いろんな人に聞いてみよう!第三回は日本心身医学協会池見隆雄さんとの座談会をお送りします。

「心と身体の相関」「身体から出す言葉」そんな事々をテーマに、池見さん、お弟子さん、リカバリーフレンド3名での座談会となりました。

グループでの対話は、話がいろんな枝葉にわかれたり話題が行ったり来たり繰り広げられます。
今回の座談会も例に漏れずでしたが、その様子をなるべくそのままお伝えできるようにあえて大幅な編集は行いませんでした。

参加者それぞれの心の動きや、池見さんの細やかで誠実なファシリテーションにも着目してお読みいただければ幸いです。

(座談会 2015/10/24  記事アップ 2016/3/28)

 

座談会メンバー プロフィール
池見隆雄さん(池見
一般財団法人日本心身医学協会主宰。 心身医学の研究を促進し、その啓発普及に務めることによって、心身医学の正しい知識と恩恵を蒙る機会を増進、 助成して、社会に貢献することを目的とした協会。
中でもセルフコントロールの方法として、エンカウンターグループなどのコミュニケーションでのアプローチと、ヨガや自彊術(じきょうじゅつ)など身体でのアプローチの両方に精力的に取り組んでいる。
日本心身医学協会のウェブサイト http://www.chipchat.ne.jp/self/

渋谷さん(渋谷
日本心身医学協会の講座に通って10年余り。
池見隆雄さんの自称弟子としてエンカウンターグループの良さを広める方法を模索中。
精神保健福祉士。

まっちゃん(まつ
あかりプロジェクトリカバリーフレンド。プロジェクトには立ち上げ当初から参画。自らの経験から、精神科医を目指して現在学業と仕事の両立生活を送っている。

みか(みか
あかりプロジェクトリカバリーフレンド。プロジェクトに参画して3年目。高齢者福祉関連の仕事に従事する傍ら、舞鶴、京都市内であかりトークファシリテーターを務める。

いづ(いづ
あかりプロジェクトリカバリーフレンド。 あかりプロジェクト発起人。数年前に池見先生のエンカウンターグループに参加し、そのファシリテーションに感動。身体と心、両方へのアプローチについて関心があり今回の座談会を依頼。「でも、身体と心はつながっているものだから…」との言葉を事前にいただき、ますます興味深々で今回の座談会に参加。

 

体から出さない言葉は、自分の言葉じゃない

みか : 摂食障害の人って、根本のところ、症状の出どころについて、具体的にはわからないにしても、なんか、うっすらとした自覚はあるような気はする

いづ : みかさんそうやった?

みか : 一番最初は奥になにかあるんだろうなって思ってたけど、1年経ち 2年経ちしてもどんな状態かわからなかって…

いづ : 私、お医者さんに「あなたは感情を押し殺してきたから、今こんなふうになってるんだよ」って

まつ : そんなん言ってくれたん?

いづ : 言ってくれたお医者さんがいたんやけど、あれはよく言ってくださったなって今になったら思うけど、その時は全然響かんかった。ちょっとなんか外国語みたいな感じ? そこでわかっとったらあんなに苦しまないで済んだと思うけど。
自分のこと嫌いなのが原因なのかもしれ んなあってうっすらとは思っていたけれど

まつ : 私はね、わかってたと思ってる。

わかってたと思うけれど、行った病院が悪かったかもしれないけれど、わかってる中でお医者さんとそんなやりとりをするんだけれど、そこへのアプローチが一切なかったんですよ。
症状しか見てくれていない。

最初はじんましんが出たんですよ。じんましんを治療してもしても治らないから皮膚科の先生はちょっとおかしいなと思って、精神科行ってくださいと。
でもそこで見てくれるのは身体だけ。症状しか見てくれない。
後ろにある気持ち、自分でもうっすらたぶんわかってるんですけどそこにはなかなか…。

それで逆に自分の気持ちが複雑になり…最初からそこへのアプローチをしてくれていたら早く良くなってたかもわからないなって今聞いていて思ったんですけれど。
そこへのアプローチがもっと迅速にかけれるように、もし自分がお医者さんになったら身体の治療もするけれど心理的な治療もするという、いろんなアプローチができたらいいのかなって。
薬も使えるし、そこを見てあげられるのはお医者さんかなと。

だからお医者さんになりたいと思ったんですけれど、でも現実に症例とか見ているとやっぱりそこにアプロー チされていない。身体しか見てない。脳の病気やっていう先生もいるし、自分はそんなところではなく…そういうの間違いですかね?

池見 : いや、それは、初期の心療内科のまさに目指していたところでしたね。
でもやっぱりなかなか総合的に関わるということは難しくて、ましては個人病院では、そのへんで今心療内科が難しい状況になってる。
でもまさに今言われたことを心療内科はしようと立ち上がった。

ここで言う身体っていうのはいわゆる肉体とは違う身体なんですけど、今やってる勉強会は身体から自分の言葉を出していくにはどうしたらいいかというテーマ。
身体から出さない言葉は自分の言葉じゃない。
ビジネスライクな会話は別として、自分の気持ちを伝えようとするときは自分の身体から言葉を出していかないとっていう。

みか : それは発声ってことではないですよね?

池見 : 発声も関わっていますよ。おのずと、声にもその人の気持ちがあらわれてくる。

いづ : いつも送っていただいてる会報の中に「言葉の発し方、表し方」を大事にしていますってフレーズがあって、そこにピンと惹かれて今日お聞きしようとちょうど思っていたところ。

池見 : まあ、別の言い方をすると、頭から出る言葉と身体から出る言葉。
心身医学のほうでは心身相関の定義とか考え方があるんですけれど、僕にとって心身一如と言った場合は言葉を自分の身体を通して出していくってことが心身一如と感じるんですよ。
そして、そこで人とコミュ ニケーションできるってこと

いづ : 身体と心が一致するということ?

池見 : 完璧に一致するということはないんだけれど、少なくとも今、身体が訴えてることからそれてはいない、その身体がいま感じていることってひとつではないので、例えば今、僕ここに座っててはじめてお会いしてる方がいて緊張があったり、いろいろあるわけですよ。

分けて言えば緊張とか、なんかまあ、ちょっと役立てることでも話せたらいいな、みたいなのがいろいろあるわけですよ。ひとつじゃない。

けれどそれをひとつに、シンボリックに言える言葉ってのはないわけではない。
たとえば今ちょっと胸がすこし苦しい感じとかね、それに沿って今こんな感じですということは言えるわけ。その辺が入り口で、もうちょっと細やかに言っていくことが可能なんです

いづ : 気持ちが言葉を探すっていう表現があるけれど、それは気持ちによりピッタリくる言葉を探すという意味かと思うんですけれど、今のお話は他の意味もありそうですね

池見 : 僕が言ってる身体っていうのは、気持ちと重なってくるんだけれど、気持ちっていう言葉を使うととてもこう心理的なことに限定されてくるんだけれども・・・例えば気持ちを表す言葉なのに身体を持ち出してる表現は結構たくさんあるでしょう。
腸が煮えくり返るとか、胸があったかいとか、かきむしられるとか。
だからその人はそのとき実際にその身体の感じを持ってる。

初期の心療内科の実験で、今そんな実験したら非常にまずいと思うんだけれど、被験者を催眠状態にしてストレスになる場面の暗示をしておいて内臓のレントゲンを撮ると実際に腸がねじれていたりそんなことが起こってる。気持ち、感情と身体がぜんぶ相関しているっていうか

みか : なかなか自分の気持ちにぴったりな言葉を探すって難しいなって

池見 : まあそれで、初めから自然にできる人もあるけど、難しい人もいて、それで勉強会をやってるってわけ(笑)

一同 : (笑)

いづ : 今のを聞いて思ったんだけど、それがどうも難しくなさそうやなって感じる人もおいでるじゃないですか。
でも思ったことがすぐに言葉に出てすごく口達者だからって言って、身体で話してるとイコールかって言ったらきっとそうではないんですよね

池見 : それは違う。それはとてもこう、気持ちの上澄みっていうかね。
それはしばしば人との間に葛藤を生じさせる、行き違いが生じたり、気持ちを傷つけたりということが多いと思う。
もっと言えば、自分の気持ちに正直なんだけれど相手を傷つけるとか人との関係を壊すとかいう方向には働かないっていう、それが、自分の気持ち、身体に沿った言葉の機能っていうか。

いづ : 身体に沿った言葉で話せば相手の人を傷つけたりしないで済むんですか。

池見 : 済むっていうよりか、コミュニケーションの幅が出てくる。

みか : それはお互いにそういう状態で話をしたときっていうことですか。

池見 : 一方がそういう構えでコミュニケーションしようとすれば相手もおのずと…
最初から険悪な関係だと難しいけれど、なんかちょっとゆっくり話したいなと言うお互いだったら、相手がそういう形で関わればもう一方もそうせざるをえなくなる。…説明するのは難しい…

 

 

過食は「なんかを入れたいような」感じだった

いづ : 渋谷さんはそれを勉強しに来ていらっしゃるわけですね

渋谷 : そうなんです、10年ぐらい前にこちらにこさせてもらって、グループのファシリテーター養成講座に参加してたんですけれど、そこで話してることはさっき話していたように気持ちと身体が一致してる言葉でのやりとりなんですけど、なかなかやっぱり難しいんですよね。
私は少しアンテナの立ち方が少ないのかなって印象を自分では持ってる。
そうなるとなかなか、そのやり取りが難しかったり、先生はどうしてそういうことを今わたしにしゃべったかなとわからなくなったりするわけですね。

でもそういう言葉かけができると、言葉かけられた方はすごく感激されたりするんですよね。
そういうのを自分も身につけられるかなとか思ってずっと通ってますけど、でもその10年ぐらいたったので、まあ一番最初に来たときよりかはですね、ちょっとはわかったんじゃないかなって気がするんですよ。

勉強が楽しみですし、先ほど先生もおっしゃったように、なかなか説明が難しいことなんですけど、とても大事なものだと思ってて、私は自称弟子ですので(笑)何とかもう少し広がらないのかなって思うんですけれど、それにすごく苦戦しているんですよ。
なんとか、ヒントももらえないかなって思って今日参加したっていうのもあります

いづ : 摂食障害の人たちは私も含めてですけれど、回復はイコール言葉の獲得であると言う考え方もあるぐらいに、言葉ってのはちょっと大事な意味合いがあると思ってて、なので、その表現しにくいけれど大事なものを、この会話を文章にすることでぜひ、ウェブサイトを見ている人たちにも伝えられたらいいなという思いもあって私はここにいます。

池見 : 摂食障害っていう身体の症状を言語として捉えれば、それを別の言語にする、変換できるということかな。

いづ : そう。別の表現、表現の仕方を…

池見 : 獲得してね。

いづ : それと先ほどの話と何か共通していますか?

池見 : たぶん共通してる。
摂食障害って僕は経験したことないけど…まあ中学ぐらいの時に相当いろいろ不満があって、その時期に過食が出てきて、その過食の時の自分自身を振り返ってみるとやっぱり、ある種のこう、物足らなさとか孤独感…孤独とか、いろいろあった気がする。

それを心理的な言葉で言うと物足らなさとか孤独なんだけれど、それを身体の感じとして思い直してみると、何かやっぱりこう、物足らなさって言うのは身体の言葉とも言えるけれど、その、ある種のこう、身体の言葉で言うと、うーん「なんかを入れたいような!」感じだった。

その入れたいのは必ずしも食物ではないんだけど、その時期に他に思い当たるものってないし、まだ自己表現みたいなことだってできない子どもで、稚拙だったし、なんかこう、とりあえず食べるという形をとったんだなあと思ってる。

もし僕がその時その身体の感じを言語として表現できていたら、自分の寂しさとか、敷かれたレール の上を進むのではなくて自分で選択して進みたいとかね、様々な表現ができたんじゃないかなという気がするけど、様々な感じを全体として表現すると、物足らないとか空虚っていうか、そういう感じだったと。
それは、もしその時僕が自分が空虚なんだとか満たされないとか表現できて、それを聞いてくれる人がいたとしたら多分過食にはいってないと思う。うん、そう思う。

 

「何かを出したい」は聞いて欲しい感じ

みか : 私は中学のときに突然症状が起こったんですけれど、どちらかというと入れたいよりも 出したいってほうが強くて、何か吐きだしたいっていうか、中にあるものをすごく出したい。
でも、私は自助グループをやってるんですけど、出すことに対する罪悪感もあって、出した後に、言ってしまった…みたいな罪悪感みたいなものもすごくあって…

池見 : 罪悪感?

みか : そう、さらしてしまうって感じで恥ずかしさとか…

池見:その、出したいというのは、単に吐きだすっていう感じ?
それとも出すことによって例えば、それをわかってもらいたいとか…

みか : そう、ちゃんとこう、聞いてほしい感じ。

池見 : そうしたら、その、出すことによって罪悪感を感じたり、さらしたって思ってしまうのは、受け止められてない…というか、すくなくともみかさんが受け止められたという感じを持てていない…

みか : 言葉が通じてないというか、言葉の持っているニュアンスがうまく伝わらないという感じを受けることがあって。親しい人からよく言われるのは言い換えが多いって。

池見 : ほう。

みか : 私が何かを言って相手が何かを返してくれた時に、いやいやそうじゃないって私が言い換えたことは、相手にとったら多分何ら変わりのない言葉みたいで、私が言ったのと一緒やんってよく言われるんです。でも私にしたら、すごく外れているわけじゃないんだけど、私が伝えたいニュアンスとは違うっていう…で、そうじゃなくて私が言いたいのはってことを言うと、いやいや一緒やんみたいに言われるので、そこであきらめてしまうじゃないけど…伝わらないなって。

池見 : 伝わらないなってね…そうするとなにか自分を責めてしまう?

みか : なんかそんなこと言ってる私は…みたいな感じ…

池見 : それは言ってみれば、みかさんはこう、自分がある程度相手に話してちょっと微妙に違うと。
だから、また自分の近い言葉をなんか出そうとして話すと。そうすると向こうは同じことであると言うわけだけれども。
でもみかさんは、なんか違うって感じてるのは、そしてそれを言い換えようとするのは、僕にしてみれば、みかさんが自分の身体を感じてて、その身体がやっぱりなんか違うとどこかで感じてて、身体の感じに合わせようとして言い換えようとしてるっていう、僕としてはそんなふうに捉えられて。
そういうふうに言い換えつつ、本当はだんだんこう、自分のまあ身体って言葉を使えば、それが感じてるところに迫っていけると本当にいい。

だからみかさんがやってることはすごく、なんていうのかな、自分の気持ちに、あるいは身体に近づいていくことを試みてるんだなあっていう感じで今は理解したんだけれど

みか : すごく時間がかかるやり取りだし、なかなか受けてくれる人もいない…

池見 : エンカウンターはまあ、短いのは1日とかだけど3泊とか2泊でやるんですよ。やはり時間がかかるんですよ。
人のことを、お互いにすり合わせていって、自分のいいたいこと、相手の言いたいことを受け止めあうっていう、だから時間がかかる・・・。
でも、その話を聞 いて、ああ、みかさんという人とちょっと「出会えた」っていう感じがしたな。

 

 

楽にいてもらえるとうれしい

みか : 私があかりトークでファシリテーターの時は、他の参加者さんの何か役に立てればいいなあという気持ちが強くて、自分の話はあまりする気にならないのですが、先生はそれはエンカウンターグループの中でどうやっていらっしゃるんですか。

池見 : ファシリテーターとしてのやり方は、それぞれみんなちょっと違うところがあると思うので、僕は僕なりのファシリ テーターをやってるけれど、そんなふうに細やかで時間がかかる作業なので、やはりちょっと日常から離れたところで、時間をかけて。

まあ、心理的な安全とかと言いますが、自分にとってすごくナイーブなことでしょ、それをこう、言ってみれば表現できる雰囲気を作っていかなくちゃいけないし、極めて可能な限りそれが安心な状態で出せて、しかも、できればその時々グループの人とコミュニケーションが成立するってことを考えると、こういう場のあり方が僕にとっては今のところは…。

あ、それより、それもあるけど、僕自身がそういうあり方の場にいる時に、もっともそれこそ気持ちの言葉を出しやすい。自分本位だ(笑)

渋谷 : グループは一対多なんですよね

池見 : ああ、そうか、そうそう。
よく場のダイナミクスと言われるけれど、一対一だったら常に僕はそこに、あの、どういったらいいかな・・・ある相手がいることで、会話から自分がちょっと身を引くとかいうことができないわけですよね。

グループだったら例えばAさんとBさんがやり取りしてて、僕はそこからちょっと引いてその2人のやり取りをよく感じていることができるわけですよ。だから割に自分のことを出しやすい。
他の人たちの中でも、例えばBさんがCさんとDさんとのやり取りを聞きながら、自分の中でそれを感じてそれを自分に当てはめたりする場合もあるかもしれないし、例え ばCさんやDさんにかけたい言葉が浮かんでくるかもしれない。
あるいは語るだけじゃなくてね、聞く側になったり、いろんなこう、自分の望む、あるいは無理のないあり方でいれるという、そういう利点がありますね。
だから一人の人が言ったことに対しても、Aさんだけじゃなくて何人もの人がフィードバックしてく れる。多くの視点から。気づきの幅が広がる可能性に富んでるんですよ

(一同沈黙)

池見 : まあ時にはやっぱり、感じ方が違う人同士が行き違うことに対して、そういう場合はまあ、お互いが対立だけでは終わらないように、そこはいろいろと工夫する。

しかし対立があることによって、よりお互い理解が深まるってこともかなりある。
意見がぶつかったりして、たとえば何人かがAさんを支持して何人かがBさんを支持したりして全体がなんかこう少し…やや混乱状態になるんだけれど、やっぱりグループ力学の中にはそんな混乱状態になったときに何とかそれを調和させたいっていう思いも働くんですよ。
その力が働いて、ある種の混乱状態から調和のほうにずっとこう展開していったときの何とも言えない達成感とか爽快感とか、あります。

渋谷 : 去年ある 2泊3日のグループに参加したんですけど、まあ少しすれ違った印象があって…。
そこはちょっとモヤモヤが残ってて…

池見 : わかりますよ。

いづ : あかりトークの約束事で「批判・分析・アドバイスをしない」ってのがあるんですが、エンカウンターグループはきっと批判も分析もアドバイスもありなんですよね。

池見 : ありじゃない。

いづ : ありじゃない…

池見 : ま、そうしようとする人はあまり…あまりというか時々はいるんだけれど。
ま、少なくともファシリテーターはしない。で、やはりそういう人が居た場合、分析とか助言をしたからっていうより・・・・・

それもあるんだけれど、今ちょっと気になっていること。あの、多分こう、みかさんとまっちゃんと今日初めてご一緒させてもらってるっていうこともあるんだと思うんだけれど、なんかこう僕すごい緊張感があって(笑)。

どういうのかな…初めて会ったからっていう一般的な緊張感っていうよりは、やっぱりこう、どういったらいいかな…外側から見られてるのかなっていう、あの、 僕が、僕とこう対等にっていうか、そういう風にこう語るっていうかこう話し合うっていうか、そういう感じというよりは少しこう距離を置いて外側から会ってるっていうか、見られてるような感じがちょっとあって、僕はその感じがすごく窮屈になる癖があって、緊張感が抜けないっていうか…。

ただ、これは僕が感じてることなんで、実際にみかさんとまっちゃんがそういうふうなあれなのかどうかははっきりはわからない

みか : 私は全然そんなこと…

まつ : 私もすごい居心地がいいんですけど…なんか知らんけど…先生の雰囲気なんでしょうね。
いつもはこう私も初めての人は緊張するのでガチガチなんですけど、力がこう入るんですけど…

いづ : 私も久しぶりにお会いするので、最初すっごい緊張しとって…とにかく頭に浮かんだことを話さんなんみたいな感じやったのが、池見先生がさっきおっしゃった、相手のうちどちらかがそのあり方でおればおのずとそうなるみたいな感じに、私は今、自分がなってるような感じがあって、頭がぶわーって感じに今全然なってないって言うか

池見 : まあそう言ってもらえると…、楽に居てもらえるとうれしい…
ところで、批判・分析・アドバイスっていうのはだいたい頭から出る言葉、あるいはこの頃の言い方だと上から目線の言葉といってよいかな。
それは、これまで述べてきたグループのあり方とそぐわないわけですよ。

グループでは、身体から出る言葉、言い換えれば気持ちの言葉が主たるコミュニケーション法となるわけで、自分の気持ちを相手に伝えようとするのだから、それは、あくまで対等。
そこで、グループでは、少なくも私の意中のグループでは、あらかじめ約束事にしておかなくても、自然に批判・分析・アドバイスは出てこない、ほとんど出てこない。

誤解のないように付け加えれば、グループは仲良しごっこじゃないので、他の人の言うことに賛同できないようなときには、「私には、あなたの言われることに賛同できない気持ちがある」と伝える。
なかなか勇気のいることだけれど・・・・・それがまた新たな対話の種をまき、お互いの距離を縮めるきっかけにもなって。

 

 

身体から出る言葉は共有されやすい

渋谷 : さっきいづさんが言われた、えーと、批判・分析・アドバイス、特にそれがあったわけではなくて、そんなことは全くないんですよ

池見 : まあ強いて言えば、ちょっと拒否された…

渋谷 : あそうか。そうですね。私の言うことを少し、ある人にちょっと受けとってもらえなかったんですよ、それがちょっと寂しくて、それが最後まで残ってですね…そうでしたね、ちょっとそれがありましたね…

みか : 少しさみしい感じがする…

渋谷 : そうですね、少しさみしさがやっぱありましたね…。
どこかでわかりあう道はきっとあるんだろうけど、またじゃあ次回臨むのかというと自分の気持ちがちょっと引けてるっていうか。もう少し力つけてからですね。それぐらいで堪えなくなればそんなに寂しくならないかも しれない。まだ力がないし…

池見 : 寂しかったんですかね…

渋谷 : 自分は寂しさだと思ってますけどね…少しやっぱり怒りが無いかって言ったらそうではないんですが、最後に残るのはやっぱりすこし寂しいって気持ちですかね、ちょっとポツンとした感じはあったので。
とてもその、期待して行ったから、それで最初ブワァっと出しちゃっ たんですよね、自分の気持ちをブワァっと。
自分の中でもうちょっと落ち着いていけばまた違ったかもしれなかったり、あんなにびっくりされなかったんじゃないかとか。そのあたりはたぶん、ちょっと最近、勉強会で先生とやってる時にですね、結構ガンガン自分を出すわけですよ、それの流れがあったかもしれない。

池見 : 最近ちょっとテンション高いかもしれないね…

渋谷 : 高いですよね…ちょっと落ち着いて…

池見 : 渋谷さんのテンションの高さにちょっと警戒心っていうかね、特にゆっくり感じる人にとっては少し警戒心っていうか。

いづ : 身体の言葉やったら人と傷つけあったりしないって、最初のほうに出てきたけど…何か身体の言葉じゃないことが発せられていたっていうことになるんでしょうか。

池見 : テンション高いっていうのは、一見は自分の感情とか気持ちを言ってるみたいだけど、いわゆる気持ちではなくて、 やっぱりなんかこうその時の感情っていうか何か飲みこまれていてその人がなんか独走してる感じ。
相手の人に、仮に自分がなんか言っても渋谷さんが自分の気持ちを受けてくれないっていう、そういう警戒心があった可能性もある。

(一同沈黙)

みか : 身体が何を感じているのかがそもそも感じにくい…

池見 : 回路ができてないっていうか、慣れてない…。できれば優しく、今どうかなって自分に聞いてあげる。優しく

みか : 強い不快感とか違和感みたいなものは感じることができるけど…

池見 : それは、割と自分の今の気持ちに近いですか

みか : え?

池見 : いや、今自分が言いたいことに…

みか : 近いです。自分の身体の感じ方を確かめるってなかなかできない。

池見 : ロジャーズなんかが自己一致とか言うでしょ。自己一致ってなんとなく自分に正直にとかなんか解説されてる。
まあ、それは弟子のジェンドリンに言わせると自分の身体に合わせていくと、自分の身体に合わせてそれに合った言葉をできるだけ出していくことが自己一致。

みか : 自分の身体が今どんな感じかなってのがわからないと、それに合った言葉って出てこない。

池見 : 本当は。でもみかさんは多分知らず知らずにそれをやってる。
言い変えながら自分のそのときの気持ちに近づいていけるということ。
しかしそれは意識的にできると、さらに身体と言葉が結びつきやすい、かも

いづ : 今気持ちがどうかなとか感情はどうかなじゃなくて、身体はどうかなってすると、気持ちはどうかなって調べようとしたら言葉が出てくるんやけど、身体はどうかなって調べるとなんか感覚を感じられる感じ。

みか : 感覚を言葉にする感じになるから。

いづ : そうそうそう、変な違和感とか。

みか : なんかもぞもぞするとかね。

池見 : その感覚ってのは、人が居てとかその状況で生まれてくるものだから、結局自分の感じっていうか、自分の感じなんだけれどその人との関係を反映している感じなので、そこから出てくる言葉はいわば相手にも入る。

みか : その場で共有されるって感じ?

池見 : そうそう、共有されやすい。
それは例えば記憶であったり、イメージであったり、その部屋の雰囲気であったり、何らかの他者との関係。うん。音楽であったり、空気の匂いであったり、うん。

実験的に完全に人あるいは他のものから切り離された立場に置かれたとするときに、 それは僕の中では何も感じないと思う。それはもう、自分が何も感じてないということは、自分の存在も感じられない。
ここにいるのを感じてるから自分の存在をまず感じてる。そしてその状況の違いによってその感じ方が微妙に違う

みか : 状況によって感じ方が微妙に違うのはごく自然なこと…

池見 : ごく自然とも言えるし、生きていることとも言えるし、うん。微妙に変わらなかったとしたら、その人は死んでるも同然。

 

状況で変わる自分を支持的に見る時に自分の感覚が生じる

みか : 自分の有り方がその場所に応じて変わるのが不誠実に感じることがあって…

池見 : あああ

みか : 自助グループの人と居る時の自分と、仕事をしている自分と、それ以外の自分がそれぞれ違うのがなんか…他の人はどうなんやろうって思ってしまう。

池見 : あああ、ま僕はその感じではそれこそ絶えず変わってて、状況ごとに、それこそ1秒ごとに変わってて、ただそういうふうに変わってる自分を、ある程度支持的に――それで良しと見る時にそこにまあ自分の感覚が生じるという。うん。

みかさんの場合はそんなふうに、変わるってことがあまりよくないっていうか、嘘をついているみたいな感じが、まあ多かったんですね。
できればこう、不動の自分というか、どこにいても変わらない自分ていうか、そういう、見出したいというか見つけたいというか。

みか : 私がその時の自分の感じを感じていないってことなのかな…

池見 : そうまあ言葉を出せなくても、自分の感じ、その時の感じを味わえるだけでもなんか違うかなっていう。

いづ : ヨガっていうのはその身体の感じを感じやすくするっていうことなんですか?

池見 : それが大きくあると思う。まあまずは筋肉の伸び縮みから入って行って、そういう自分の中で感じているものを意識的に感じるためのこととしてやってるってことがあるかな…

いづ : それだけではないけれど

池見 : そうそうそう。
あ、それと、そのヨーガをやることは筋肉の緊張弛緩を繰り返す、でリラックスするってのをやってる中で、身体の感じ自体も変わってくる。
まあどちらかと言うとだいたいこういい方に変わってくる。

そうすると気持ちももちろん変わってきて、だから停滞していたことが動き出したり、もちろん美容的な効果もあるし健康っていう意味でもヨーガは有効だけれど、自分の中でこう滞っているものを流れるようにしてくれるって言うか、うん。

いづ : 滞ってた感じを感じられるってすごいですよね…

池見 : さっきみかさんがその、私はその場その場で変わっていくって言ったりして、なんかこう嘘じゃないのかっていうのがあって・・・「私がその時の自分の感じを感じていないってことなのかな」って言われたんだっけ、言われたんですよね… その僕のリピートでだいたい合っています?
いや、みかさんが言われたことを僕が受け止めたっていうのをちゃんと伝えとかんと。

みか : ああ、ありがとうございます

池見 : あかりで今、ヨーガをやっていたりしてるのってどういう意味合いで?

いづ : おしゃべりが苦手な人もおいでるから、そういう人たちが気軽に集まれるための場をなんかやろうってなった時にアンケートしたら断突一位がヨガやったという…

みか : 身体にいい感じとか、リラックスできるようなイメージがあるみたいで。

いづ : 一位がヨガで二位が森林浴、お散歩やったんです。
その上位2つを今年度はやってみようってなってて。みかさんもね。

みか : 京都トークでもやったり、自分でも住まいが舞鶴なんですけど、舞鶴でもクラスに行ってみたりして、なんだろ、あんまり身体に自分の意識を向けるってことはないので、動きについていこうと思って身体に集中するというか、そんな時間になるので、なんか脳の言語野が休ん でいる感じがして、思いのほかいいなと思ったんですけど。

でもそれはさっきからの先生との話の中で行くと、頭から出す言葉を出さなくていいというか、それをやらなくていい時間なので休まる感じなのかなあというか。なんか、ほわあっとしちゃって、外界が遮断されたような、普段とは違う、なんか、ネジがゆるんじゃったような感じ、なんだろうなあ…

池見 : ぼんやりではなくて。

みか : ぽーっとした感じというか。

 

対話を経て、それぞれの言葉

池見 : どうですかまっちゃん、なんかないですか。

まつ : 先生の話聞いてて途中で止まってしまって…

池見 : ああ、どこで?

まつ : 電話せんなあかんとか思い出されて…。途中までは心身医学協会に入りたいかなあっていうぐらい惹きこまれたんですけど。

池見 : 万一その批判的なことであったりとかそういったこう反発であったりとか、そういったことも遠慮なく出してもらっていいんですよ。

まつ : ああ、あの摂食障害の話題の時はもう入ってきたんですけど、その後がぽっかり空いてる感じって言う。

いづ : ああ、入れたい感じとか出したい感じとか。

まつ : そうそう、あのときはものすごく、まだもっともっとって思ってたんですけど、その後なんやったかな…

池見 : そのあとは、結構みかさんとのやり取りしてましたね。だから、それこそ、自分でも思ったけどちょっと前のめりになってて、みかさんに対して少し強引っていうかね、そういう自覚があったんで、まっちゃんがそれをちゃんと感じてくれたんじゃないかなっていう気がするんだけれどね

(一同沈黙)

いづ : グループっていうのは、今話されている話題に対してあんまり共感を覚えんかったりする人とすごく共感する人が出てくるのは当然のことですよね。

池見 : うん、寝てる人もいるし。

みか : 寝てる人もいる…

いづ : あかりトークをするときは、ちょっと今心に触れてないんやろうなっていうような参加者さんがおいでるとソワソワします。

池見 : それは僕も。特に限られた時間――短い時間内でやるのはとても難しいかなって。
一応参加者皆が落ちるけるよう区切りつけないといけないし。大変だなって。

いづ : それで、えっと、まっちゃんが途中から入れんくなったっていうことのその収束がどうなっていくんかなっていう気がかりもありつつ、そろそろお邪魔して2時間ぐらい経っとるから、こう、どこを終着点にしたらいいのか…なんかこうそういう、ソワソワ。今、私は。

池見 : 僕はちょっと緊張感というものがだいぶ薄らいでるっていうか、ちょっとこう、それこそこの辺りにある、なんかあの引っ掛かりと言うか、それもあるんだけど、それはもう心地よいものに変わりつつあって、もうちょっとね、まっちゃんと話したかったという、最後こう遠いところにいたような、それは確かに。
それとまあ渋谷さんどうですか

渋谷 : 私ですか、私はちょっといろいろ考えてたんで、自分もちょっとみなさんの話についていけなくなってる、自分のところでいろいろ気がかりが出ちゃったのでちょっと自分の中へ入っています。

池見 : まあ、一言あのことについて言わせてもらえば、あの時すごく渋谷さんはグループを広げていきたいという気持ちが強くて全部出てたと思うんですけど、他の人たちはまあ割と普通のグループの感覚で自分のことをしゃべってることが中心だったと思うんですよ。
その辺のこうズレが生じたのは私は残念な感じだったです。

それがよりこう統合できるっていうか、そっちのほうがこう嬉しかったという感じはあった。
渋谷さんがテンションが高いとさっき言ったけど、そればかりじゃなくて、意気込みというか、できればそのことについても話したかったけれども、他の人たちはそういうところに意識を置いてはいなかったので渋谷さんと統一感を欠いてしまった。
で、まあ僕自身もそこをうまくとりもつことができなかったのは申し訳なかった

渋谷 : 私が今一番気にしてるのはやはりその、自分の気持ちに飲みこまれているっていうところですね。テンションが高いという原因がどこにあるか探りたいんだけれど、さっぱりわからない自分がいて、そこは少し残念な気持ちが出て…
まあ、ちょっと急にその辺の解消は難しいようなんで、少し振り返りたいなっていう…
もう一つ言うと、みなさんの話を聞いていると、身体で感じられるというたくさんのものをお持ちな気がして、そこの回路のところが自分にはまだまだ足りない気がして、もういっぺん最初に戻ってがんばらなければいけないって思ってますね、今。

池見 : 一緒に戻りましょうか。

渋谷 : …お願いします。

池見 : これは予想だけれど、グループで僕が一番大事っていうか、僕自身も含めて、ある人とある人同士、その間の関係の土台が対等でない感じがしてる、ちょっとこう卑下してるとか、そういうときこう嫌な感じになってきて、何か言わずにいられなくなってしまう。
対等という、そこが崩れたらグループって安全でも安心でもなくなってしまう。
まっちゃんもこう、その辺がものすごくこう敏感っていうか、妥協できないっていうか、そういうふうな感じをちょっと覚えた。

(一同沈黙)

池見 : それが、ズレてるかもしれないんだけど、あんまりこうまとまった話になってないんだけど、あの、全体としてやはり・・・少しやっぱりそれこそ自分のこう気持ちを早めにしゃべったかなっていうそういうある種反省みたいのがないではないけど、しかし、この限られた時間の中ではまあそれなりに努力はしたから、それは自分に認めてやろうかなと(笑)思ってる。

みか : うーん、私たちにすごく何か伝えてくださろうっていうか、提供してくださろうと思ってくださったのかなあと。

いづ : 最初に、こう何かためになることを言わんなんかなあとか、いろんな気持ちをお話してくださったときに、なにかとってもくすぐったくうれしく、あったかい感じになりました。これが3泊4日やったらどんなに良かったやろうって思って。

みか : そう、急がなくていい感じがあるから、みんなでエンカウンターグループに参加しようか。 
さっき先生が渋谷さんに「一緒に戻りましょうか」っておっしゃったのがすごいステキ。なんかうらやましいなあって。一緒に進みましょうかは時にはあるような気がするけれど一緒に戻りましょうかって、はじめて…

渋谷 : 福岡にいらっしゃったら毎月今の勉強会が・・・

みか : 遠いです(笑)

いづ : またお目にかかりましょう。ああよかったあ、今日は。ありがとうございます

池見 : ああ、よかった

いづ : なんか、徹夜でこのままこのお部屋で横になりながら、朝まででも話せそう…

 

★池見隆雄さんより、後日いただいたメッセージ★
心(からだ)のことがゆっくり、濃やかに分かち合われるとき、その関係性において、自己の存在感が、広がりを増す――
呼吸・身体へ意識が向けられるヨーガによっても、また。