの水を汲んで帰宅して「この水の分の水道代が節約できた」と悦に入る、みたいな(笑)。

ある日、そこまでして私が節約・倹約してるっていう話をそのふたりにしたら、「なんかアンバランスでおかしいよ、そんなに過剰に倹約するのに、海外旅行とか行くの。何でそんなに旅行にはお金を使えるの? 旅行の何がそんなにいいの?」って聞かれたんです。

そう聞かれて「ホントだ、何で旅行だとお金を使えるんだろう? 旅行をやめれば水なんて溺れるほど使える」ってはじめて気づきました(笑)。とても不思議だったんだけど、そう言えば私は自分のことを知っている人が誰もいないところに行くことや、言葉が不自由な外国に行くのが、本当に好きだよなーって。なんでだろう?って。

特に海外で、日本語が通じない…ってなると「英語だと、これしか言えないもん」とか、相手も英語が第一言語でない国の人の場合はさらに「多少通じ合えなくても仕方ないか」となって、いろんなことをバサッと切り捨てられる自分になれるのが快かったんです。

それで、そのふたりに「日本語のままだと、いろんなことをこだわっちゃうけど、英語だと細かなことは気にしようがないから、なんか、海外だと考えるのも話すのも楽なんだよね」みたいな返信をして、その後の通院の日に、主治医にもその話をしたんです。

そしたら、先生が「なるほど。お友達がそういう質問をしてくださって、英語だと不自由だから、細かなことは切り捨てるしかなく、逆に考えたり話したりするのが楽だと気付かれたわけですね。それは確かに面白いですね」と、私の発言をそのままに伝え返しをしてくれて、…その瞬間に、自分の中で「あ、…わかっ た!!!!!!」って。

伝え返された言葉が私の中で何かにコンッとぶつかって、雪崩が起きるように一気に全てが崩れて爽快なほどに流れ去るような大きな変化が、私の内側で起きたんです。

自分とは、いったい『誰』?!

私達日本人が日本語を獲得する過程は、成長の過程でもありますよね。単に言葉だけじゃなくて、いろんな価値観もくっつけて覚えながら成長します。例えば、「人から何かをもらったときには『ありがとう』だよ?!」とかに始まって、「久しぶり!」と言うよりも「ご無沙汰しております」のほうが フォーマルだ、とか。

言語の習得過程は、どういう考え方や価値観なら『善く』て、どういうのが『いけないこと』で『ダサい』のかっていうのの習得過程でもあったりもする。
自分が何をどうしたいかとか、本当の気持ちはどうなのかとかを母語で考えようとすると、どうしても私の場合は、そういう、育ちの中でしつけられて身につけてきた概念や価値観の縛りから完全に自由にはなれないんです。

例えば、「最後の1個を食べたいけど、ここで手を出すのははしたないことだな」となっちゃうと、食べたいのかそうしたくないのかわからなくなってがんじがらめ〜、みたいな。
そういったことが、あのとき、一瞬にして「全部わかった!」んです。

私が、人として正しいとか善いことだって考えてきたことは全て…私はそれまで無自覚に、自分自身のオリジナルな考えのように思ってきたけれども、実は全て親や大人や世間から植え付けられていただけなのでは?! って。
自分とは、この身体の内側で生きてきたのは、一体『誰』なの? とすら思いました。

その、「わかった!」の瞬間に、大げさかもしれないけど、世界が変わって見えたんです。目に入る景色の色合いが全然違うというのかな。『空が青い!』と(笑)
それが直接の回復…というか、すべてがわかって、それまでのすべてが要らなくなった瞬間です。

その日から、過食嘔吐もないし、他の依存症行為も要らなくなったし、メンタル系のお薬も要らなくなりました。喘息は、奇跡のように治ったわけではなく続いていますが、今持病で通っているのは近所の一般的な内科で、体調も良いです。

子ども? その日帰宅した直後から可愛かったですよ(笑)。
普段なら子どもなんて憎々しくて、
私の手足をひっぱる面倒な人の映像としてしか私の目に入ってこなかったのが「あら泣いているの~?よちよち」と映って自分でもオドロキ(笑)。その極端さもいかにも私で、今になってみるとどうかと思うけど(笑)。 でも、本当にその瞬間から楽になったんです。

もともと『嫌い』になるほど大きく決定的な出来事なんて、乳幼児と私との間にあるはずがなくて、私の認知の歪みがあっただけなんですよね。

日常は「こんなときどうすればいいの?」の連続

今まで自分が善しとしてきたことや、これしかないって思ってきたことが、実は自分自身の考えではなくて、植え付けや刷り込みだったのか…と見えちゃったら、もう、そういうものはとりあえず、一旦全部要らなくなります。
ただ、すぐに次の課題に直面しました。 

というのは、これまでの価値観を手放すことが出来たとしても、新たな価値観や行動の仕方を知らないと、日常は「こんなときどうすればいいの?」の 連続で、まごまごしちゃうの。
それで新たなものを体験を通して学ぶ必要性を感じて、気になったことについては本を読むだけではなく講座等に足を運び、そこで様々な新たな行動の選択肢に出会いました。

今でも「ああ、私またこういう考え方をしている」とか「こういうふうに人のことを見そうになっている」と気付くことはありますし、イライラカリカリすることもあります。でも、今はそういうときの対処を、いくつかの選択肢から選べるようになったので大丈夫です。
あの頃のあの切羽詰まった煮えたぎるものがグワ〜ッとくるような(苦笑)、ああいう身体に悪い感じ(笑)のしんどさはないですね。

特に、フォーカシングや Wen-Do は『それは身体にどのように感じられるか』との視点で、危険か安全かを非常にクリアにしてくれて、私にとっては私をヘルシーで安全な人生に近づけてくれる指針なんです。「No Wen – Do, No life.」です(笑)。

おかげで、激情や衝動や罪悪感に翻弄される感じは、今はありません。

「で、福多さん自身は、今、元気? 幸せなの?」

夫のような人と共に過ごしてきたということと、同じ立場の人ととことん話し尽くした体験、病院での服薬を含めたシンプルな治療、プラス私自身の 『新たな方法を習得するための行動』。私の場合は、振り返ってみると、そういう実直なことの積み重ねが私をここまでにつなげてくれたなって感じます。

先日、ある人に会ったんです。その人は、私が私の辛さから目を背けて空威張りでブイブイ言わせてた頃(笑)に「で、福多さん自身は、今、元気?  幸せなの?」と尋ねてくれた人です。私、その問いに『元気です。幸せです』って答えられなかったの。『幸せよ。決まってるでしょ』と言えば簡単なことなのに、言わせてなるものか!っていう何かが私の中に居て、言葉に詰まっちゃって。そのことがショックで、ガーンとやられた気分でした。

その人に先日ある場所で同席出来て、私のほうから『私、今は本当に元気で、幸せです』と声をかけに行きました。
そうしたらそのかたも、以前 私に質問をしてくださったときのことをよく覚えているとおっしゃってくださって、「そう。良かった〜!」と喜んでくださいました。

私は幸せになっていいと思えて、私は幸せですと言える自分になれて、しかも幸せになっても妬まずに喜んでもらえて。なんかすごいなぁって。人生ってすごいなぁって思います。

(2011/8/24 取材・文 安本ちひろ)

プロフィール/発症からいままで

福多唯さん

群馬県出身、石川県金沢市在住。
児童期から青年期にかけて持病による長期入院、不登校と留年、依存症などを経験。結婚後、双子育児の辛さから、依存的な生き方からの脱却と暴力・虐待防止などに関心を持つようになる。
自分自身の攻撃性や暴力性に取り組む中で、「女性のためのセルフディフェンス Wen- Do(ウェンドウ)」に出会う。
現在は日本でのWen-Doの第一人者(日本での講師養成責任者/講習インストラクター)として活躍中。

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