HOME > 自助グループ・社会資源 > ピア活動の仲間たち > vol.2「リボンの会」鈴木こころさん


愛媛県松山市の摂食障害自助グループ「リボンの会」は平成16年に活動をスタートしてから毎月一度、緩やかに繋がることのできる安心できる居場所を重ねてきました。
そして平成29年1月、その発展形として、摂食障害やそのほかの心の苦しさを抱えた人のための就労継続支援B型事業所「オフィスパートナー湊町 ブランチ」をスタート。今後の活動の広がりや深まりが期待されます。
代表の鈴木こころさんにお話をお聞きしました。

(2018/1/15公開 取材:あかりプロジェクト いづ)

 

プロフィール

鈴木こころ さん(40歳)

1977年生まれ。愛媛県四国中央市出身。
高校生のときに、摂食障害を発症。拒食症になり、一時は体重が28kgになる。
高校卒業後、福祉を学ぶ専門学校に進学するも、過食と過食嘔吐に苦しむ日々を送る。
その後、引きこもりになり、長い時間を過ごした後、就職し、福祉分野の支援業務に従事。
2004年より、摂食障害の自助グループ「リボンの会」を設立。同じ摂食障害に悩む女性のためのグループを始める。
その後、結婚して松山市に転居。まちづくり施設やNPO 等での勤務を経て、2016年に(一社)愛媛県摂食障害支援機構を設立。
2017年、オフィスパートナー湊町ブランチを開所。

◎好きなもの:日本酒、からあげ、チェブラーシカ。

オフィスパートナー湊町ブランチのウェブサイト
https://www.ehime-sessyoku.org/

 

きっかけは高1のクラス分けテスト

-まずこころさんの摂食障害のご経験やリボンの会を立ち上げた経緯など、その辺からお聞きしたいと思います。

高校1年生のクラス分けテストで入りたかったクラスに入れなくって、父母が望むような頭のいいクラスに入れなかったことがすごくショックだったんです。な んか、落ちこぼれなんやなあと思って。ちゃんと真剣に勉強しなければならないなと思って、そこからガリ勉を始めたんです。ああ失敗した、2年生の時にはい いクラスに入ろうと思いました。

ついでに「デキる女は痩せている」というか、テレビドラマとかでカッコいいキャリアウーマンがハイヒール 履いて歩いている姿とか、なんかああいう姿に憧れたんです。そういうイメージしか高校生の時ってないんですよ、田舎だし。「カッコいいデキる女になりたい」みたいな変な空想があって、ガリ勉とともにちょっとしたダイエットを始めたんです。

最初はそれぐらいのきっかけで、ごはんをちょっとやめてみて。
それよりどっちかというと、最初は勉強をすることが優先で、中学時代に勉強してなかったので、どんどん成績が上がるんですよ。順位も 上がるし偏差値も上がるし、それが楽しくて数字にこだわるようになったのと、プラスそこにダイエットも取り入れてしまったので、ダブルで数字にこだわるよ うになってしまったんです。成績はトントントンと上がるのでそれもうれしかったし、体重も面白いように落ちていくし、「何でもできる」って思ってしまっ て、そこから強迫的に数字にこだわるようになったのかな。

-うんうん。

 

キュウリと氷しか食べられなくなって

で、いつからか「食べてはいけない」みたいになってきたんです。
高校1年生の終わりには、50キロあった体重が40キロになっていて、ちょっと「体育の授業がしんどいな」「フラフラするな」と思いつつ、先生にも言えず親にも言えず、自分が食べてないことを自分で知ってるから…。

先生には「大学、どこでも行けるよ」「もっと偏差値の高い所に上げていいよ」って言われたけど、行きたい大学はもう決めていたので、目標も無くなって、数だけにこだわるようになってしまったんです。でも、低体重で栄養が頭に回ってないので、勉強もできなくなっていくんですよ。 2年生の時には、もともと望んでたクラスには入れたけれど、目標もなく楽しくもなく、ただ単にテストの点や偏差値だけを追い求めていた。

それでどんどん食べる量も減ってきて、2年生の夏休みにはきゅうりと氷しか食べられなくなって、35キロになっていて。食べてなかったから便秘にもなっ て、お腹が痛くて母親に「お腹が痛い、実は生理も来てない」とようやく訴えたんです。それで総合病院に連れていかれて「即入院」ってなったんですけど、入院したらしたで、点滴で栄養入れられるじゃないですか。それが嫌で「なんで太らすん」って、「せっかくここまで痩せたのに」って。

そんな思いって経験してないとわからんと思うけど。でもその時にはその気持ちを言えなくて、理性では「太らんといかん」ってことは知っている。でも「なんで太らすんだ」っていえなくて、黙って点滴を受ける。本当は自分で食べないようにしているだけなのに。体は食べ物を欲しかった、頭も体も飢餓状態だったと思うんだけど、とにかく食べてはいけない、食べられない。自分で食べなくしているのを知っていながら、食べられないフリをしていた。

先生や看護師さんはいい人たちだったから、入院によって気持ちは休めたけれど、自分では受け入れられないのに、そうやって栄養を入れられることに対して「人はみんな敵だ」みたいに余計に思ってしまって。雑談ぐらいは心許せるけど、本当のことは誰もわかってくれないと感じていたんです。
その時代はそんなに摂食障害のことをみんなが勉強していなかったし・・・。学校の先生も、病院の先生も、みんな私のことを良くしようとしてくれているのは理解していたけど、本当のことはわかってくれてないなみたいな。医療にかかればかかるほど、どんどん孤独になっていった時期があって。

今から思うと、そうしてでも命を守れたから、良かったとは思うんですよ。一時期病院にかかりながら、体重28キロ状態を続けていたこともあって、そのまま点滴もなく過ごしていたら、たぶん死んでたと思うんです。だから、今から思えばそれでも医療にかかれたことはありがたかったなと思う。
でも、気持ち的にはそういう風にちょっと孤独感が増しました。

それから先生の協力もありつつ、高校2年生を2回やって4年で卒業しました。で、そこから、行きたくもない専門学校に行って、一人暮らしも始めて、田舎だからどこか学校に行くとなったら一人暮らしをしなければならないんですよ、そこで、今度は一気に過食になって。

 

地獄の日々

-ちなみに何の専門学校ですか?

福祉です。

-福祉にはそこまで興味はなかった?

いや、福祉の分野に行きたかったんだけど、より詳しく言えば、心理とかそっち方面に行きたかった。
ただ、入ったところが介護福祉士を目指すところだった。福祉という大きな分野は一緒だけど、したいこととは違っていたので、ちょっと違う…みたいな。学校はちゃんと行くんですけど、学校から帰る前に スーパーとかコンビニに寄って、コンビニでは弁当を5個6個買って。1人で食べると思われたらイヤなんで「お箸を5本つけてください」って家族で食べるような顔をして。次にスーパーに行って、大根1本とかキャベツとかお腹が膨れるようなもの、かさばるようなものを買って、それで帰ってドアを開けて玄関先で貪り食うみたいな毎日でした。

泣きながら食べる。朝まで食べ続けるんですよ。夜中も泣きながら食べてお母さんに電話する時もあって、電話 したら何時間も電話しっぱなしで。でも朝になったら学校に行かなくちゃいけなくて、学校では摂食障害とは思われたくないから、シャワーを浴びて澄ました顔をして学校行って、夜じゅう食べる生活。その繰り返しで。
でもそれも長く続かず、もう養生しようってことで実家で過ごすようになって、退学して。
でも、それもまた地獄。そこからが地獄。

-ああわかる…。

いつの間にか吐くことを覚えたんです。専門学校のときは80キロになっていたんですよ、153センチで。そこから実家に戻って、吐くことを覚えて。 日に5回食べ吐きして。食べて吐いて食べて吐いて、スーパーのかごいっぱい半額パンとか。お金も続かなくなって昨日のお惣菜とかを買いあさって食べるようになって、吐くから体重は減っていって。

孤独感も増していって自分はどうしたらいいのかがわからなくなって、農薬を飲もうとしたり、石鹸を飲んでしまったり。それでも生命力が強いのか生き残ってしまって、そんなことを20代前半はずっと続けていました。お母さんは私につきっきりになって、私はお母さんがい なければ何もできないみたいになってしまった。それが25歳のころ。

でも、孤独だけど、とにかく自分を表現したくて、愛媛新聞の読者投稿欄に、自分の想いとかを書いて投稿してた。そしたらとある読者のおばちゃんが不登校の親御さんだったんだけど「日本女性会議というのが松山であるから、体験談発表してみんか」って言ってくださって。
断れない性格してるから、なんかわからんけど「はい」って言ってしまったんです。発表してみると、摂食障害 じゃないけれど、やっぱり世の中の生きづらさみたいのを感じてる人たちがその会に集まっていて、女性の生きづらさとか、この今の時代の窮屈さとかそんなことを感じてる人たちが多かった。それで「私は摂食障害じゃないけど、そういう生きづらさになったらそういう症状になるのもわかるよ」って言ってくれた人もいた。
会場の館長さんも話を聞いてくれて「自助グループ、うちで開催してもいいよ」と言ってくださった。
そこから「リボンの会」が始まった。

 

リボンの会スタート!

-へえ、その館長さんが自助グループの存在を知っていらっしゃったんだね。こころさんも知ってたの?

その5年ぐらい前に、地元で自助グループしてたんですよ。でも1年も経たずにやめちゃった。

-そうか、実家にいらした頃やね、真っ只中のひどい時に立ち上げてたんやね。

やっぱり仲間が欲しい。高校生の時からずっと、周りのみんなはあたたかくしてくれるけど同じ経験してないとわからない。「この気持ちわかって!」っていうのがあって。
でも仲間も集まらなくてやめてしまったんだけど、また「したいなしたいな」って思ってた時にそういうことがあったんです。

-へえ、すごいね、縁やね。でも読者投稿欄に投稿したからこそやね、その繋がりって。
不思議やね…、生命力やね。

生命力ですね(笑)。読者投稿欄に投稿したのは自分のエゴというか、自分がもう消えてしまいそうで、ずっと家に引きこもっているし、 学校にも行ってないから、郵便すら届かなくて、自分の名前を他人が呼んでくれることってほとんどなかったんですよ。
だから自分が消えてしまいそうで。世の中に出回っている「何か」に自分の名前が載ってたら、自分が存在しとる感覚があって、それ欲しさに書いてたんです。いけないことやと思うんやけど。

-いやそんなぜんぜん…、すごく切実な思いから書いてたんやね。

自分の存在意義を確認したかった。

-うんうん。そしてそんな縁があってグループをお始めになったわけですね。今で何年になるんだっけ。

平成16年から始めたから、13年目?14年目ぐらいかな。

-わあ、10年以上やね、すごいなあ。

 

応援してくれる人がいたからこそ

応援してくれる人たちの存在が本当に大きい。自分らは摂食障害ではないけれど興味を持ってくれたり、応援してくれよるような方々が支えてくれた。オフィスパートナー立上げの時も応援してくれて。

-応援団やね。それってこころさんがずっと大切にしてたことやったよね。地域の人たちとともにって。摂食障害と関係がない一般のというか町のおじちゃんおばちゃんとやりたいみたいなことをずっとおっしゃってたよね。 そうそう、町のおじちゃんおばちゃん。市民応援団みたいな。

-それは最初の頃からそういうことを意識して活動してたん?それとも途中から?

リボンの会を立ち上げたころはまだ自分も過食嘔吐があって、1年 1年「いつつぶれてもいい」でやってて、それでも応援してくれる人がいたりとか「ちらしがなくなったんで送ってもらえますか?」と病院から言ってくれるようになったりしたんです。
そしたらやっぱり自分はまだ苦しいけど、誰かの役 に立ってると思ったらうれしくて、いつの間にか5年経っとったみたいになって。

知らず知らずのうちに応援してくれてる人たちがたくさんいるなって。「作戦考えて仕掛けていった」みたいなのはまったくなくて。それでその人たちに「ずっと続けることで恩返しをしよう」って感じじゃないけどそう いう風になっていったんです。誰かの役に立ってるんやったら続けようって。やっぱりしんどい時ってあるじゃないですか、つぶれそうな時とか。そういう時に 応援してくれる誰かの顔を思い浮かべながらやって、ずっとそういう感じです。

-うんうん。

それから、これっていいところも悪いところもなんだけど、わたし変に正義感が強いところがあって、いづさんも同じかもしれんけれど(笑)、お仕事に関することでも、絶対に許せんって思って一人でハッスルするところがあって、今理事になってくださってる方が「それはこころの強いところでもあり弱いところでもある、いい所でも悪いところでもある」って認めてくれたのは良かったのかなって思ってます。
「こころそれはいかんぞ!」とか「ここは無難に終わらせ るところやから」って指導されたこともあったけど。社会とうまく折り合いつけるみたいな。

-なるほどね、一般の社会に出れば正義だけじゃないっていうか、あるよね、しがらみもあるし。でも「そんなものや」ってみんなグレーのところをやってるのに、自分だけが「許せん!」ってなるって感覚のことやよね。私もある!なかなかめんどくさい性格やよね(笑)見て見ぬふりできればいいのに許せん!ってなるよね。

そうそう。その折り合いの付け方が今でも不器用。

-でもそれを認めてくれる人がおったんやね。だからこそ、認めてくれる人がおるから、そういう特性がありながらも活動も仕事も続いてきたしってことやね。

そうそう。私、昔から性格が変わっとるわけじゃないと思うんですよ。それを認めてくれる人に出会えたから今働いたりできてるのかなって。

-いいねいいね!変わったからできたわけじゃなくて、認めてくれる人がおったから…いいね!ステキやね!

 

 

自分が必要だったものをぜんぶ投入したらどうなるだろう?
 
-リボンの会の活動を重ねて、いろんな経験を積み上げて今また新しくオフィスパートナーを立ち上げられたと思うんだけど、そこの経緯というか、何か感じるところがあって新たに立ち上げられたと思うんだけど、その辺のところもお聞かせいただけますか。

リボンの会は、私自身が寂しくてどこにも繋がってなくて、寂しいっていう気持ちをわかちあいたいから立ち上げた。私みたいに孤独な人もいるはずだと思って。そういう孤独な気持ちを癒せる場所としたらリボンの会っていいなって思っていたんですけど、それは今でもずっとそう思っています。
でも13年14年と やっていくうちに参加者から「リボンの会みたいなあったかいところが毎日あったらいいよね」っていう声があったんです。
それと私はその 13年間活動を通じて、自分で名刺を作ったり、みんなに広報して回ったり、挨拶に行くっていう社会的なスキルを実践で学べたんですけど、リボンの会に来るだけの人たちはずっとお仕事ができないままだったり、それこそどっちかと言ったら状態が悪くなっていってる人とかを見てきたんですね。それなら、毎日居られる場所とか社会復帰の訓練ができる場所とかいるよねって。

松山にもそういう就労訓練ができる作業所もあるけど、摂食障害の人にはそのケアはちょっと違う な、それは合わないだろうっていう思いがあった。リボンの会に来る人たちの状態と、既存の施設はちょっと違うなって感じてて。

たぶん作業とかお仕事自体は、摂食障害の人ってうまくできる能力があって、でも人間関係の苦手なところとか、過去の家族とのしがらみとかいじめられた経験がある人もい て、人間が怖いとか信頼関係を築きにくいとかでお仕事とか長く続けられなかったりするんかなと思ってたんです。
そういうこだわりみたいなものが、余計に摂食障害の症状を深刻にしていくって見えてきだして。

自分は働けるようになって、仲間たちを見て、何が足りないかっていうのがだんだんとわかってきたんですよ。それで自分の歩みの中で自分が必要だったものを自分が始める施設に全部投入したらどうなるのか、例えば、自分が社会復帰をしてきた中で「こういうふうに背中を押してもらいたかったんよ」と感じてたこととか。
それが、ちょっとでも仲間の役に立つんだったら、それはやってみる価値はあるって思って、そういう動機で始めました。

-なるほど、逆にリボンの会では具体的にどんなことをしているんですか。
月に一回 1時から3時までやけど、フリートークみたいな感じ。最初に自己紹介とかやってあとはフリートークみたいな。でそこは私が感じるに安心できる場所。いつ来てもいいしいつ帰ってもいい。そういうゆるやかな繋がり。

で、オフィスパートナーはリボンの会よりはがっつりと繋がりをつくって、どっちか と言うと未来に向かって「私も本気でやるけん、あなたも本気でやろうや」みたいな、そういう風な雰囲気が出せればなあと。

※写真はオフィスパートナーの玄関。‟職場”と同じようなロッカーが設置されている
 

 

暗黒時代を経て、積み重ねた社会経験

-そうかあ。ちなみにこころさんご自身のお仕事の経緯というのは具体的にどんなふうだったんですか。

たまたま地元の社会福祉協議会に入れたのがきっかけです。
リボンの会をずっとして来て、
ときどきお世話になっていたんです。NPOとかボランティア団体を支える仕事ってすごく素敵だなって思って、職員になれるとは思ってなかったんだけど、地元に新しくNPOの支援センターができるって聞いて、少しでも役に立ちたいって思って「ボランティアでお掃除をさせてください」って言ったら「掃除は業者の人に頼んでいるからさせられんけど、職員を募集しとるから受けてみたら」って言われて。怖くて断ったんですけど、ずっとニートなのに常勤職員なんか怖いじゃないですか、でも断わり切れなくて受けたら通って。

-時系列で言うと、リボンを立ち上げたのは平成16年、26歳の頃で、社会福祉協議会が…

平成18年 28歳の頃。そこから2年後に結婚したので仕事を変わったんですよ、住む場所が変わったので。
ここからはまちづくりとかそういう風な仕事をずっとしてきました。
その間もずっとリボンの会はしていて、オフィスパートナーをしたいって思ったのは…準備を始めたのが 3,4年前。平成28年の1月には法人化をしたから、26年とかから準備かな。それで、まちづくりの仕事でもらった給料を貯めてた。300万円貯めて、部屋とか探して、いい場所がなくって一年ぐらい探し続けて29年オープンという感じです。


-なるほど。ちなみにこころさんご自身は、仕事をするにあたって多くの摂食障害を持つ人が抱えるであろう困難みたいなもの、人間関係なり食事が一緒にできんとか、
がんばりすぎるとかは割と感じずに働けた?
そうでもないです、ぜんぶがんばりすぎて。最初社協に入ったとき、上司がいないときに電話が鳴ってしまって、取らなきゃって思って「もしもし」って言ってしまったんですよ。それで後で上司に怒られて「会社に入ったらもしもしではいかん。ちゃんと○○の鈴木ですって言わんといかんって」「ああそうなんや!」と思って。28歳にして初めてそういうことを知った。ずっと家にいたから、そんな教育されてないからわからなくて、そういうのも一つ一つ覚えて行こうって感じました。ビジネスマナー、お茶の淹れ方とか、お客様は立ってお迎えしたほうがいいんだとか。あと最初は怒られたらクシュンとして、2週間くらい休んだりとか。
 
-うーん、うんうんわかる。
一言一言重く感じてしまう。それで傷ついて自分が仕事に行けなくなって、でも休んだら休んだで人に迷惑かけてしまう。けどそれでも行けないっていう弱さとか。でも迷惑かけるって自分を責めるんだったら迷惑かけないようにしなきゃといかんって思った。そういう強さもやっぱり身に付けないとって。

体験してない人にわかって欲しいって思いもあるけれど、摂食障害の自分も努力できるところは努力していかないと、それはがんばりを認めてもらえないんだなっていうのが強くあった。「自分は摂食障害やけんこういう症状があってこういう性格だから許してください」ではいけないのかなって。だけどできないこととか弱いところを強くすることはできないので、努力さえしといたら人はみんな助けてくれるんだなと思ったんです。


-それってなかなか、症状がひどい状態では特に、そういうふうに自分に目が向いて自分が変わろうってなることはなかなか難しいと思うんやけどどうしてそう思えたんやと思う?

 

それはたぶん、26歳からの実家暮らしの間に、私一回死ぬぐらいの経験をしてて、だから自分は一回死んどる人間だって思っているからかもしれない。

-そうか、じゃあ26歳の頃というのは表面的には症状もひどくてしんどい暗黒時代だけれど、中身はいろいろと変化があった時期なんやね。

そう暗黒時代。一週間ぐらい、処方薬の薬抜きをして。大量に摂取してた薬を、自分でぜんぶやめてみようと思ってやめてみたらすっごい禁断症状が出て、汗はかくし何を食べたかもわからんし、いつ寝たかもわからんような、すっごい精神的に苦しくて、一週間ぐらい地獄の日々やって、死ぬような思いをしたから…

-そうかあ、そんなご経験を…。その暗黒時代のときから積み上げてきたものがあって の社協時代なんやね。それで自分に目が向く心境にもなって…。社会スキルをある程度リボンの会で身に付けて働けたっておっしゃったけど、やっぱり働く中でもそれ相応のいろんな葛藤を経てきたってことやね。そのご経験がオフィスパートナーに活かされとるということなんやね。

 


「働く」の前段階に目を向けた作業所

-仕事で苦労したこととオフィスパートナーの特徴ってリンクしてる?

しとるしとる。

-あと、大事にしとることもきっと…

してますしてます。うちは生活と社会の基礎力を回復させるってことをテーマにしてて、なんで生活と社会なんだと言ったら、仕事上の作業なんかは、私は一応できる人やったんです。
でもやっぱり朝起きられない、億劫で起きられない、人が怖いから行くのが怖い。
学校もそうやったけど会社も怖くて行きたくない気持ちになる。そこが弱かったんです。
だから、とにかく朝きちんと起きるとか自分から挨拶ができるとか、そういう基礎のことをちゃんとしていこうと思ってて。

後は集団行動に慣れるじゃないけど、やっぱり人が苦手やけん言いたいことも言えないみたいな、自分から人に近づかないことで自分が人から離れよるのに、自分が孤独だ孤独だって被害者面しとったなって思ったりもして。その被害者意識もわかるけど、ちょっとでも人に慣れるように練習はしたほうがいいなと思ったりして。あとは時間を守るとか、今どきやったらパソコン操作とか。

みんなお仕事もしたいし同級生と同じように結婚もしたいし、自分の働いた給料で何か買いたいし、とかいろいろあるだろうけど、まず家にこもっとったら何も進まない。私もパソコンができなくて、リボンの会のパンフレットをつくらんといかんからパソコン教室に通った。目的があったからできた。
そういう生活と社会の基礎力、ベースの人間力を回復していきたいなぁというのがあります。具体的に今すぐには思い出せないけれど、自分の経験とリンクはしとるんですよ。作業にはそんなに重きを置いてない。

あと、普通の作業所って来たらすぐにお仕事する場所になってるけど、すぐにお仕事するんじゃなくて、人が怖くてよそに行くのだけでも怖い人が、契約したらすぐいきなりお仕事するってそれは絶対に無理って、ハードルが高すぎるって思って。それがどんなに簡単なお仕事でもしんどいじゃないですか。

だからオフィスパートナーでは来るだけでもOK。それを一つクリアしないとお仕事なんか手につかないし、安心感がないと怖くてお仕事の練習にもならんから、 まず来てボーっとしとってもOK。
あと、やっぱり家族のこととか昔のいろいろなしがらみとか、しんどいことがあって前に進めなくなってる状況だってあると思うか ら、来てノートにばーっと書いて自分の整理をするのもOKってしてるんですよ。

※写真は「そっとしておいてほしい」時につけるブローチ。手芸が得意な利用者さんの手づくり

私自身、仕事ができるようになって、28歳のときに好きな仕事につけたから、その前段階で死ぬ思いもできたから、ある程度自分の整理ができてたんだと思うんですよ。
だから急にフルタイムの仕事が決まっても、やりたい仕事だったし乗り越えられたと思うけど、仕事をする前段階で自分の整理ができてないと、どんな簡単な仕事でもできない。困難を乗り越えられないと思うんですよ。
仕事の前に自分の整理もOKよって施設なんですね。

-それが大事にしてることなんですよね。居場所としての機能、仕事の前段階のことからやるよってことやね。

そうです。私はそこが今の既存の施設には無いものやと思っていて。

-そうやよね、ホームページを見て、よくできてるなあと思った。キャリア事業部とオフィス事業部に分かれている部分がね、キャリア事業部は居場所的な部分なんですよね。そういうのがすごく知恵が詰まっているなあと思って。そうか、そうい うのって全国的にもあんまり無いんだね。

無いと思う。経験してないと前段階が要るんだって思わないと思う。

-そうやよね。

なんぼ好きなお仕事でも前段階が無かったらやっぱり上司になんか言われたらへこんでしまったりとかすると思う。

-ほんとにそうやよね。深く同意します。

 

どういう障害名であっても寄り添い方は同じ

-今スタートしてみてどんなことを感じていますか。もう1年経ちましたか?

1年経ってないです。事業所としたら最初は摂食障害の人オンリーで受け入れようとしてたんですけど、摂食障害の人が松山にもいーっぱいいるんですよ。いーっぱいいるんですけど、まずこういう施設が使えると思ってないっていうのがある。社会のそういう雰囲気を感じた。
で、運良く病院の先生とかの紹介で入ったとしても摂食障害の人はとにかくやっぱり自分の中の整理とかができてないと継続して通えなくなるなぁというのがあって。だからそこらへんはまあ、あまり良い言葉じゃないかもしれないけど、他の施設の職員さんから聞いたのは「摂食障害の人は難しい」と。「ちゃんと来ないし」って言われてて。

-想像はできる。

そう、やっぱり他の障害とは違うものがあるなって思って。それは私やっぱり前段階の話だって思ってるんですけど、本当はできる人だけど、前段階の ォローをしないから来られないだけやと思ってます。まあそういう来られなくなるってこととか、事業所で怒りなどの感情のコントロールができなくなるとか、そういうことが多いなとも感じてます。

でもやっぱり事業所を運営していかないといけない、お金もちゃんと回していかないと潰れてしま うっていう経営上のものもあるから、摂食障害の人だけって最初は思ってたけど、摂食障害の人も社会に出ていくといろんな人がおるから、他者も認めていくスキルがいるというのもあって、他の障害がある方も迎え入れるようにした。
たまたま、それで新たに発見したのは、他の診断名で入ってくる人でも、 やっぱり精神的に不安定になると過食するって人がいて、摂食障害とは診断されてないし話を聞いてて摂食障害ではないやろうなあとは思うけど、いっぱい食べ たり無茶食いみたいな、ひょっとしたら摂食障害になっとったかもしれんなって人も見受けられたりもして。

-精神、こころの苦しさを抱えた人全般を今受け入れているっていうことですか?

鬱とか不安とかそっち系の方とか発達障害の方とか。ただ、うちは女性が中心。男性利用者は1名もいません。男性が苦手な人も多いみたいで…。

-確かに女性だけのほうが安心できるって方は多いですよね。でも、いろんな診断名の方がいらっしゃるとなると、それぞれの特性を把握していくのはまた大変そうですね。

そうそう、そういう障害の対応もしていかなきゃだめなんだけど、でもやっぱり女の人の大多数は不安になったら食に出るんだなってのを発見して。それで他の障害の人の受け入れが始まってからじゃあどうすればいいんだってなったんだけど、アダルトチルドレンのカウンセリングをすればみるみる笑顔になっていくっていうのを目の当たりにして。

みなさんどういう診断名がついていようが、やっぱり過去に悲しい思いとか、辛い思いをしたり痛い思いをされとる方がたくさんいて、ずっとハッピーで気持ちもハッピーで軽かったけど、ある日突然急に病気に憑りつかれましたとかって感じじゃなくて、人生どこ かで悲しい思いをしたりとか、つぶれるほど責められたりもしてる。そこでちゃんと自分の気持ちを言葉にできなくてモヤモヤして、それで不安定になったらから、症状に出たんだなと思ってます。

だからどういう障害名であっても、やっぱり家族から始まるまわりの人たちとのモヤモヤとか、自分の気持ちを自分で言えるようにとか、そういうふうにその人が楽になっていけるように寄り添ったらいいんだなって、今思ってます。

 

本当に役に立つようになりたい

-事業所としてはそんな風に試行錯誤しながら今来ていると。こころさんご自身の思いはスタートしてみてどうですか。

私自身は、ずっと他の仕事をしながら月一リボンの会で摂食障害のことをしたり、夜の間に資料を作ったり、いろいろしよったんですよ。だから摂食障害に没頭できる時間が少なかったんやけど、今は摂食障害のことオンリーになれるのでうれしいです。

-わあ、そっかそっかあ。

私やっぱりずっと摂食障害に携わっていたいんだと思う。自分が渦中の時に摂食障害が好きとは言えなかったけど、この障害ってすごく魅力的やなと思ってます。人生を賭けてみんな戦ってるじゃないですか。その人生を賭けてることを、ちょっと方向をずらすだけですごくその人らしく生きられるようになる。そこだけで苦しんでると思うから、だから摂食障害ってまあ苦しいけどすごく魅力的で素敵やなって思う。だから、ずっとそこに関わっていきたいんだと思う。

-そうか、たくさん苦労して準備して、甲斐があったね。今からやと思うけれど、でも今の時点でうれしいって言えてるってすごいなあって思う。良かったね。

ほんとに、私昨日、結構夜中まで仕事しよったんです。ほんと一日中摂食障害のことをしてるんですけど、自分がそれをしたかったんやなっていうのを気づいたかな。それを応援してくれる人たち、無償でもやってくれる応援団の人たちがいるから、それには答えていきたいなあと。

-うんうん、これからの益々のご活躍を本当に楽しみにしています。ではそろそろ最後に言っておきたいこととか、今後の夢とか未来蝶の読者の人たちに伝えたいことがあれば。

夢と言うか、やっぱり本当に役に立つようになりたいんですよ。だからもっともっと地域の輪とか連携とか自分自身のスキルとか伸ばして一人でも良かったなって言ってもらえるようになりたい。メッセージは…「愛媛でオフィスパートナーをがんばっています。見守って下さい」。

-うふふ、こころさんらしいメッセージですね。今日はたくさんのことをわけてくださって本当にありがとうございました。

 

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