過去の記憶を消し去ることはできないけど、小さくすることはできるよ

言いたいことが言えない性格

23歳の頃、ストレスから食べられなくなり、拒食症になりました。
発症した頃、私は地元の金沢を離れ、東京で一人暮らしをしながらバンドを組んでボーカルをやっていたので、周囲からは自由奔放に生きているタイプに見られていたと思います。

でも、実際はそうではなく、人に気を使ってしまうタイプでした。内心、人とどう付き合っていいのかわからない、人付き合いが怖いと感じていました。
東京でバンド活動をしながら 派遣の仕事もしていたのですが、職場の人達とうまく馴染めない気がして…。それで自分の言いたいことが言えず、どんどんストレスがたまっていきました。

小学校時代の忌まわしい出来事と、母への不信感

実は小学生の高学年の頃、性的虐待を受けた経験があります。ひどいショックを受け、何が起こったのかもわからず、とにかく混乱しました。苦しくて怖くて、誰にも言えなくて…。
でも、ひとりで抱えきれずに、勇気を出して母に打ち明けました。すると、母は「そんな ことがあるわけない」と、私の話を信じてくれず、私を深く傷つけるようなことを言いました。その後、しばらくの間、母は私と口も聞いてくれませんでした。 私は母が自分を守ってくれると思っていただけに、ダブルのショックを受けました。その事件がきっかけとなり、母親への不信感が強くなり、私は自分の思いや本音を胸に秘めるような性格になってしまいました。

また私には兄がいるのですが、兄は成績が優秀で、母のお気に入りでした。何かというと私は兄と比べられました。進路に関しても母は自分の考えを押し付けてきて、私の言葉に耳を傾けてはくれない人でした。
そして私はますます心を閉ざしていきました。

体重が28キロになっても異常だと思わなかった。

私の場合、痩せたいという気持ちが強かったわけではありません。ただストレスで食欲がなく、食べないでいたら、すごく痩せてしまって、気がつけば身長154センチ、体重28キロになっていました。
そんな体型では仕事も続けられないため、実家の金沢に帰って入院することになりました。

28キロというのは、おそらく生命維持ギリギリのラインですよね。でも、不思議なことに、当時、私は自分が異常に痩せているという自覚がありませんでした。少しやせているかも知れないけど、異常にやせているわけでもない。周囲から「食べないと死んでしまう」と言われても、死ぬとは思えなかったし、死にたいとも思っていませんでした。自分は正常だと思っていたのです。
実際、病院で普通に歩き回ったり、普通に生活していましたし…。

でも、お医者さんに言わせると、それも拒食症の典型的な症状だそうです。極度に痩せているにもかかわらず、本人はそれを異常だと思わず、むしろエネルギッシュで調子がいいと感じている、それが拒食症の人間の特徴だそうです。
医者からは1日3回、点滴を打つように言われていましたが、私はこのままの体重でい いと思っていたので断固として拒否して、1日1回だけの点滴にしてもらっていました。

私の世界を維持するためには食べちゃいけない。

当時の精神状態を思い出すと、自分を完全にコントロールしたいという気持ちが強くありました。今日中にあれとこれをしようと決めたら、絶対にやらなきゃ気がすまなくて、自分で自分を管理したい、できていると感じていました。

そして「28キロは完璧な身体」と 思っていたので、この体重を維持できるよう自己管理しなくちゃ、と思っていました。 28キロの世界。そこは私の縄張りであり、私の世界でした。28キロの世界にいて入院していれば、誰も私の中に踏み込んでこない、言いたいことが言えない と悩む必要もない、理解されないことに苦しむこともない、外部からの進入をシャットアウトできると思っていました。だから、食べちゃダメだと…。

そんな風にしばらく拒食の状態が続いていたのですが、それが数ヶ月すると、一転して今度は過食嘔吐に走るようになりました。すると体重も増えていきました。過食嘔吐と拒食を繰り返し、体重も増えたり減ったりという状態がしばらく続いたのですが、その内、病院に いるのがいやになり、退院しました。

そのままの私を受け止めてくれた、友達の存在

退院後は社会復帰しようと、ショッピングセンターでバイトを始めました。実際にはまだまだ不安定な状態が続いていたのですが、バイト先で素晴らしい友人と出会うことができ、彼女の存在が回復への後押しをしてくれました。

その友達はこれといって、特別なことをしてくれたわけではないのですが、朝から晩まで一緒に仕事していたので、休憩時間などに自然とお互いのことを話すようになりました。
ある日、私は自分が摂食障害であることを打ち明けました。すると彼女はそれを否定するでもなく、そのまま受け止めてくれ、「つらいときはいつでも言ってね」と言ってくれました。信頼できる友達ができた。そう思えた時、今までにない安心感 がふわっと広がりました。

食べたい、吐きたい。そういう衝動に駆られた時って、誰かに傍にいてほしいって強く思うものですよね。でも、だからといって、すぐに家に助けに来て欲しいとか、救いの言葉をかけて欲しいとか、そういうのでもないんです。何もしてくれなくていいから、ただ傍にいて欲しい。雑談でおしゃべりしてくれるだけでいい、一言だけ声を聞かせてくれるだけでもいい。私は彼女との、たわいもないおしゃべりにずいぶん救われた気がします。

友達は摂食障害という病気について、詳しい知識を持っていたわけではありません。ただ、私のことを否定せず、そのままを受け入れて、一緒にいてくれました。私が望んでいた関係というのはそういうものでした。それだけで充分だったのです。

吐きたい、食べたいという衝動に駆られた時、誰かがやってきて「止めなよ」って止めてくれることってなく、自分で止めなければいけないんですよね。でも 実際、私は食べ吐きのことを考え始めたら、もう止めることはできませんでした。けれど、普段の生活の中でなんとなく、食べ吐きはやめたいと思い始めていま した。

自助グループの集まりで、性的虐待を受けた過去を告白

もうひとつ、摂食障害の回復につながる出来事がありました。
それは、摂食障害の人達が集まる自助グループ「パインの会」に参加した時のことです。私はその会で初めて、母以外の人に自分が性的虐待を受けたことを話すことができました。

母に打ち明け、否定されて以来、ずっと心の奥にしまいこんできた過去を、36歳になって、ようやく人に話すことができたのです。
それは同じ摂食障害で苦しむ仲間たちの前だったから、言えたのでしょう。その会は「参加者それぞれが摂食障害になった理由やプロセスを、話したい人は自由に話したらいい。話したくなければ話さなくてもいい。誰の話も否定せずに耳を傾けよう」という会でした。

様々な人の心の傷を聞いている内、私も話してみようという気になれました。思い切って打ち明けたら、その場にいた人みんなが私の話を否定することなく、真剣に聞いてくれました。安全な場所で自分のつらかった体験を話すことは、やはり心の解放につながるようです。何十年も自分ひとりで背負っていた重い荷物を、「よいしょ」って降ろすことができた気がします。

つらい思いを抱えている人の気持ちが、少しでも軽くなったら・・・

摂食障害になったきっかけは、人それぞれだと思います。私も性的虐待を受けた経験や、そのことを母に話して拒否されたことのショックはいまだに心の傷として残っています。
それは忘れようと思って忘れられることではないし、一生、記憶から消し去ることはできないでしょう。でも、つらい記憶をなかったことにすることはできなくとも、小さくすることはできると思うのです。

「私も似たような経験したよ」「傍にいるよ」 「一緒に考えてみようよ」「そのままでいいんだよ」。苦しみを持ったまま生きているのは、とてもつらいものだけれど、それを持ったままでもなんとか生きて いく、その気持ちと共に歩んでいく道もあると思うのです。
私も今後、つらい思いを抱えている人達の気持ちを少しでもラクにするような活動ができたらな、と思っています。

「親が嫌いだ」と素直に認め、ラクになってもいい

私はそれまで母に否定されて、自分が悪い子どもなんだと思い、自分を責め続けていました。でも、ある虐待の本を読んだとき「あなたは悪くない。親を嫌いになってもいい」ということが書いてあり、ハッとしました。
世間一般的には「あなたを産んで、育ててくれたのは親なんだから、感謝しなくていけない」という価値観がありますよね。私も「親を嫌ってはいけない」と強制的に思い込んでいました。

だけど、その本を読んで「親を嫌ってもいいんだ」と思った瞬間、ふっと肩の力が抜け、救われた気がしました。もちろん、母親を嫌うことに対する申し訳なさというのは今でもある のですが「本当は母親のことが嫌いなのに、嫌ってはいけない」と、自分の気持ちに蓋をしていたことの抑圧と葛藤が、長年、自分を苦しめていたことに気づき ました。

ここへたどり着くまで、長い長い年月を費やしました。たくさんのことを気付かせてくれた「摂食障害」に、今は感謝しています。

(2010/10/29 聞き手:ライター 佐々木淳子)

プロフィール/発症からいままで

サチコさん(仮名・40代)

金沢市出身の40代女性です。金沢を離れ東京に住んでいた23歳ころより拒食となり、金沢に戻ってくる。摂食障害の自助グループ、「パインの会」に参加し、周囲の助けもあって、回復に向かう。現在は子供2人、母子家庭でがんばっています。