トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 いろんな人に聞いてみよう!vol.3 身体から出す言葉とは???~池見隆雄さんとの座談会

摂食障害の基本知識 ~いろんな人に聞いてみよう!

身体から出さない言葉は自分の言葉じゃない

みか : 摂食障害の人って、根本のところ、症状の出どころについて、具体的にはわからないにしても、なんか、うっすらとした自覚はあるような気はする

いづ : みかさんそうやった?

みか : 一番最初は奥になにかあるんだろうなって思ってたけど1年経ち2年経ちしてもどんな状態かわからなかって…

いづ : 私、お医者さんに「あなたは感情を押し殺してきたから今こんなふうになってるんだよ」って

まっちゃん : そんなん言ってくれたん?

いづ : 言ってくれたお医者さんがいたんやけど、あれはよく言ってくださったなって今になったら思うけど、その時は全然響かんかった。ちょっとなんか外国語みたいな感じ?そこでわかっとったらあんなに苦しまないで済んだと思うけど。自分のこと嫌いなのが原因なのかもしれんなあってうっすらとは思っていたけれど

まっちゃん : 私はね、わかってたと思ってる。わかってたと思うけれど、行った病院が悪かったかもしれないけれど、わかってる中でお医者さんとそんなやりとりをするんだけれどそこへのアプローチが一切なかったんですよ。症状しか見てくれていない。最初はじんましんが出たんですよ。じんましんを治療してもしても治らないから皮膚科の先生はちょっとおかしいなと思って精神科行ってくださいと。でもそこで見てくれるのは身体だけ。症状しか見てくれない。後ろにある気持ち、自分でもうっすらたぶんわかってるんですけどそこにはなかなか…。それで逆に自分の気持ちが複雑になり…最初からそこへのアプローチをしてくれていたら早く良くなってたかもわからないなって今聞いていて思ったんですけれど。そこへのアプローチがもっと迅速にかけれるようにもし自分がお医者さんになったら身体の治療もするけれど心理的な治療もするという、いろんなアプローチができたらいいのかなって。薬も使えるし、そこを見てあげられるのはお医者さんかなと。だからお医者さんになりたいと思ったんですけれど、でも現実に症例とか見ているとやっぱりそこにアプローチされていない。身体しか見てない。脳の病気やっていう先生もいるし、自分はそんなところではなく…そういうの間違いですかね?

池見 : いや、それは、初期の心療内科のまさに目指していたところでしたね。でもやっぱりなかなか総合的に関わるということは難しくて、ましては個人病院では、そのへんで今心療内科が難しい状況になってる。でもまさに今言われたことを心療内科はしようと立ち上がった。ここで言う身体っていうのはいわゆる肉体とは違う身体なんですけど、今やってる勉強会は身体から自分の言葉を出していくにはどうしたらいいかというテーマ。身体から出さない言葉は自分の言葉じゃない。ビジネスライクな会話は別として、自分の気持ちを伝えようとするときは自分の身体から言葉を出していかないとっていう

みか : それは発声ってことではないですよね?

池見 : 発声も関わっていますよ。おのずと、声にもその人の気持ちがあらわれてくる

いづ : いつも送っていただいてる会報の中に「言葉の発し方、表し方」を大事にしていますってフレーズがあって、そこにピンと惹かれて今日お聞きしようとちょうど思っていたところ

池見 : まあ、別の言い方をすると、頭から出る言葉と身体から出る言葉。心身医学のほうでは心身相関の定義とか考え方があるんですけれど、僕にとって心身一如と言った場合は言葉を自分の身体を通して出していくってことが心身一如と感じるんですよ。そしてそこで人とコミュニケーションできるってこと

いづ : 身体と心が一致するということ?

池見 : 完璧に一致するということはないんだけれど、少なくとも今、身体が訴えてることからそれてはいない、その身体がいま感じていることってひとつではないので、例えば今僕ここに座っててはじめてお会いしてる方がいて緊張があったりいろいろあるわけですよ。分けて言えば緊張とか、なんかまあ、ちょっと役立てることでも話せたらいいなみたいなのがいろいろあるわけですよ。ひとつじゃない。けれどそれをひとつに、シンボリックに言える言葉ってのはないわけではない。たとえば今ちょっと胸がすこし苦しい感じとかね、それに沿って今こんな感じですということは言えるわけ。その辺が入り口で、もうちょっと細やかに言っていくことが可能なんです

いづ : 気持ちが言葉を探すっていう表現があるけれど、それは気持ちによりピッタリくる言葉を探すという意味かと思うんですけれど、今のお話は他の意味もありそうですね

池見 : 僕が言ってる身体っていうのは気持ちと重なってくるんだけれど、気持ちっていう言葉を使うととてもこう心理的なことに限定されてくるんだけれども、例えばほら、気持ちを表す言葉なのに身体を持ち出してる表現は結構たくさんあるでしょう。腸が煮えくり返るとか胸があったかいとかかきむしられるとか。だからその人はそのとき実際にその身体の感じを持ってる。初期の心療内科の実験で、今そんな実験したら非常にまずいと思うんだけれど、被験者を催眠状態にしてストレスになる場面の暗示をしておいて内臓のレントゲンを撮ると実際に腸がねじれていたりそんなことが起こってる。気持ち、感情と身体がぜんぶ相関しているっていうか

みか : なかなか自分の気持ちにぴったりな言葉を探すって難しいなって

池見 : まあそれで、初めから自然にできる人もあるけど、難しい人もいて、それで勉強会をやってるってわけ(笑)

一同 : (笑)

いづ : 今のを聞いて思ったんだけど、それがどうも難しくなさそうやなって感じる人もおいでるじゃないですか。でも思ったことがすぐに言葉に出てすごく口達者だからって言って身体で話してるとイコールかって言ったらきっとそうではないんですよね

池見 : それは違う。それはとてもこう、気持ちの上澄みっていうかね。それはしばしば人との間に葛藤を生じさせる、行き違いが生じたり、気持ちを傷つけたりということが多いと思う。もっと言えば、自分の気持ちに正直なんだけれど相手を傷つけるとか人との関係を壊すとかいう方向には働かないっていう、それが、こう、自分の気持ち、身体に沿った言葉の機能っていうか

いづ : 身体に沿った言葉で話せば相手の人を傷つけたりしないで済むんですか

池見 : 済むっていうよりか、コミュニケーションの幅が出てくる

みか : それはお互いにそういう状態で話をしたときっていうことですか

池見 : 一方がそういう構えでコミュニケーションしようとすれば相手もおのずと…最初から険悪な関係だと難しいけれど、なんかちょっとゆっくり話したいなと言うお互いだったら、相手がそういう形で関わればもう一方もそうせざるをえなくなる。…説明するのは難しい…