トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 仲間に聞いてみよう!Vol.2 就労支援事業所を開設した鈴木こころさんにお聞きしました

摂食障害の基本知識 ~仲間に聞いてみよう!

“地獄の日々

-ちなみに何の専門学校ですか?

 福祉です。

-福祉にはそこまで興味はなかった?

 いや、福祉の分野に行きたかったんだけど、より詳しく言えば、心理とかそっち方面に行きたかった。ただ、入ったところが介護福祉士を目指すところだった。福祉という大きな分野は一緒だけど、したいこととは違っていたので、ちょっと違う…みたいな。学校はちゃんと行くんですけど、学校から帰る前にスーパーとかコンビニに寄って、コンビニでは弁当を5個6個買って。1人で食べると思われたらイヤなんで「お箸を5本つけてください」って家族で食べるような顔をして。次にスーパーに行って、大根1本とかキャベツとかお腹が膨れるようなもの、かさばるようなものを買って、それで帰ってドアを開けて玄関先で貪り食うみたいな毎日でした。

 泣きながら食べる。朝まで食べ続けるんですよ。夜中も泣きながら食べてお母さんに電話する時もあって、電話したら何時間も電話しっぱなしで。でも朝になったら学校に行かなくちゃいけなくて、学校では摂食障害とは思われたくないから、シャワーを浴びて澄ました顔をして学校行って、夜じゅう食べる生活。その繰り返しで。でもそれも長く続かず、もう養生しようってことで実家で過ごすようになって、退学して。でもそれもまた地獄。そこからが地獄。

-ああわかる…。

いつの間にか吐くことを覚えたんです。専門学校のときは80キロになっていたんですよ、153センチで。そこから実家に戻って、吐くことを覚えて。日に5回食べ吐きして。食べて吐いて食べて吐いて、スーパーのかごいっぱい半額パンとか。お金も続かなくなって昨日のお惣菜とかを買いあさって食べるようになって、吐くから体重は減っていって。孤独感も増していって自分はどうしたらいいのかがわからなくなって、農薬を飲もうとしたり、石鹸を飲んでしまったり。それでも生命力が強いのか生き残ってしまって、そんなことを20代前半はずっと続けていました。お母さんは私につきっきりになって、私はお母さんがいなければ何もできないみたいになってしまった。それが25歳のころ。

 でも、孤独だけど、とにかく自分を表現したくて、愛媛新聞の読者投稿欄に、自分の想いとかを書いて投稿してた。そしたらとある読者のおばちゃんが不登校の親御さんだったんだけど「日本女性会議というのが松山であるから、体験談発表してみんか」って言ってくださって。断れない性格してるから、なんかわからんけど「はい」って言ってしまったんです。発表してみると、摂食障害じゃないけれど、やっぱり世の中の生きづらさみたいのを感じてる人たちがその会に集まっていて、女性の生きづらさとか、この今の時代の窮屈さとかそんなことを感じてる人たちが多かった。それで「私は摂食障害じゃないけど、そういう生きづらさになったらそういう症状になるのもわかるよ」って言ってくれた人もいた。会場の館長さんも話を聞いてくれて、「自助グループ、うちで開催してもいいよ」と言ってくださった。そこから「リボンの会」が始まった。