今回は「摂食障害の治療・セルフヘルプグループ活動と言えば、この方!」と連想させられるくらい著名でいらっしゃる生野照子さんに、あかりプロジェクト関西メンバーのsaahko・ルマ・けいちゃんがインタビューをさせていただきました。

生野さんは、摂食障害以外でも多数の実績と研究・著書があり、【リストカットの向こうへ】では医師としての姿勢と温かさも伝わり、注目を浴びている著書の1つです。

 
当事者主役の治療をされており、お人柄もとっても大きいこともあり、インタビュー中にも癒しをたっぷりいただけました。百聞は一見にしかず。生野さんの心温まる、そして貴重なお話を盛りだくさんでお送りいたします。

(2011/1/26 取材・文 あかりリカバリーフレンド 桂けい子、saahko、岡井ルマ)

 

-(けいちゃん)生野先生は色々な方面において、ご活躍されています。特に摂食障害においてもご高名です。そのような中で「小児科医から心療内科医にご転身なさった」ということは有名なのですが、そのきっかけを教えていただけるでしょうか。

これもやっぱり、摂食障害の患者さんがきっかけなんですよ。 小児科に行く前に、内科を回っていたんです。その時に担当したのが摂食障害の患者さんでしてね。当時まだ摂食障害ってそんなにない時で、小児科では、摂食障害の患者さんなんか、考えられないくらい。いるとしても、精神科と内科にいらっしゃるという状況でした。その頃にね、内科で、痩せて「栄養的な治療をしないと、命も危ない」という患者さんを担当したんですけれど。

まあ私は医者になりたての新米ですし、上の担当【指導医】というんですけれどね、その先生も摂食障害の知識って、ほとんどないんですよ。病棟全体で、あんまり知識がないわけ。…で、ただ単に「栄養を入れればよい」というような治療をしていて。

で、「あの患者さん不思議よ」っていうことになってね。「食べようともしないし、点滴も入れては抜いてしまう。なんだろう?」みたいな。そういう感じで見られてたんですね。そういう中で、私が「絶対治してあげたい!」という、新米独特の意気で(笑)、その患者さんにお会いして、とにかく色んなこと を言ったわけですよ。「栄養摂られたほうが良いですよ」とか(笑)、そういうことを。

でも、全然こっちも振り向いてもくださらない。それで…。今でも目の奥に焼きついているんですけど、ベッドの上に、こう…ドン!と座って窓の外をジーっと…睨んで。私は後ろから話しかけるんですけれども、まったく、なんの反応もない。そういう状況だったんですよ。でも、とにかく私は、「こちらの誠意が通じてわかってもらえたら、治療にも、振り向いてもらえるんじゃないか」 と思ったのね。そう、こちらの気持ちを通じさせることがすごく大事だと思っていたわけ。
だからベットサイドに座って【いつも居てる】という状態にしたわけなんですよ。それでも…、全くコミュニケーションが取れないという状況でね。他の先生に相談しても「どうしょうもない」と、みなさん思ってらっしゃるわ け。とにかく「早く食べさせて退院してもらいたい」というような気持ちだったんです、みなさんね。

でも、本人は食べることを拒否して、相変わらず外を見て いる…。そして、その結果、患者さんは精神科へ転科されて行ったんです。それが私にはものすごく衝撃的だったんですね。なぜなら…六年間で医者になって 「治せるわ」みたいな思いで(笑)、医者として希望を持ってスタートしたのに、「何これ?!」って思って。「私が今まで勉強してきたことって、何だったの?!こんなこと、習ってないわよ」みたいな感じで。

【その病気がどうのこうの】以前の問題なんですよね【その患者さんとコミュニケーションをどう取れば 良いか】なんてね。【患者さんの気持ちをどう理解すれば良いか】なんて、教えてもらってないんですよ。…で、「私が習ってきた医学ってのは、この病気に端から負けてるわ!」と思って。
当時の私は、その患者さんと年齢も近い女性じゃないですか。私はそれまでの人生で「誠意さえ持てば、わかってもらえる」と 思ってたんだけど、そういう方法も通じないという状態でね。【じゃあ、どういうふうに医者としてあるべきか】というのを、やっぱりすっごく…悩んだんですよね。
…で、…なんて言うかな。「『自分の誠意を先に通じさせる』っていうこと自体が間違っているのだ」ってことに気付くのは、ずっと後になってからなの。
まず、相手の気持ちを理解しないとねぇ。

「私をわかってもらおう」ということは、一生懸命やるには一見、良いように見えるんだけどもね、そうじゃない ということが段々わかってきたのね。
それと、何ていうのかな、あの時私にはね「氷の岩」みたいに見えたわけ、その患者さんの後姿が。彼女は微動だにしないから。でも、じつは決して「氷の岩」じゃなくって、彼女の心の中には…火山の溶岩みたいに、【燃える思い】っていう…のがある。【煮え立つ思い】っていうのがある。
だから、それを閉ざさないとやっていけない。それをフッと出してしまったら、バーンて爆発してしまうくらいの思いっていうのがある…ってわかったのも、ずーっと後なんです。その時はわからなかったのね。

だから、それがわかってからは、たとえば学会で「摂食障害ってのは、アレキシサイミア(失感情症)だ」って言われると、私は「絶対に、そうじゃない」って言うようになった。その頃、アレキシサイミアが摂食障害の心理機制だと言われたんだけれど、それは絶対に違うと。
「失感情症的にならないとバランスが取れないくらい、心の中には、思いが煮えたぎっているんです。みなさん勘違いしないで」って、何回も言わねばならなかった。

-(saahko)ああ、涙が出てきました(涙をぬぐう)。本当に当時は、そのような思いで、無気力無感動になっていたので…。今は、「嬉しい」「楽しい」って出せるんですけど。

そういうので栓をしないとね、内の思いが爆発したら、とても自分でコントロールできないし「人にもたぶん火傷を負わせるだろう」ってことを本人が 一番わかっているの。だから、抑えたくなくても抑えざるを得ないんですよ。そこを理解しないと、摂食障害を理解することはできませんっ…て、学会で「は い!」って手を挙げて(笑)言わせてもらった。

というのは、「私には、わからなかった」っていう最初の痛い経験があるからなのね。…で、ひどい医者になったら、「摂食障害って、理性ばっかり大きくって、感情はほとんどない」って言うの。私、また「はいっ!」って手を挙げて(笑)、「先生、摂食障害をわかっておられません。そんな摂食障害の患者さんなんか、誰もいない。どれだけ大きな感情を心に秘めているか!」って…言わせていただいたんだけど、当時多くの専門家がそんな見方だったんです よ。栄養障害の症状と、もともとの性格を混同しているのね。でも私だって、そんなふうに言えたのも、【身体だけをみるのが医者ではない】と痛感した最初の経験があったからだったんです。

…で話は戻りますが、私は小児科へ入ったんですけれども、子供を診る時に、その初期体験が自分の思いの中に強くあったから「子供の心も一緒に診る医者になりたい」と思って、心療内科に方向転換するようになりました。自分がやりたいのは精神の病とかじゃないので、精神科とはちょっと違ったんです。そうじゃなくって「ご家族も含めて心の問題を一緒に考えていかないと、身体の病気も本当に治したことにならないんじゃないかな」って思って。だから、精神科とはちょっと違って、ストレス症状で学校行けないケースなど、小児心身症を診はじめたのです。ですから、摂食障害をこの歳までやってきたのも、医者になりたての頃からのご縁なの(笑)。

-(saahko)すごいご縁ですね。その時の最初の出来事が、先生の中では今に繋がる原動力でおられるんですね?

そう、原動力です。だから医者人生として、やはり大半は摂食障害を考えてきたってことですね。大したことは出来ないけどね。出来ないけれども、長さはそうです。

-(一同)え~!そんなことはないです。

-(けいちゃん)生野先生が摂食障害に関わり始めた当時、今ほど世に知られてなくて、症例とか回復の事例がなかった・少なかったと聞いています。その中で先生は、回復への方向性や治療方針を、どのようにして見出していったのでしょうか。
「ここの方向に歩いたら良いんだよ」っていう道を、どのようにして見つけていったのでしょうか。

あのね、当時【心療内科】自体が少なかったんですね。だから小児科でも「心療内科みたいなことをやってんの?」って感じでね。すごくマイナーだったんです。まあ、今でもそんなメジャーじゃないですが。でも、その頃は変わり者扱いされるような、「なんで医者が心理やるの?」みたいな感じの時代だった んですね。だから、教えてくれる人もいないし。北は北海道から南は九州まで、「こういうことをやってる」という病院とか医者を探して、武者修行しました。

-(けいちゃん)え~!!(驚)

はい。渡り歩いたんです。もちろん精神科も見に行きました。
摂食障害だけじゃなくって「人の心を診る医者として【診る】ということは、どういうことかな」って思って。その時、いろいろな先生が色々なやり方でやってらっしゃったんです。それが、とても私には役に立ったのね。多様な方法があるっていうのがわかったんですよ。

ところが…、各々の先生はそのやり方だけでやってらっしゃる、その方法だけで。
でも患者さんは、たまたまその病院へ行っ て、そのやり方を受けるんだけれども、ひょっとしたら違うやり方のほうが良いかもしれない。あるいは、二つ三つのやり方でやってあげた方が良いかもしれな い。色んな治療法があれば、選べるじゃないですか。

でも、その頃は、たとえば「自分は精神分析しかしない」みたいな感じでしたのでね。それは、ちょっ とおかしい、違うかなと。患者によってではなく、医者によってやり方が決まるなんて…ね。そんな疑問が、出てきたのね。
これは摂食障害以外の患者さんも含めて、そう思ったんです。

それともう1つは、私が小児科で心療外来するようになって、その頃は子供の摂食障害って滅多にない時代だったけど、「あれ?ガリガリの子が来るわ」と思っているうちに、ダダッと増えてきた。
ちょうど不登校が云々されていた時代ですが。「あれ?どういうこと?」「小児科に摂食障害の患者さん?」みたいになってきたんです、段々とね。

で、小児科ということもあって親御さんがついて来られるでしょ。
私は診察する時は、患者さんを待合まで呼びに行くようにしている。待合でどういう感じで待ってらっしゃるかというのを見るために。診察室の中で喧嘩していても、待合ではもたれあって座っておられたり、その逆だったりするわけ。子供と親が遠く離れて座っておられる場合もある。そういうことも治療で配慮しないといけないので、外まで呼びに行くのね。

ところが、待ち合いでは、お父さんやお母さん達が寄って話しをしておられる。
「おたくも、摂食障害ですか」みたいなことですよね。それで、診察になるとその親御さんが「先生。あの人と話しをし て、こういうことを教えてもらった」とか、おっしゃるわけ。
私は「あ、これは凄い!」と思ってね。医者には遠慮して細かいことを聞けないけれど、家族同士でしゃべって、結構「良い事聞いた」って力つけておられる。

そこで、「家族の力っていうのは、家族同士が話し合うことで生きてくる」と思って、立ち上げた んですよ、家族の会を。
それがあゆみの会…もう、30年以上前の話ですけどね。その頃は案内も何もかも手作りで、やり始めました。それが「日本の病院で初めて」と言われて、新聞にも載ったんです。「こういうことをやり始める医者がおる」みたいな。あの…なんていうか、宣伝がてらにも、載せてもらって良かったわけなんですけれどもね。それで、新聞だけでなく口コミなどで広がったようで、最初の会に100人ぐらい集まってらっしゃったんです。

-(一同)えー、すごい!その時点で凄いですね。

私も驚いたわけですよ。これだけみなさん、困ってらっしゃるというか…
お互いに情報が欲しいっていうか、心の支えが欲しいっていうか。とにかく孤立しておられたのが、その新聞記事とかを見て集まってらっしゃった。私は「これは、きちっとやらないといけない」と思って、やり始めたんですね。そうするとね、もう、すごいパワー。当事者力が。すごいパワー。

…で、私は「こういうものこそ解決の方向だ」と感じて、なんていうかな、嬉しかったですね。ですから、今もその方向はずっと続けている。
摂食障害には様々な問題が絡んでいますからね、統合的治療が必要で、医者1人で治せるような問題じゃない。内科や小児科医は、身体を診る専門家じゃないですか。 身体だけを診て、やれるかっていうと、そんなことね…出来ない。

精神療法も、「〇〇治療法」の1つでやるのじゃなくって、「あなたにはカウンセリングだけど、あなたには行動療法」って言える複数の治療法を知識・技術として持たないといけない。自分で持てなければ、スタッフで持つとかね。そういう統合的・多角的・立体的な治療をしないといけない。そうすると必然的にチームも必要になってきますよね。

その中に、当事者の参加が不可欠だと思ったんです。
…で、その【あゆみの会】には、本人さんも来て下さった。そのハーモニーが良かったので、【本人さんの力】【ご家族の力】っていう両方とも必要だと思うようになりました。

とにかく、当事者力ってのを中心に置いて、それぞれの立ち直りに使っていく。それをマネージメントするのは専門家なんだけれどもっていうことでやってきたのです。今では世話人さんが運営してくださっています。

ところで、私は英国の国際摂食障害学会に第二回から参加しているんですが、そこでグループのやり方を学ぶことができました。日本では学ぶ場所がな くて、文献を読むしかないので。
そして1999年に一年間留学して、英国で治療をやらせてもらって、その時にそれ以上の細かいやり方を学んで。「やっぱり自分の考えは、間違ってなかった」って感じて。でもまだまだ…全然及ばないのですが。

-(ルマ)色んな所を実地で学ばれてきたんですね。

そうですね、まあ、それも最初の患者さんの(笑)…背中が目から離れないからでしょうね。

-(saahko)その原動力も全て、最初のこの方のことがあったからでしょうか?

いつも意識しているわけではないけれど、たぶん、胸の奥にあるんだと思います。
「あの人を治せなかった」という思いが。

だから、あのとき十分にやり方を知っていたら救えたような気がするんです。救えるっていうか、【安らぎの感じ】ぐらいはね、新米の医者であっても出来たと思う。でも、ほんと何にも出来ず、むしろ横でジャンジャカジャンジャカ言う【うっとおしい人】でしたからね。
それはやっぱり、ズシンと心にありましたね。

-(けいちゃん)手探りで模索しながらもすごく、的を得たやり方をされているのが、すごいなあって思います。
-(ssahko)足と身体と全てを使って出向いていかれた上で、方向性などを見出してこられたのが素晴らしいなって思います。

いや、まあねえ。素晴らしいかどうかは別にしてね。
今までは大学にいましたから、外国の文献とかをね、実際に確かめながらやったっていうかな。

もちろん、学会にもずっと出てましたし、いろんな意見を聞いてました。だから、自分の私的感情だけでやってきたのではない。まあ、大学にいるということが、そういう冷静な研究とかを取り込める立場にあったしね。もし、そういう文献だけで治療をやったら、とても冷たい治療になって続けていられなかったと思うんだけれども、感情だけでやっても…ね。なんというか、唯我独尊(ゆいがどくそん)…っていうか、単なる我流になってたと思うの。

ただ「英国ではこうしてる」とか、「アメリカではこうしてる」とかいうことを学べる雰囲気の中に居れたから、今思えば、路線訂正が出来たかなと思いますね。

-(saahko)偏ることなく、多角的なというか立体的な医療を作ってこられたということでしょうか?

そうです、今でもそのスタンスは忘れまいと思っているんです。
やっぱり医者っていう責任性…、時には命を預かるじゃないですか。薬を扱ったりね。 それが我流になって、いくら【思い】とか【熱意】をかけても、熱意だけで間違った治療したら…それこそ、とんでもない。

やっぱりそこはしっかりと専門性を…言い換えたら、イコール勉強ですよね。勉強をしてないとダメという思いは、専門家として、ずっとありますね、ええ。熱意だけでできる仕事じゃないと思っているんです。

-(けいちゃん)そのとおりですよね。「熱意だけでは救える命も救えない」という部分が凄く今、心に染みました。

そうなんです。私ね、医学部を卒業して医局に入ってからですけれども、まだ若い時に、ある保健所へ勤めたんです。その時はまさに、あそこは【ドヤ街】。今でこそ観光地みたいになっているけどね、もうひどい状況だったんです。道を歩いていたら人が倒れている。生きてるのか死んでるのかわからない。そ ういう状況だったのね。そこで、子供達の悲惨な姿を見てきたんです。

例えば、診察に来ない人の往診に行くわけ。診察に来る人より、来ない人の方が大変なの。…で、子供の検診に来ない人がいて、保健婦さんが「先生。ちょっと診に行ってあげて」っておっしゃる。1人では行けないから複数で行く。そしたら、すごく臭くて暗いガード下みたいな家に幼児が2人いるんだけど、日も当たらないからクル病で歩けずに、2人とも這ってるの。家の中はゴミだらけ!
「お母さん、何食べさせてる?」って聞いたら、その辺で牛乳を買ってきて飲ませてるだけって言うの。親は、ボケーっとして、気力も何もないわけ。それが一例。悲惨なの。
…で、私ね、もうじっとしてられないから、病院の試供品とか集めて、そういう人が検診に来られたら渡したりしてね。

その他にもびっくりしたのが、子供の背中に魚のような鱗が出来ていたケース。母親が一度も擦ってやらないから、垢が鱗になっている。びっしりと、背中に鱗。… で、「こういう薬を、こういうふうに使ってあげてくださいよ」って言うんだけど、薬を買うお金がない。だから、そういう薬を集めて持って行って「じゃあ、 これ使ってください」と言って、さしあげたりしてたの。そしたら、薬をもらう目的だけで来る人が多くなって、子供を連れてこない。それからまた、子供の服を私の友人から譲ってもらったりして、きれいにしてね「使うなら使ってください」と差し上げたの。ほんとにいっぱい持って行った。でも、保健婦さんがおっしゃるのね。「先生、申し訳ないけど、持って行った子供の服は、隅へポーンと放ったままですわ」って。

結局ね…救えないのよ。自分の力ではね。 【どうしたら救えるか】っていうのは、やっぱりものすごい大きな課題だけれど、救えない。
「服を持っていった」「薬をあげた」…って、結局、私がホッとす るだけ。
厳しい言い方をしたら、自分の気持ちを救っているだけ。そんなことで本当の意味で救えるはずがない。やっぱり全然違う視野から考えないとね。

【人に対する医療っていうのは、そういうこと】っていうのを、またそこで学んだのです。それが、私の一生の宿題(笑)となって。大学を定年退職した今、保健所 近くの病院に帰ってきたんです。だからこれから。これからこの宿題を果たせるか…?…ね!

-(けいちゃん)今からですか?!もう充分やってきはったと思います!

…うん。でも、自分だけで果たせるとは思っていない。で、どうするのか考えたの。そこで出た答えが【後輩を育てること】。だから、私の考え方・ス キルを全部後輩に譲りたいと。

今、20人の研修生がいるから、やりながら教えて・やりながら教えて…ね、考え方っていうかな、医療っていう事柄に対する考えを…全部教える。それが「やっと宿題を果たせることかなあ」…って思っているところです。
ここには、ものすごい厳しい状況の人も来られる。医療と生活とがひとくくりになっていて。

-(ルマ)やっぱりもう、無気力というか、なんか…辛すぎて見えなくて届かない感じがするんですけど。

そうそう、そういう人もいるし、「薬出すけど、売らないで、ちゃんと飲んでくださいよ」(笑)みたいな人もいるし。「先生。薬一日分いくらです か」って来る人とかね。そりゃ大変だけど、研修生に「そういう時、どうする?」って考えてもらうことが、私の宿題を果たす1つかなって考えてるんですよ。

それと摂食障害の患者さんが多いから、【「摂食障害はアレキシサイミア」などと考えない医者・心理士】が育ってほしいと思う。それぐらいかな、出来ることは…と思って。
まあ、出来ることから始めないと、しょうがないよね。

-(saahko)話が飛ぶんですけれど、先生の「クル病の子供さん達の話」を聞いて、今はもっと悲惨なニュースとかありますよね。そういうことが、昔からなかったわけじゃあないということを、今ちょっと思いました。

そうそう。ただね、今と昔と違うのは、昔はやっぱりほとんどが経済的な理由だったんです。
でも今は、経済的に困ってなくても虐待が起こってくる。つまりストレスのはけ口とか、親が孤立しているとか。理由が違ってきてますね。これは、社会全体の問題だと思う。
だから本当に、みんなが責任ある問題と思うのね。

-(saahko)やっぱり心ですかね。

私、今から思えば摂食障害にしてもね、壁に当たることがあったから、やってこられたって思うんですよ。スムーズにスイスイと調子よくやってきた ら、やっぱり走って来られなかったと思う。
「うわー、これ乗りきれないわー」と思うことが、幸いにも…と言ったら変な言い方だけども、あったから、走ってこれた。辛いと思う心には、幸いの種があるのね。

-(saahko)私たちは摂食障害を乗り越えてきたんですけれども、でもやっぱり摂食障害があったから、自分の人生が豊になったかなって、今私は感じられるようになった感じです。先生のお言葉は、それと一緒でしょうか?

うんうん、一緒一緒。一緒です。やっぱり壁があるからこそ、チャレンジ出来る。

-(saahko)ああ(歓喜)!
先生のお言葉を励みに、これからも頑張って生きていきます! ああ、なんかね(涙)、私もやっぱり自分 を振り返ると良いことばっかりじゃなかったので、やっぱり悔しい思いだとか「スムーズに生きてたら、こんな思いしなくて良かったのに」とか、振り返ると思うことがあるんですけど、でもそれがあるから…ね、前を向いて歩いてこれました。

そう。そうです。

-(けいちゃん)でも、私たちは自分の問題の壁やから、「大変やけど、自分が生きていくためにはこの壁を乗り越えないとしかたがない。 頑張らなアカン」って感じでしたが、先生の場合のその「壁」っていうのは、いわゆる自分の問題ではなく患者さんの問題に立ち向かってらっしゃってて、私達 の場合とちょっと違うように思います。だから、患者さんのためにそこまで出来る先生がすごいと思います。

でも、やっぱり、自分の問題。うん。助けるということは相手のことだけども、「自分が何で、出来ないのだろう」って、そういう【情けない自分】って課題がある。 「どう考えたら自分が動けるか」みたいなね。考えても考えても答えが出てこないわけね。だから、一緒。うん。同じ。

今から思ったら、チャレンジする課題っていうのが節目節目にあって…誰が私に与えるのか知らないけど(笑)…節目節目に与えてもらったって感じ。

-(けいちゃん)なるほど…。節目節目の困難もじつは、「誰かわからないけど誰かから、今乗り越えるべき必要な課題を与えられていたん だ」ということですよね。これを乗り越えて初めて、その課題の必要性を知ることが出来るんだ…ということも、この摂食障害を乗り越えてわかったので、今の先生のお話もスッと心に入ってきます。

さて、お話はストレス疾患研究所の話になるんですけれども、浪速生野病院さんの外来医として 診療される傍ら、ストレス疾患治療研究所のほうをなさってますが、浪速生野病院さんに来られる患者さんと、ストレス疾患治療研究所に来られる患者さんの違 いなどを、未来蝶ネットをご覧になっている皆様にご紹介をしていただきながら教えていただけませんか。

それはね、病院では心理治療が出来ないという、めちゃくちゃ不合理な仕組みが日本にはあるんです。
病院って、医療しかしちゃダメなの。
だから、心理治療ができないの。病院っていうのは医療保険の場なんです、…ね。でも、すごくおかしいですよ。

私が大学病院で診療していた時も、心理士が1人もいなかったんです。だから、研修する条件でボランティアで来てもらって。あとは、実験助手とか何とかの名前をつけて、少量のお金で来てもらった。
大きな大学病院でも心理士の正規雇用がなかったんです。今でもそうですよ。だから、何かの形を作らないといけないですよね。

いま、私は心理士さんとグループを組んでいて、ソーシャルワーカーもいるし栄養士もいるんですが、病院では摂食障害の栄養指導も収支がとれない。もちろん、心理治療もとれない。それで、他の病院では階段を別にするとか工夫しておられるのです。1階は医療、裏側の階段を2階へ上がったら心理治療者がいるとかね。まあ、カッコだけです。そんなふうにしてらっしゃるんだけれども、なんだか侘しいじゃないですか。
…で、心理士が堂々と働ける研究所を作ったのです。私は大学で心理士を育ててきましたので、心理士の場を作りたいという思いがあったんです。

心理治療っていうのは医学治療ときちっと肩を並べるくらいになるべきだと思ってます。病院みたいに【医師の下で医師の指令でないと動けない】ようなことでは絶対にダメだと思ってるんです。「チーム組むからには、みな対等」ということで「それなら別のとこで探そう」とね。探したのが、今のストレス疾患治療研究所。どこに作るか色んな場所を探したんですけどもね。じつはあそこ、元やきとり屋さんだったのよ(笑)。

-(一同)笑。

「これだ!」って決めたの。やきとりのボックス席、カウンターも真ん中にあってね。…で、座敷席が三つくらいあるわけ、奥は厨房。…ね。「これ! ぴったり!」と言って。
それから、やきとり屋さんて木作りでしょ。心理相談室は家庭的な雰囲気を出したかったから、木をそのまま使ってね。もちろん全部洗って改造もしたんですけどね。木作りを一からしようと思うとえらくお金がかかるけど、元のを全部生かしてね。ボックス席は、家族ごとに待合してもらう のに丁度よい。掘りごたつもみんな良い。(笑)

-(一同 笑う)へー!

すごく良い感じだけれど、ただ、仕事が終わったら一杯飲みたくなるの(笑)。
あそこには、お酒の神さんが住んではるんやね(笑)。あははは。

それで…心理士が堂々と専門的役割を務める場所ができた。つぎに良かったのは、患者さんの「居場所作り」ができたこと。うちの当事者グループは、 院内グループもあるし家族グループもあるしオリエンテーショングループとか【あゆみの会】も浪速生野病院でやっているし、色々やってるんですけれども、 【居場所作り】っていうのをやりたいと思って。居場所がないと感じている人はけっこう多いんですよ。だから研究所で【ほこほこクラブ】っていうのを、 作ったんです。

-(けいちゃん)【ほこほこクラブ】?これは?

研究所で集まってね、お茶を飲んだりお話したり、制作したりする【ほこほこクラブ】。
私たちの間では「ほこちゃん」とか呼んでるんです(笑)
ほんと、「作って良かったな」と今一番感じているんです。まだ出発したばかりだけど、みんなすっごく馴染んで…うん。本当にね、やっぱり病院でない所でね。病院はやっぱり病院じゃないですか。「研究所を作って良かったなあ」と思って。これもまた、居酒屋の雰囲気ピッタリだと(笑)。アルコー ル抜きですけどね。

-(けいちゃん)来られる方は、摂食障害以外の方も来られるのですか?

まだ数名のグループで、摂食障害が中心ですが、鬱の人もいらっしゃる。基本的には、どの病気でも参加できます。

-(saahko)それは、ここに来られてる患者さん限定だったりとか?

ええ、限定。体調なども配慮しなければならないので。
で、今日ね、ほこほこのリーダーさんがメンバーの肩にもたれたんだって。ね。そしたらそのメンバーがね、「あ~、温いな~」って言ってくれたん だって。そのリーダーが今日、私にね「先生、その言葉だけで充分や」って。「私らね、その『温いな~』って言える場所だけ探してるねん」って。…うん。 私、もう胸がキュンってきてね。「あー。やっぱり居酒屋効果やなあ」って(笑)。「やきとり屋、良かった」って感じ(笑)。

-(けいちゃん)ああ、でも「温かいな」って肌と肌を触れ合うその感覚って、やっぱり大切ですよね。言葉なんかいらないですよね。

そう。難しい治療法よりも、本当にそれだと思う、私は。ほこほこした気持ちは原点やと思う。だから色んな治療法があって、大がかりな治療しても、 結局は「ほこほこ」でないとダメね。究極はそこですよ…うん。それはものすごく感じてきました。摂食障害のみなさんから感じてきました。

-(saahko)あの、心がホッと出来る場所。自分が自分であれる場所みたいなかんじですかね。

そうですね。心がホッとできる感じ。
医学的・専門的な治療も色んなことをするんだけれども、その結果として、そんなに難しい哲学が出てくるわけがない(笑)。もちろん、摂食障害を経験した人は人間としてとても大きくなられますよ、みんな。大きく育っていくんですよ。だけど、そこからパッと花咲くの は、やっぱり【ほこほこ】ですね。【ほこほこ】は人の基本・原点にある、シンプルで、しかも力強い気持ちだといえます。

-(けいちゃん)【ほこほこクラブ】ではないですが、あかりプロジェクトは、回復した人と、真っ只中の方とが一緒にお話をするという「あかりトーク」というのを開いているんですけれども、回復した人と今苦しんでいる方たちが言葉を交わしていろんな思いを共有するっていうことについてどう思われるでしょうか。

それはすごく大切だと思います。回復者がリーダーとなって、互いに心開いて分かち合っていく方法って、すごい力になると思いますね。
海外で行われている治療でも、回復者の役割が大変信頼されています。

例えば私が行っていた英国では、摂食障害専門機関のプライベートな病院とか施設はいっぱいあるんで すが、非常に高額。快適な施設で、「うわー、羨ましいなあ」と思うけど、すごく高い。だから、長期治療がやりにくい。短期で集中的な治療をした後は、ほとんどセルフヘルプグループが受け皿になります。

薬物依存とかアルコール依存でもそういう感じがあるじゃないですか。セルフヘルプグループを信頼して、グループ力っていうのを重視してるでしょ。それと同じような形。

だからそこのリーダーっていうのは専門家が入るんじゃなくって、回復者が多い。回復者リーダーっていうのは信頼されていて、その育成に力を入れているんです。
その人たちは研修を受けられるのですが、それをしているのは、いわゆる【摂食障害協会】なんです。そこでリーダーの悩みも聞くし、相談にも乗るし、「グループをどういうふうにしていくか」とかのノウハウも、みんな教えてくれるのです。

体験者・回復者リーダーを育てることに力入れて、セミプロみたいに認めている。そのかわり、リーダーになるには例えばイギリスのアソシエーションで は、試験なんかがあるわけ。その試験も2回くらいあってね、それを通らなかったら、まず電話相談をやって「知識とか体験を積みなさい」というステップも用 意されてる。あるいは、まずはメール相談係りになって、次に実際のグループに当たるとかね。

それから、グループのリーダーは1人じゃなくて2人って決まっ ている。「1人では、体力・精神力がもたない」ということで。燃え尽きないようにね。…というふうに、ある意味で守られているのよね。管理するのじゃなく て、育成する方向でのシステムがあるわけ。

だから私は、日本で回復者リーダーが出て来てきたことが、本当に良かったと思う。
ただ気をつけるべきは、しんどすぎるっていうか、リーダーの負担が大きすぎる場合もある。
とくに日本では過剰に頼られることも多いので、そこをどういう風にマネージメントするかっていうことを考える必要があると思うの。それと、経済的な問題です。なかなか難しい問題はあると思っているんです。

海外のやり方で参考になるところは色々あります。ただ、日本には日本のやり方っていうのがありますね。海外ではわりと、治ろうという目的意識がはっきりしてるわけ。【治るためには…】みたいなグループが多い。ところが日本はやはり【ほこほこ】的なんですね。お互いに仲間がいて…という【癒しあいの場】ね。それは日本の良さとして、大事に育てていかなきゃと思っているんですよ。
全部が全部、海外の真似すれば良いということじゃないと思うのね。それなりの日本的なやり方っていうのをみんなで一緒に考えていかないと。

ただ、現状のように「あっちで出来た」「つぶれた」みたいなことではね、リー ダーさんが挫折するわけ。それは可哀想。一生懸命やってるのに…ね。
そういうことも含めて【協会】という基地が出来れば良いと思って、いま行動を開始しています。

もう1つ、発症後すぐにやって来られた患者さんは、たいていスティグマが強い。スティグマっていうのは、「卑下する気持ち」っていうか、その病名によって自分の価値を下げるというか、「人にはちょっと隠しておきたい」みたいな気持ちです。「えらい病気になってしまった」「人には言えない」みたいなね、そういうスティグマが摂食障害では、やっぱり、まだ強いんですよ。

…で、例えば英国なんかでは、ダイアナ妃が摂食障害。でも堂々と摂食障害学会の設立総会に行かれた。「みなさんしっかり治してください」って演説したから、摂食障害に市民権ができたのです。
だから摂食障害になっても、あまり恥ずかしいと思わない。病気になっても…顔を伏せるような気持ちにはならないわけ。
でも日本では「こんな病気がバレたら結婚できない」みたいな感じになってしまう。

-(けいちゃん)そうですよね。

…ね。だけど、そんなのと違う。摂食障害は、病気だものね。
でも、その辺りの理解がなかなか難しい。だから、協会っていうのが出来たらね、市民権 というか、寄って立つところが出来るじゃないですか。それだけでも安心というか。
日本にも糖尿病協会とか成長障害協会とかあるじゃないですか、病気各々の。
だから、摂食障害も出来るべきだと思うの。それを作りたいと。そういうところがあるというだけでも、役に立つだろうと。

-(けいちゃん)摂食障害のことを隠したいという心がまだ、私にもあって、就職活動の面接の時に「もと摂食障害で…」ということがなかなか言えません。面接を受ける時に、採用する側が「もと摂食障害だったら、この人は採用をやめて、他の人を採用しようか」という風になるんじゃないかと思ってしまって、なかなか勇気を出して言うことができません。

今はそれで良いのではないかしら。摂食障害のことを言えたら素晴らしいけれど、言えなくってもかまわない。今はまだ、きちんと理解してくれる人って、やっぱり少ないんですよ。言ってわかってもらえるのなら、言うことに意味があるんだけれども、なかなか…ね、わかってもらえない。だから、今はまだ言 う必要はないと思う。

それよりも協会とか、そういう第三者的な組織が立ち上がって、きちっと社会的に了解してもらえるようになればね、言えるようになる。
だから順序として、もっと広い視点からメッセージを発して…週刊誌的なものじゃなくってよ、そういうことじゃなくって、正しく理解してもらうような運動が先ずは必要だと思う。

そのかわりに「ちゃんとした仕事はするぞ」ってみたいなことは思ってね。あとは、後輩に光を(笑)与えてあげるように頑張ってくだされば良いなって思うけれどね。

このことは、私もよく質問を受けるんですが、【無理して言うこと】がイコール【正直】とか、そういうことじゃない。やっぱりそこらへんは、状況をみながら、自分の力を発揮するように持って行ってもらうほうが、有意義かと。
もちろん、摂食障害を公表することで自信を持ってやっていける人もいるし。自分しだい。選んだら良いと思うのね。

-(けいちゃん)面接で言わないことによる罪悪感があったり、「これ、言ったほうが良いのかな」って戸惑ったりしています。でも、まだ言う勇気がありません。

迷いがあるときは、言わなくて良いと思うの。
ただ、「摂食障害のことを言ったって、どうってことはないような社会にしていかないと」という思い が、私にはすごくありますね。だって、言えない事情ってあるもの。だからスティグマっていうことなんですよね。

これって、【社会とのギャップ】【理解度の低さ】と関連している。だから、レベル上げるべきは社会のほう。そのために、協会が役に立てればいいなあ、上手くいけば良いなと思うんです。

あと、協会に力をつけて、疑問に答えたり、知識を学んでもらう場所になれば良いなと。そういう拠点みたいな所があれば、ずいぶん病気も認められると思います。

そしてもう1つは、専門家の知恵を集める場所でありたいと思っている。英国のアソシエーションなんかは専門書を発行したり、 摂食障害の医者とかに助成金出して「摂食障害を研究してください」と、補助することまでやってる。おまけに、国際学会の主催もしている。そこまでいくには、随分時間がかかるけれども、まずはそういうことも参考にして、そして「摂食障害っていうのは我々みんなの問題だよ」という認識を日本にも広げていきたい。

これね、「こころの臨床」いう雑誌で「摂食障害」特集を編集して、そこにも書いたんですけど、「摂食障害っていうのはthemの問題じゃなくって usの問題」だと。つまり、「【あなた達】【摂食障害になっている人】の問題じゃなくて、発症には社会的な問題が大いに影響しているのであって、我々us の問題だ」って、引用して書いたんだけれどもね、そういう風な認識にもっていくべきだと思っているんです。

それには、やっぱり基盤がないとね。例えば今まで摂食障害ネットワークを開いてきたんですけれども、近畿だけでやっている状態では、そういう声がなかなか出せない。全国メッセージにならない。
だから、ネットワークでの5年のノウハウを、全国規模に移すべき時期が来たかなと思っているのです。

それと、もう1つ。そのノウハウの中には、【運営の難しさ】も含まれています。言い換えれば、問題点への対応法。摂食障害ネットワークも決してスムーズに きたわけじゃない。野村さんというリーダーも、ものすごい苦労をしてくださった。例えば寄付金だってなかなか集まらない、日本では。これをなんとかするに は、地方の動きでは実現できないんです。

だから、各地にいらっしゃる有志の先生方に声をかけて、全国組織として協会を立ち上げることになったのね。本当はネットワークと協会の二つが出来たら良いけど、そこまでは余裕がなくて(笑)。だから、ネットワークを発展させるところから再編成したいのです。

私たちは今まで…いや、今でも「セルフヘルプが必要」「セルフヘルプって大切」と言っているんだけど、学会などでは必ず反対する医者が居る。
「生野先生。患者にそんなことをさせて、どうするんですか」って言われてきたの。
セルフヘルプの理解が行き届いていないから、「専門病院を作ってほしい」という要望すら出せない状態が続いている。社会に正しい理解を促すためのメッセージを出す基盤がないから。でも、もう立ち上がらないといけないよね。

セルフヘルプかサポート組織かの違いはあるけど、良いとこは繋がったら良いし、繋がれない点は繋がらなくて良いし、お互い住み分けしたら良いしね。セルフヘルプの 純粋性を保つには繋がらない方が良いって見方もあるし、役割分担するほうが良いという考え方もある。それはまた、皆で考えていけば良いんじゃないかと思う。

とにかく摂食障害を「恥ずかしくない病気」と考える拠点作りをしたいというのが、私の願い。
30年間、勝手に自分の任務を作っているんだけど「これだけは、しないと駄目」と思ってるの。

なんで私がそういうことを強く願うかというのはね、やっぱり「若い女の子が死んでいる」という事実。
命をなくしていること、これはね、世間の人はあまり知らない。実態も調べられていない。でも亡くなっている、この病気で。「若いし、これから」という子がね。しかもそれが、素敵な女の子なの、病気を取ればね。
そんな子が命を亡くしているという事実を、決して放っておけない。自分が治療していても…そこが一番…辛い思いをしてきたことですね。自殺もあるし…。
だから何としてでも、そういう活動を始める予定です。

-(けいちゃん)協会を立ち上げる先生の思いがある中、全国のセルフヘルプクループなどで「待ってられへんよ」っていう声も今上がっている感じですが、生野先生的には、両方一緒に歩けたらいいなあと思ってらっしゃるんでしょうか?

うん、そう! そうであれば良いなあって。
協会的な動きはちょっと任しておいて…それは私達がやるから。他の専門家もしっかりそこには噛んでもらって、声を出していくからねと。

だから、「私たちがセルフヘルプのことをしたい」という皆さんがたの声は、それはもう非常に嬉しいです。それは協会がすることと、 また性質が違う。やっぱりセルフヘルプいうのは、実際の声によって生み出されてくる。そういうのは、皆が行きやすい。「我が力」っていう感じだもの。

協会がやるとどうしても、専門家がリーダーっていう、いわゆるサポートグループ的になる。サポートグループとセルフヘルプとは違うし、できれば住み分けたほうが良いし、やってくださるなら、こんなに嬉しいことはないです。

協会は専門的なノウハウや治療法を情報公開したり、社会一般に理解を広めたり、そういうことをしますが、先ほど言った「ほこほこ」的なものは、やはりセルフヘルプでしかできないものです。

-(saahko)先生のお話を聞いて思ったんですけれども、先生の治療の方針っていうのは、当事者である方が主役のように扱ってくださるから、良いほうに向かっていく・回復に向かっていくのかなって、今、感じました。

そう言っていただければ、私も非常に嬉しいです。
当事者の経験っていうのは【力】なんですね、本当に。当事者同士の支えっていうのは、医者とか専門家どころじゃないですよ。摂食障害になる人は、 すごいエネルギーがあるしね、才能もある。パワー持ちなの。だから葛藤するのね。ある意味で、パワーの葛藤なの。妥協せずに真実を求めるから。

-(saahko)本当にあの摂食に使ってたパワーの質量を、本当に自分が使いたいことの方に向けることが出来たら、本当に凄い力になるだろうなっていうのは思っています。

すごいですよ。本当、すごい。
私はそれを知ってるから、当事者力こそ治療の中心にあるべきものだと思っています。
身体の病気だと「動け」って言われてもなかなか動けないけど、摂食障害は…もちろんしんどい時期とか動けない時期もあるけど、動ける時期の人は、本当にパワーを出される。素晴らしいですよ。

私の外来を卒業された方も、やっぱり凄いし、今来てる人も凄いですよ。私の娘より若い患者さんが多いんだけれどもね、マジで対決しますもん。そりゃあ、真剣勝負です。いいかげんな、フワーっとした話なんかしませんよ、私。受診者にそれだけのパワーがある。

だから私はいつも言うのですが、「摂食障害の人は、必ず人を救える。人を救う力を持っている」って。人の気持ちを感知する力も、共感する力もある。ありすぎるくらい。わかり過ぎるくらい(笑)。それに、周囲を引っぱる力もあります。

-(saahko)あの…お話を聞いていて、あかりで活動してる方向が良い方向に向かってるんだなっていう感じを受けました。私たちが 向かおうと思ってるのもやっぱり「当事者の視点で回復してきたからこそわかる、当事者の視点で何か提供できるものがないだろうか。それを実現していこ う」っていうのが、私たちのあかりプロジェクトなので、「こっちの方向で良いんだよ」みたいなお言葉をいただけたようで嬉しいです。

はい、ほんとそう思います。がんばっていただきたい。そう思います。

-(けいちゃん)もっとお話をしていたいのですが、時間が迫ってまいりました。
最後に、この未来蝶をご覧になっている摂食障害で苦しんでおられる方に、生野先生からのメッセージをいただけるでしょうか。

そうですね。やっぱり自分の【心】と【力】を信じて欲しいと思う。
でもこれが難しくて、信じられない方がとても多いんですね。
だから「信じていいよ、信じていいよ」って言い続ける。

-(saahko)ああ、私が泣きそうです。(笑い泣き)。もう!ありがとうございます。

「信じていいよ」って言うのは、私自身が信じてるからなんですよ。
今までの治療経験を通して、【信じる】・【信じうる】ということが確信できるからです。
だから、信じてほしい。その一言に尽きます。

-(けいちゃん)本当に嬉しい言葉です。でも真っ只中の時って【信じる】とか【信じない】とか、全然なにも出てこないというかわからないというか、そんな感じだったように思います。

そうそう、出てこないよね。だから、横で言ってあげる人が必要ですね。
それが当事者同士、あるいは先輩。「自分を信じて良いよ」と言ってあげて、それを何回も繰り返してあげてね。
1回や2回だけ聞いてもわからないもの。10回・20回・30回、言ってもらうとね、「あ、信じて良いのかしら」と思う ようになってくる。そこから始まるのね。

だから、私も言い続ける。そのために、まずは「私があなたを信じてる」っていうこと。そしてそれを伝えてあげたい と思う。
身近にいる先輩達がいつも言ってあげたら、一番強い力になると思う。

-(saahko)なんか…当時、一番言って欲しかった言葉だなぁって思って(涙)。
私自身が摂食を治す過程で「信じて良いのかな」 「良いんだよ」って、自分には言ってきたんだけど、不安ながら摂食も治してきたし、このあかりに繋がるまでの人との出逢いの中で自分の道を探している時 も、「自分を信じて良い」って、ずっと自分には言ってきたんだけれども、なかなか外側から貰う機会っていうのはなったので、今、ドンピシャリでハッキリと 言っていただいたんで…(涙)。ありがとうございます。

そう、自分自身にも言ってあげてね。

-(saahko)今苦しい方に「信じて良いよ」って言うのと同時に、やっぱり自分にももっと言ってあげたいなっていう気持ちになりました。


そうそう。

-(けいちゃん)なんだか、いつも迷っていたように思うし、今でも迷っていることってすごくあるので、「信じて良いんだよ」っていう言葉は、あのころの自分にも、今の自分にも、本当に優しくて嬉しい言葉ですね…。

-(saahko)摂食のころは、食べたい気持ちもあるけど食べたくない気持ちもあって、痩せたいとか、色んな気持ちが交差する中で、じゃあ、「自分はどの気持ちを信じるの?」 っていう時に選べなかったり…。本当に、最初はそこから始まったので「自分は今、食べたい」という気持ちを信じて「じゃあ食べよう」っていう、最初はそんな小さなところから今に繋がってきたので、本当にこの「信じて良いよ」という言葉…大きいですね。

あのね、【信じる】ということは「正しいから信じる」のとは違うの。
でも、「正しくないと信じられない」と思っているのではないかしら。

-(けいちゃん)そうなんです、そうなんです。

そこなの。【信じるということ】=【正しい】ことではないの。
正しいから信じ得るのではなく、信じるということは、【迷ってる自分】【なかなか決められない自分】【まだ足りない自分】そういうこと含めて信じること。
迷っているっていう懸命さ、…ね。一生懸命迷うわけ。だから苦しい。苦しいということは、一生懸命だから。一生懸命探して、いい加減なところで妥協できないで、「これが良いのか」「あれが良いのか」と、懸命に答えを求める自分。これを… 信じるの!

正しい答えなんて、この世のどこにもない。だから、迷って求める。「人間関係って、いったい何やろう」と、「愛情って、何だろう」と、色んなことで迷う。そういう自分を認めるの。
答えなんて、一生求めても出てこないもの。だから、「正しいことを見つけて、信じよう」と思っていたら、一生信じられない。
そうじゃなくて、人間っていうのは生きていくプロセスそのものなんだから、そのプロセスを今歩いている自分を認めるの。

たとえ家に閉じこもっていても、そのプロセスを歩いてる。閉じこもっていても、色々と考えているのだから。「親に心配かけてないかな」とかね。それは、【心は歩いている】ということ。

-(けいちゃん)今もすごい色んなことに迷っているので…(涙)。
先生の言葉に、心を動かされました。

-(saahko)っていうことは、摂食障害の経験そのもの自体も信じてOKで、経験自体も、やっぱり豊な財産ですよね。

そう!そうですね。【我が通るべし人生】です。
だって、どこを通ろうと我が道だもの。まあ「通らざるを得なかった」と言った方が良いかもしれない けど、しんどいことのほうが多いから。ほんと、もっと楽な道を通りたかった(笑)…とかね。
けれど、通ることになったなら、しかたがない、前に進めばよい。そうでしょ?
そして、その道を歩んでいる自分を信じるの。今、歩んでいることを。
だから、【信じること】=【いわゆる正しいこと】ではないの。

-(saahko)【正しい】【正しくない】という確証がないから、なかなか信じられない。でも、正しいから信じるんじゃなくって…ですよね。

そう。確証が必要なら、【そのプロセス】こそ確かなもの。【求めている】【探している】という過程にこそ、価値がある。でもそれはしんどいことであって、誰かに答えを出してもらえるなら、すごく楽よねえ。けれど、【求めている】というのは進行形であって、【前に向かって歩いてる】ということ、一歩 一歩。途中でしんどい時は止まるけれど。それでも、求めているという道であるには違いない。これ、【求道】って言うのです。
そういうプロセスを歩いている自分を、確認する。確かに、歩いてる…ってことをね。
だから、「答えを持つ・持たない」ってことは、関係ないの。

-(saahko)もう、迷ってもつまずいても転んでも、遠回りしても、全部OKってことですよね。

そう。そう。なんとしてでも、歩いてるから。
だから、人間は結果で判断することじゃあない。摂食障害なんて、本当にしんどい道を歩いて…一言で言 えば「ようやってる」わけよ(笑)。簡単に言えば、そうでしょ。
「それを信じなかったら、何を信じるの」って感じでしょ。もう「これだけしたんだから、いいでしょう。あなた自身を信じてあげて」っていう感じ(笑)。
それこそ【求道】、たしかに道を歩いている、でしょう?

-(saahko)はい。ありがとうございます。もう、温かい言葉のシャワーをいっぱい浴びて、今日、私たちがすごく満たされました。

(笑)ありがとうございました。そう言っていただいて、こちらこそ、ありがとうございます。

-(けいちゃん)なんか、インタビューに来たのか、カウンセリングされに来たのか、わからなくなってしまいました(泣き笑い)。ほんとうに、癒されました。

まあ(笑)。そう言っていただいたら、嬉しいです。

 

生野照子さんプロフィール

生野 照子(いくの てるこ)

1943年大阪生まれ。
大阪市立大学医学部を卒業後、小児科医・心療内科医として活躍。ことに摂食障害の治療に力を入れ、セルフヘルプ活動支援を積極的に行う。
1989年より神戸女学院大学人間科学部教授(現在は名誉教授)として臨床心理士の育成にあたりつつ、あべのクリニック心療内科で臨床心理士などとチーム治療に取り組む。退職後は、社会医療法人浪速生野病院・心身医療科とストレス疾患治療研究所を開設。
2007年より大阪府教育委員長。資格としては、日本小児科学会専門医、日本心身医学会専門医、日本心療内科学会専門医、臨床心理士など。著書・論文 数。

《所属》 日本心身医学会・日本心療内科学会・日本摂食障害学会・日本うつ病学会・日本ストレス学会・日本精神保健予防学会・日本青年期精神療法学会 など。