HOME > わたしたちの声 > わたしたちのストーリー > Vol.1 ともさん
13年間、摂食障害で苦しんだ経験を活かし、カウンセラーとして、苦しみを受け止める側に
母親との関係、学校での孤独感、就職活動期のダイエット
回復までに、20年という長い年月がかかりました。発症の理由は?と聞かれると、ひとつではなく、複雑に絡まりあっています。でも、やはり母親との関係も原因のひとつだと思います。母は完璧を求めるタイプ。私が一生懸命がんばっても、まだできてないと指摘し、 子どもを決して認めない人でした。
また、母の希望もあり、小・中・高校とミッション系の私立の学校に通っていたのですが、そこはお金持ちの家の子が通うところ。我が家の経済状態では無理して通っていた学校で、同級生に対し、劣等感や羨望を感じる部分がありました。クラスの中でも孤立していた私。つらい学校生活の中、信頼できる先生との出会いも残念ながらありませんでした。
就職して間もなく発症。就職活動中に「もう少しスリムなら、スーツをかっこ良く着こなせるのに」と思って、 ダイエットを始めたことも病気につながったと思います。その後、20年近く苦しんできました。
その間、楽だなと感じる時期はほとんどなく、暗闇の中をさまよい続けるような日々でした。でも、渦中にいる時は同じところをグルグルしているだけと思っていましたが、後で振り返ると、決してそうではなかったのです。目に見えない水面下で、少しずつ回復に向かっていた…。主治医が「変わらないということは、今の状態を保てていることだから、以前より悪くなっている というわけではない。それも成長だよ」と言ってくれたことがありました。回復した今は、その言葉の意味がわかります。
「カウンセラーの勉強をしてみたら?」と言われ…
でも、当時は症状がいっこうに良くならず、結婚して富山に移ってからも過食、下剤の乱用を繰り返していました。死にたいと本気で思うこともありました。
そんなある日、通院していた病院の臨床心理士に「カウンセリングの勉強をしてみたら?」と言われ、放送大学に入学し、5年かけて卒業し、認定心理士の資格を取得しました。その臨床心理士の先生は最後までずっと私を支え続けてくださり、研修の受け入れ先にもなってくださいました。
カウンセリングを学ぶことは、自分と向き合うこと。苦しい作業でもありましたが、おかげで自分自身を冷静に分析することができるようにな りました。
そして、幸運なことに卒業後、カウンセラーの職に就けることになりました。最初は「こんな自分が人の相談に乗れるのだろうか?」と心配でしたが、相談者の顔色が明るくなったり、「話してスッキリしたわ」というお言葉を通して、少しずつ自分自身にOKを出せるよ うになっていきました。
そして、カウンセラーの仕事を始めてから、あんなに長い間苦しんだ摂食障害の症状が不思議と治まってきました。人間って「自分は誰かの役に立っている」と思うと、絶望から希望が生まれるのですね。
「自分が苦しい思いをしてきた分、人の痛みがわかるんだね。今の仕事は適職だね」と言ってくださる方もいま す。でも私の場合、諸刃の刃。相手にぐっと入り込むと自分も相手も危うくなってしまうので、そこは継続して訓練を続けています。
だけど、確かに今の仕事ができるのは、過去の経験があってからこそ。苦しい経験は決して無駄ではありません。
カウンセラーの自分が、クライアントの自分を癒す
実は、私の中で気持ちが切り替わった瞬間というのがありました。それは、先生からカウンセリングを勉強してみないか、と言われた時。ふっと自分がカウンセラーになっているイメージがわいたのです。それは、とても不思議な感覚でした。
いつもはクライアントで、こちら側の立場にいる人間なのに、それがあちら側にいる。しかも浮かんだイメージというのが、自分がふたりいるシーン。つまりカウンセリングをしている自分 と、カウンセリングを受けている自分。ふたりの自分が互いに向き合っているのです。そして、カウンセラーの自分がもうひとりの自分に、「今までよくやって きたねぇ」と、やさしい言葉をかけたのです。
その時、なにか言葉にならない変化を感じました。自分で自分にやさしい言葉をかけられたのは、おそらくそれが初めてだったと思います。
もし今、苦しんでいらっしゃる方がいたら、一度、イメージしてみてはどうでしょう。「自分がカウンセラーだったら、自分にどんな言葉をかけるだろう?」と。
「待っている」と言ってくれた主人
また、主人との出会いにも救われました。主人は私の病気に対し、口出ししない人でした。私は心配されるより、ほっとかれる方が気がラクだったので、彼の態度は助かりました。
仕事から帰ってきたばかりの彼に「お弁当買ってきて!」と無茶を言うこともありました が、彼は黙って受け入れてくれました。でも、そんなことをした後は決まって、申し訳ない、私とは離婚した方がいいんじゃないか、と悔やみました。
でも、ある時、担当の臨床心理士の先生が、偶然、主人と外でバッタリ会う機会があり、主人に「奥様のことをどう考えているのか?」と聞いてくれたことがありました。すると、主人は「僕は待っています」と言ってくれたそうです。(回復するのを)ただ待っていると。
その言葉を後日、先生の口から聞いた時、主人に対する安心感がふっと広がりました。直接、本人から聞いても、反発して受け止められなかったでしょう。 それが信頼を寄せる先生から聞けたことで、すっと胸に入ってきて、素直にありがたいなと感じました。
今、思うと、主人も先生方も待っていてくれたんですね。私の回復を信じ、焦らず待っていてくれた。それで、ようやく「自分は受け止められている」と感じたのだと思います。
草花を時間をかけて育てるように、少しずつ自尊感情を育てる
私は自尊感情が低い人間だと思います。これはたぶん、摂食障害の多くの方が感じておられることでしょう。私の回復過程においては、自分で自分の自尊感情を育てるということが一番大事なことだったと思っています。
それは、自分自身に優しい声かけができたり、自分の中のマイナスな気持ちをも受けとめられるようになること。
そうはいっても「自分を守るだけで精一杯。とても育てるところまで余裕がない」という時期もあるでしょう。私もその時期がずいぶんと長かっ た。でも、その時期だって決して無駄ではありません。草花を時間をかけて大切に育てるように、少しずつ少しずつ、自分にOKを出し続けてみましょう。
私自身が、その作業を今も大切に続けていますし、これからも続けていくのだと思っています。
(2009/5/26 取材・文 ライター佐々木淳子)
プロフィール/発症から回復まで
ともさん(46歳)
福岡出身。23歳から43歳まで摂食障害をわずらう。地元の大学を卒業後、大阪の旅行代理店に就職し、まもなく摂食障害を発症。初めての営業職や一人暮 らしによるストレスで食べられなくなる。数ヵ月後、今度は反動で過食に。下剤も乱用。2年後、心身ともに衰弱し、退職。実家に帰って、摂食障害の専門医と 出会う。7年間、入退院を繰り返す。31歳で結婚し、富山県に移住したが症状は良くならず、再び入院する時期も。だが、37歳の時、放送大学教養学部で心 理学の勉強をする傍ら、心理相談室で助手を務め、認定心理士の資格を取得。卒業後、カウンセラーとして働いている。その頃から自然と摂食障害の症状が治ま る。現在は富山県射水市の子どもの悩み総合相談室などでカウンセラーを務めている。