HOME > わたしたちの声 > わたしたちのストーリー > Vol.2 岡井ルマさん

 

“ありのままの自分”という感覚に、社会に適応する術を積み重ねて“いまの私”へ

 

完璧主義からおおざっぱな私へ

吐かない過食が、15歳の頃から始まりました。25、6歳で折り合いがつくまで、約10年間の過食の日々。苦しかったんだろうな…、だから食べ物があればとにかく食べまくっていたんだと思います。でも、苦しかった頃のこと、なぜか鮮明には思い出せないのです。きっと、生きていくために開かずの箱にしまわれているのかな。

私はおおざっぱになったなぁとつくづく思います。ほかの摂食障害の回復者や当事者の方を見ていると、言葉の使い方にすごく気を遣うところなど、みんな真面目なんだなって感じるのですが、今の私にはそういうのがないです。昔はもう少し他人のことを気にしていた し、もっと丁寧に言葉も選んでいたし、完璧主義でした。

でも、おおざっぱになれたからこそ回復できたのかもしれません。私の場合は、自分の真面目さや完璧主義を手放すことで治ってきのだと思います。

 

自助グループとの出会い

大学を中退して一年も経たない22、3歳の頃、手に職を!という焦りもあり、映像字幕の専門学校に通い始めました。
ちょうどその頃、学校近辺に自助グループがあることを知り、行ってみたのが自助グループとの出会いでした。初めて扉を開けたときは、なんか変なところだ、大丈夫かなとドキドキしたことを覚えています。
でも、今までに聞いたことのない価値観を語る人たちとの出会いがとても新鮮でした。“ニコニコしなくてもいい”とか、“なんにもなくてもいい”とか、“ありのままでいい”などの言葉たち。初めて出会った価値観でしたし、居てもいいよと言ってもらえたことも嬉しくて、それから一年間ほど毎日のように通いました。

とても居心地が良かったです。そこでただ寝そべっていたり、ミーティングに参加する過程の中で、そういったメッセージを自分の中に刻みこんだ日々でした。
それらの言葉を、ほかの仲間から聞くことで納得して、そのうちに自分自身にも言い聞かせられるようになっていきました。自分はどうやら不完全らしいと気づくことができ、真面目にやろうなどと思わなくなりました。

でも、この毎日がずっと続けばいいなと思う反面、 一方で居心地が良すぎて外には交われないような気もしていました。ここに居続けては駄目だと感じる時が来たのです。ちょうどその頃、学校を辞めて就職することになり、結果的に自助グループに通うこともなくなりました。

 

社会へ!

その頃、純粋培養され過ぎていた私は、社会とのバランスがとれていなかったなと思います。もう少し自分を抑えたり、装うことも必要だったと思うのです。

自助グループで身に付けた、“わたしはわたし!”という感覚が強すぎて、会社では苦しかった。仕事が深夜に及ぶことも多くて、ストレスフルな毎日でした。食 べたくて食べたくて、会社を抜け出してこっそり食べることもありました。

長時間労働があまりにもしんどくて、二年余りで退職し、次の職場ではこの経験を踏まえて、時には自分を装うことも心がけました。今は、その職場で四年目に入るところです。

内容は、英語を使う貿易関係の仕事。社内で嫌なことがあっても、海外のお客さんとやり取りすることで視野が広がり、 踏ん張れる部分もあります。
過食の衝動も、今の仕事に変わってから生活のバランスがとれたせいかおさまりました。ここで働いていれば次の職場でもなんとかなりそうだという、スキルを積み重ねている安心感もあると思います。

英語は専門でもなく、資格があるわけでもなく、留学経験があるわけでもないのですが、 前の職場で英文チェックをする機会があり、英語が得意だったことを思い出したんです。「何も特技がなくて駄目な私」と思っていましたが、どうやら一般の人より少し英語がわかるらしいと気づき、英語を使ってできる仕事をしようと思ったのが今の会社で働き始めたきっかけです。

 

“ありのままの自分”プラス積み重ね

なんにもなくても認められるとか、ありのままの自分とか、それだけだと長続きしなかったと思います。だんだん現実が見えてくると、何もなくて社会で生きていくのは正直苦しいと痛感しました。
私の場合、まず自助グループで何もなくても大丈夫と思えるようになり、 現実が見えてきた次のステップで少しずついろんなものを積み重ねてきたなと思います。例えば好きなことを見つけるとか、お金を貯めてみるとか、そういったプロセスの中で社会にも適応できるようになった気がしています。

自分を認めてあげるレベルが、とりあえず生きてるからOKから始まって、ごはんがおいしいからOKなどになって、そのうちにできることが増えていって、だんだん上がっていくというのかな。

自助グループという居心地のいい場所を抜け出した後に、社会との折り合いのバランスを見つけるまでがすごく難しかったなぁと思いますし、今こういった部分で悩んでおられる方々に、わたしも何か力になれることがあればと思って います。

 

昔の自分からの脱皮

回復への大きなきっかけとなった自助グループとの出会いでしたが、実はその後
にもう一つ大きなきっかけがありました。それは、“捨てた”ことです。モノを捨てることで昔の自分から脱皮していったとでもいうのかな。

今の会社に就職した頃のある日、自助グループに通っていた頃に付けていた数冊のノートをびりびりに破ってごみ箱に捨てました。ノートだけではなく、過去の栄光を物語る通知簿や表彰状や、写真も全部捨てました。線がたくさん引かれた摂食障害関連の書籍や、痩せて いた頃に着ていた服、太っていた頃に着ていた服も、全部、びりびりに破って捨てました。

結果的にはそれが浄化作業みたいになったと思います。今でも、私の 周りはモノが少ないです。私にはこんな余分なものはいらないはずだと感じたら、どんどん捨てています。必要なものだけを、まわりに置いておく。おおざっぱですね(笑)

 

身についたのは、“なんとかなる”という感覚

今の自分は、自分にOKが出せていると感じます。
この部分が駄目でも、いい部分だってあると思えたり、駄目なものは駄目なんだから仕方がないと思えたり。
悩むこともあるけれど、どうにもならないのだからと開き直って別のことができるようになりました。自分の限界が見えてきて、このままだとどこかでぶち切れるなとか、食べて取り戻そうとするな、などとわかるから、無理をしません。

わたしの根本に、“なんとかなるんじゃないか”という核のようなものがあります。丁寧でなかったとしても、 無理をしてがんばらなくても、おおざっぱでも、きっとなんとかなるはずだと。本当に長い道のりでしたが、この、“なんとかなる”という感覚が、長い時間を かけて培った大切な宝物だと思っています。

(2009/6/8 取材・文 あかりメンバーいづ)

 

プロフィール/発症から回復まで

岡井ルマ(28歳)

埼玉県在住。過食症キャリア約10年。信州大学中退。
大学在学中、持病+摂食障害で生活がままならなくなり、底つきを経験。その後、自助グ ループに通うことで価値観が変わり、症状が徐々に落ち着く。現在は貿易商社に勤務。趣味はエアロビクス。あかりPJ発起人メンバーのひとり。大学中退後、 どうやって生きていけばいいのか全く分からず、絶望の淵に立たされた経験から、将来的には摂食障害・依存症者の就労支援に携わりたいと思っている。