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自助グループに参加して
初めて自助グループに参加したとき、私はドアを開けた瞬間から、なにか濃厚な、親密な印象を受けたことを覚えています。
参加したグループは、メンバー同士でハグを行う習慣があり、そういう習慣にそれまでまったく馴染みのなかったわたしはびっくりしてしまい、正直、そこには少し抵抗を感じました。
会の間中は、終始その空気に馴染めず、私にとってその場所は居心地の悪いものでした。
自分とは違う人たちだと強く思いました。
終わった後は、期待の大きかった分、疲労と怒りを感じました。
帰り道も、とても孤独でした。
日常生活の人間関係にも居場所が無いのに、自助グループでも自分は異質で、排除されたように感じました。その後、そのグループに足を運ぶことはありませんでした。
私はそれから長い間、自助グループに参加しませんでした。
自分が馴染めないことへの恐れもあり、問い合わせをしても足を運べない時期がありました。
けれども、心の中には誰かと気持ちを共有したい、繋がりたいという思いがあり、インターネットで摂食障害者のブログや情報を探していました。
そんな中で今はあるグループに参加して1年が経ちます。
そのグループもインターネットで見つけました。引っ越した先の、新しい住いの近くに会場があったのが選んだ一番の理由です。メールと電話で、問い合わせを行ったところ、感じが良かったので参加しました。
行ってみると、部屋には女性が2人いて、その2人は、とても親しい間柄のようでした。
少人数ということには安心しました(以前、参加したグループは30名前後がいた会で、入っていけないと感じたので)。その後、私のあとに、女性1人が来ましたが、その人も前述の2人と、長い期間知り合いの間柄のようでした。
持ち時間を決めて、言いっ放し聞きっぱなしで行う会ですが、それが始まるまでは雑談が交わされ、私は自分だけ居場所がないような、いつもの気持ちで居ました。
言いっぱなし聞きっぱなしの時間では、最初は自己紹介から始まり、自分の話したいことを話しましたが、いつもの生活で交わる友人には話すことが出来ない自分の感情を吐き出し、泣いたりもしました。
ただ、会が終わった後も、他の皆はまだ残っていて雑談していたりして、自分だけ帰ったら?と言われているような、馴染めない取り残された部外者のような寂しい気持ちでした。
昔、母と姉が仲良く話しているのを、横でじっと聞いていたあの気持ちでした。
会で泣いて感情を吐き出せたとはいえ、参加した後のいつもの生活では、あまり変化がなかったというのが本当です。落ち込んだり孤独だったりイライラしたりしました。
そこにも通うつもりは、なかったのですが、(その自助グループの集まりは一ヶ月に一回で、行きたいと思っても参加できるまでに期間が長く、あてにできないと思っていた)私には他に安心して、自分をさらけ出す場所が他になかったので、行く気になった時には足を運びました。
それは、いつもの生活で接している友人には見せられない自分の姿に、参加者が近い気がしたからだと思います。
また、頻度の少なさも、実は私にあっていたのかもしれません(前の会で泣いた恥ずかしさなども、次の開催までが長く忘れてしまうから)。
何となく参加して1年が過ぎましたが、周囲の人々との関係が少しづつ良い方に変わってきて、自分でも驚いています。
それは自助グループだけが要因ではなく、自然と変わってきた私の生活環境も大きいと思います。でも、自助グループで言われた言葉や、自分が発した言葉が何か影響をもたらしたことは事実だと感じています。
そこも最初から居心地が良かったわけではなく、行く気になった時にはなんとなく足を運ぶうちに、居場所ができたかなという感じです。
最初から自分に合うグループにめぐり合える人は稀なのかもしれません。
私もそうでしたが、参加するのが怖いこともあると思います。
でも、どこかに必ずあなたの居心地の良い場所があることを信じて下さい。
それは、必ずしも自助グループだけではないかもしれません。
そしてもしその場所が合わなくても、それはあなたのせいではなく、合わなかっただけです。
(あかりメンバー Bちゃん)
私にとっての自助グループ
初めて自助グループに行った日、今にもはちきれそうな風船のように、辛さでいっぱいになっていた私。「今日はたくさん荷物を下ろしていってね」というリーダーの一言に、ワァーッと涙が溢れ出しました。「辛いよ、助けて」って思いを、どうしても言葉にできなくて、ただただ泣くばかりの私。それでも「それでいいんだよ」って、いつも言葉を変えて伝え続けてくれたリーダー。
そのグループでは、タイマーで時間を分け合って、参加している方全員が平等に話せるようになっていました。
話を聴くときは、話している方を尊重して、アドバイスも話を中断することもしないようにする決まりがあり、聴いている途中で何か言いたくなっても自分の時間に言うという形。だから、とても安心して自分の時間として自分の感じていることを話すことができましたし、何も話さなくてただ温かい注目をもらうとか、ただただ泣いていることもできました。
私にとっては、唯一の“ありのままの自分”を出していい場所でした。“ありのままの自分”、それ自体がわからなかった私が、この場所で少しずつ自分の気持ちを知ることができ、また温かい仲間の存在に気づき、自己否定ばかりしていた私が少しずつ少しずつ変わっていくことができたと思います。
私にとって、摂食障害回復にはこのグループの存在は欠かせませんでした。
(あかりメンバー ちいちゃん)
もっと早くに知っていれば
私の場合、治ってから「そんなグループがあるんだ」と、知りました。
参加時期が遅れての参加でしたが、「みなまで言うな」というくらい、同じような気持ちだったり、経験だったりで、非常に居心地よく感じました。
自分だけじゃないんだという、安心感も生まれました。
「ここに私の居場所がある」とさえ思ったほどでした。
もっと、早くに知っていれば、もっとラクチンに日常を送りながら快方に向かうことができたのにと、思います。
活用できるものはドンドン活用し、ステップの踏み台にして、一歩一歩前進すること。
とても大切だと思います。
(あかりメンバー かつらさん)
安心感から回復の道へ
私が自助グループに繋がったのは、
自分の摂食障害を通院だけで治すことに限界を感じていたからでした。
摂食障害関連の本を読んだところ、自助グループのミーティングというものに参加すると、自分の正直な気持ちを語ることができ、摂食障害の仲間に会えるらしいと知り、思い切って参加してみることにしました。
ミーティングの最後に、平安の祈りというものを唱えることになっていたのですが、そこに「神様」という単語が出てきたこともあって、最初は「宗教団体か何かだろうか?」と不安を拭いきれませんでした。
ちなみにここで言う「神様」とは特定の宗教をさすのではなく、人智を超えた力(=ハイヤーパワー)という意味だそうです。
今までに体験したことのないことばかりで、最初は戸惑ってばかりでしたが、 今から思うと、私の回復に自助グループは欠かせなかったなと思います。
というのも、自助グループでは自分の仮面を外すことができ、 今まで誰にも打ち明けられなかったことを仲間に話すことによって 「私はこのままの状態で生きていていいんだ」と思えるようになったから。 そうやって、何度も何度も安心感を得ることによって、 結果的に回復の道に進んでいけたと思っています。
(あかりメンバー 岡井ルマさん)
帰り道は、行く前より楽に
自助グループのミーティングは私にとって大切な場所で、一人では今の私はいなかったと思います。過食してる話をしても自分の弱さや苦しさを話しても、誰も批判せずに「うん、うん」と頷いてくれます。行く前は気持ちがいっぱいいっぱいでしんどくても、ミーティングからの帰りは、行く前より楽になっている自分がいます。
私は何でこんなに生きにくく、不安なんだろう?ともがいていました。
自分の話もたくさんするなかで、少しずついろんなことが見えてきました。自己肯定感の低さと完璧主義が私を苦しめていました。今でも苦しい時もありますが、こんな自分も私なんだよと受け入れられるようになってきました。
たくさんの仲間に出逢えたこと、ミーティングの中でいろんな経験の話を聞き、その中でたくさんの言葉、安心感、気づき、希望をもらい続けています。
今では自助グループに行くことは自分の生活の一部のような感じになり、なくてはならないものになっています。
(あかりメンバー みほさん)
(2009/5/26)