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摂食障害の基本知識 ~経験者の視点で語り合いました

Chapter6 回復のプロセスってどんなだった?

レイカ : みんなの回復のプロセスが聞きたいです。どういう状態で回復に向かっていくのか。食べ吐きしとっても、これは回復に向かっているのか悪化にいってるのかどっちなんやろう?という時があるから。

いづ : じゃあ最後それにしよう。それぞれが回復のプロセスがどんなだったかというのと、みえっちさんとレイカちゃんも、話したいことを話してね。

かつら : わたしの場合は、自分の言いたいこと溜めてることを、少しずつ蓋を開けてというか、自分がぐーっと押し込んできたものを一個ずつ話して話して。言葉として話すことの練習から始まった。だから自分の思っていることを「いまは悲しいのかな?楽しいのかな?」から確かめていって、悲しいのならどんなふうに悲しいのだろう?という言葉を考えて、どんなふうに悲しいのかをわかりやすいように相手に伝えることの練習から始めていった。最初はへたくそです。「あのな、こんなな…」って、すっごい長い1時間2時間もかけてちょっとずつ話す練習を相手にしていって、相手の人がたまたま今の旦那やねんけども「ふんふん、それで。その時はどう思ったんかな?」とすごい聞いてくれる人やったんだけど、その人が居てくれたおかげでわたしはちょっとずつちょっとずつ「こういう風に思ってたんやわ。わたしその時悲しかったんやな。」というのを、前に出していって今まで溜めていたことを一からずーっと出していって、なんとなく過食の回数が減っていった。回数が減っていったというのは、いわゆる心理的に満たされないことを過食で満たそうとしていたのが、ちょっとずつ満たされていくというか放たれていくというか。吐き出すことによって軽減していって。親からもらえる愛情がなかったから、彼からもらう愛情で埋め合わせして。本当に話が暗くて泣きながらとか、どんよりしたことを言ってても、彼は「そやな、辛かってんな。」と言ってくれたりとか、そういうので回復していったのかな。その回復していったプロセスの途中で、親を憎むというか「わたしの家族こんなだったからやわ!」と思った時期もあって、それってやっぱり大事だと思うんです、今から考えれば。やっぱり自分がこういう風に思った憎しみというか怒り、感じたそのままも、今から考えれば大事なプロセスであって、それを通り越したら、親も大変やったんやなと思うようになった。何となく今は、親もアダルトチルドレンみたいな人だったから、そういう接し方しかわたしらに対してできひんかったんやなという考えにまで至っている。親を憎むプロセスも大事かもしれない。

めぇぐ : わたしの場合はまず自分自身の感情も自分でわからなかったので、悲しいとか相手にどうしてほしいとか自分はこうや、という感情を自分の中で受け入れられるようになったこと。それをまわりに伝えられるようになったことが、一番回復につながったきっかけやと思います。親に対しての反発もすごくあったんですけど、やっぱり親も人間なんで完璧ではないと思うんですね。だから、親にすごい感謝の気持ちもあって、でも、ありがとうという気持ちの中でも、これは傷ついたとか、こんな言い方はしてほしくなかったとかあって、それをそのまま親にぶつけてもいいと思うんですよ。自分の気持ちを認めてもらって、相手の気持ちも受け入れて。それが出来るようになって、段々ゆっくり回復してきました。今日みんなのお話を聞いていて、傷つきやすいところとか、すごい淋しいところとか、みんな共通しているところがあるなと思いました。それを吐き出せて、みんなの苦しみとかを受け止められるこういう場も必要で、そういう面であかりプロジェクトってすごくいいなぁって思いました。

みえっち : わたしはこれから治していかなきゃいけないんですけど、みんなの意見を聞いて、自分の意見を素直に言っていいんだなって。そこからまず始めていって。治すぞ!って。治したいですね。

いづ : 自分の意見を、ちょっとずつどんな風にしてみる?

みえっち : 素の自分で話してみようかな。被らずに。

saahko : それも安全な場所で出せたらいいね。お父さん、お母さんの話を聞いてるとすごく大変だから、そこで出してもこれまでと同じようになるかも知れないから、安全な場所で出していけたらいいね。

みえっち : 自分だけなんだと閉鎖的な感じで思ってたんですけど、そういう仲間というか…、なんか安心しました。

レイカ : 治さな、と頭でわかってても実際いざという時、感情を出さなきゃいけない場面で言えないですよね。自分の気持ちを吐き出さな、と思ってるのに出せへん。それが症状として出てるから、症状が出てきたときに「あ、やっぱりなんか溜まってんねん。」て気づく時ってあるよね。それがあるってことはわたし自身無理してるんやわ、素じゃないんやわと思う。もっと自分を出せたらいいんだけど、そういう安全なところがなかなか無い。会社とかで働いてたら、一歩引いてとか相手を立ててとか、段々無理してる自分が溜まってきて、だから社会人になったときに過換気症候群になり出したと思うんですね。人間関係とか、いじめとか。そういうのがあったからうまいこといかへんのかな?だから、今あかりプロジェクトにつながって、今日ここに来て…。来る前は正直すごい不安やったんです。

みえっち : こういう話ができるっていうのが本当にうれしくて。本当に、友達に言えないから、ちょっとほっとした部分もあります。こうなったのは何か意味があるんだなって、すごい思うんですよね。同じように苦しんでる人に関わってくことで、自分もそれで救われていくんじゃないかなって思って参加させてもらったんですけど、これから色々とあかりプロジェクトに関わっていけたらって思ってます。

レイカ : 今親と住んでるから…、分かってくれへん。何度言うても、何度素の自分や感情をぶつけても、もうほとんど無意味やから、なかなか自分の思ったことって言えないし、親にしたらわたしを見る目っていうのは「この子は摂食障害で普通じゃないから」という目やから、なかなかうまくいかないんですけどね。でも違う場で、本当の自分を出せて、その自分が生かされていて、自分の人生だから自分で選んでいってね、失敗したとしても自分で納得したものであったら、それはそれでいいかなと思うんですね。今回こういう場を設けていただいて、わたしとしては「うまく話せるかな?」って。食べ吐きしちゃってる自分やし、正直、今こうしとってもまた1週間後には食べて指突っ込んで吐いてる自分がいてるんですよ。またやってるわ、て思うけど、それがないと今までのわたしの人生全部否定なんですよ。それがあったから自分しんどいけどなんとかやってこれたし、それがわたし自身が弱いのか、そういう形でしか生きていかれへんのか。でもこれからもまだ人生あるわけやし、ずっと食べて吐いていく人生も嫌やし、食べて吐いている時間って、けっこうな時間取られるから、なんでもっとテレビ見たりとかゆっくりしたりとか、食べて吐いたらすごくしんどいのに、こんなので歳くっていくのか…、もうちょっと体にいいもの食べれたらいいのにと思うけど、過食のスイッチが入ると不健康なジャンク的な甘いものとかそういうのを食べるから、すごいどん底に落ちて。また食べてる!ていうのもあって…。先は分からないですけど、こういう機会があったらまた参加させていただきたいと思ってます。同じ病気でまだ回復されてない方や回復した仲間のお話を聞きたいし、わたしもいろんなこと話したいです。自分も本当に辛くて、図書館行って色んな本読みあさったりしてるし、体にいい○○とかストレスのこととか…。過食してるときってドーパミンが出るらしいんですね。だから脳のストレスに関係あるのかな、とか。試行錯誤してるのはみんな一緒なんやな、そういうところを経て回復していくから、わたしもいまその道を通ってるんやとか、自分に言い聞かせて過ごしてるんです。

saahko : わたしの回復のプロセスは、かつらちゃんが言わはったみたいに、自分の心を知っていく作業が、わたしも回復の過程にあって。何がそこでポイントだったかって言ったら、起こる物事を「肯定的に捉える」こと。それは今のわたしにも課題としてあるんだけど、やっぱり生きてたらいいこともあるし悪いこともあるんだけど、「こんなに最悪なこと!」って思えることにも、「なんか意味があるのかも?」と思って、肯定的な意味を探そうって思ってる。摂食障害の最中だったら、「食べたい」けど「食べたらあかん」って思ってる、でも食べてしまった。「だからアカンのや、わたし!」ってなってしまって、悪循環の渦に呑まれていくのがパターンだったんだけど、肯定的に捉えると「わかった!わたしが食べたかったから食べたんや。よし、それはそれでいい!」って。

レイカ : 過食と食べたかったって別ですか?

saahko : 食べたい気持ちが起こるから過食する。

レイカ : 間食と過食は別ですか?普通に食べたいときと過食って本当に違うものなんですか?

saahko : それは境目なかったかも。食べた時に、わーっと止まらなくなるから、後でまた自己嫌悪に陥る時に「また食べてしまった!」って、後悔と自責の念でガーンってなるんだけど、そこで「でも私が食べたいから、私が食べたんだからOK」と肯定的に捉えて、そしたら「食べたくないのに食べてしまった」とか、「やっぱり食べへんかったらよかった」とか、「これ太るんちゃうやろか」とかいうところで悩まなくて済んでいったのね、段々。「わたしが食べたかったから食べたんだ、じゃあそれはそれで悩まなくていいし、考えなくていいんだ」となったら、悩んでた時間が空いてくるでしょ。そこに、自分がやりたいこと嬉しいこと楽しいことっていうのをちょっとずつ入れていってあげるのね。最初は、「自分の好きなことなんかはしたらアカン」と思ってるし、「わたしなんか生きる価値無い」と思ってるから、自分のための時間さえも全然使えないくらいだったんだけど、「1日たった5分でもいいから自分のために時間を使おう」と思って、そこから始まって。それでもやっぱり過食の波に呑まれて、またボロボロになって泣いて。でも、そこで泣いてても始まらへんというのも分かってるし。またそこから抜け出して元気になれる自分というのも、段々やってると分かってくるから。じゃあ、そこからまた意識を離して、自分の嬉しいこと楽しいことを見つけていこう、という風にやっていって、そうしたら段々、辛くて苦しかった摂食の時間から自分の楽しい時間へとすり替わっていくように、過食の時間が減ってきたのね。ていう感じで、「物事を肯定的に捉える」というのを基本において、自分の気持ちを素直に出して、その気持ちを信じてあげる。誰かが「それ違うよ。お前の考えてるの変やぞ。」と言われたら、「わたしがそう思ってるんだから、わたしにとってこれが正解やねん。」くらい言えるまで自分の気持ちを信じてあげる。その気持ちでいったら、こんなんになります(笑) 泣いたり笑ったり毎日忙しいけどね。

いづ : わたしの回復のプロセスは、わたしの中で決定的な瞬間があった。それは、なんかね、自分のことが嫌いで自分に価値がないと思ってるでしょ、それをなんとか好きになろう好きになろうって、色々やってはいるけども、15年くらいかかってやっと、価値がないとこの一番奥にあったものに辿り着いた瞬間があったの。自分のことが大嫌いなことの底には、人とコミュニケーションがうまくできんってことが実はあって、劣等感というか、どこに居ても浮いてしまう自分とか、仕事が続かん自分とか、その部分がわたしにとって最も恥ずべき部分として底にあったんやけども、そこに気づかずになんとか表面で自分を好きになろうとしてもがいてきた感じ。フルタイムで働きにいって会社も長続きしてというのじゃないとダメというのが自分でも気づかなかったのだけれど前提にあって、その上で「今日は早退してしまったけど、いいや。大丈夫、大丈夫」って何とかなだめてみたり、前提があってのところで自分を好きになろうとしていたんですね。それが、ある日突然、そうできん自分はダメだって思っとった部分も、「もういいんや、このままでいいんや!」と思えた時に、わたし例えば一生働かないとしても別にOKなんや、いろんな手段で食べていけて、生きていればそれでいいんやって。いま、生きてるやん!って。いま両親元気でお家あるし、屋根あるし、餓死するような状況ではないんやからって。もし生きていくのがままならないような状況になったら、それはそのときの自分にお任せしよう、そのときの自分の生命力がちゃんとなんとかしてくれるって。そういう風に、一番奥のコミュニケーション下手ってところを、それでもいいやって許せた時に、心の中から過食の衝動自体がストーンって無くなったの。

saahko : なんか現実的なきっかけとか出来事とかあったの?いづさんの心の中の変化だけじゃなくて、きっかけとなるような出来事があったの?

いづ : 無い…というか、15年間で少しずつそこに向かっていったのかな。底付きになって、廃人みたいになって、ついに何もかも諦めて実家に戻ってしばらくして、そういうのが訪れた。

レイカ : 両親と住んでてもそのままの自分を受け入れらたというのがスゴイ。うらやましい。コミュニケーションが下手で仕事が長続きしないし、どこの職場にいてもそこでは納得しない自分がいてるから、今もそうだから。いづが、それでいいと思えたのがすごくうらやましい。わたしは、いつそんな日がくるんやろ、て待ってる自分がいてます。

saahko : 落ち込むにもやっぱりきっかけがあるし、わたしは自分らしく生きようと思えるようになるには、やっぱり何らかの行動と結びついてのことなんじゃないかと思うのね。外側から入ってきたものとか、アクション起こしたものなり。たぶん、どっかに絡みついてると思うから、何かあったのかなと思って。

いづ : なんかたぶん、何回もやってみて何回やってもダメだった。人とのコミュニケーションが息苦しいとか、仕事続かんとか、食べ吐き止まらんとか、何回やってもダメだから、諦めがついたんだと思う。

saahko : 手放したって感じなのかな?もう抵抗しないよ!って…。