トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 いろんな人に聞いてみよう!vol.2文化人類学者 磯野真穂さん

摂食障害の基本知識 ~いろんな人に聞いてみよう!

ふつうに食べられない人たちの食に、できる限り近づいてみたいと思った

-事前にお渡しした質問の中で、今日一番お聞きしたいことはQ3です。磯野さんの人となりって言うか、どんな背景があって摂食障害のご研究をなさったり文化人類学の世界に身を置いていらっしゃるのかを垣間見ることができればうれしく思います。よろしくお願いします。ではまずQ1、Q2あたりから…

 摂食障害の調査って星の数ほどあるんですけど、当事者の人から見た食べ物とか、当事者の人が食べている渦中でどういう経験をしているかっていう調査はほとんどないんです。そこに着目したのがこの本です。

-そこに着目しようと思ったのはなぜですか?

 そういう研究がされていないからっていうのが一つと、あとはものすごいたくさん治し方に関する研究や本が出ているのに、根本的な解決に何も結びついていないように見えたから。

-まだ掘り下げられていないところにメスを入れてみたいっていう?

 摂食障害の研究っていうのは治療ありきの研究になっていて、「これは治療すべきものである」という前提があるから、「じゃあその問題行動を起こしている原因は何なのか?」っていうところで、生物学的、心理学的、社会学的な原因論の追究がずっと行われてきたんです。でもそもそもわたしは過食・拒食っていう状態を病気って捉えるよりはある種の技(わざ)として捉えているところがあって、いったいその技を駆使するときに本人はどう思って、どう感じているんだろう、というところがすごい抜けてると感じた。治療にとどまらない視点を提示したくてこの本を書きました。

-治すべきものという前提で原因論が研究されてるっておっしゃったけど、すべての病気と言われるものはだいたいそうなのかなっていう気がするんですけど

 うん、やっぱり自然科学的な思考っていうのはそうでしょうね。人文社会学的な思考っていうのは原因論よりも当事者にとってどう見えているのかに着目する。文化人類学のスタンスをとっている研究っていうのはそういうアプローチをとっています。たとえば慢性の病気を持っている人なら原因論追究っていうよりはその人は病のことをどう見ているのかっていう研究がなされている。

-慢性の病気は原因追究じゃないアプローチがすでにされているけれど、摂食障害はそうじゃなかった、という理解でいいですか?

 摂食障害のライフストーリーみたいなものはあるんですよ。でもやっぱり家族歴みたいな本人の背景に着目していて、「食べる」ことには注目していない。つまり、拒食や過食は「食べる」っていうことの乱れであるにもかかわらず、そこがほとんど注目されていないという変な逆転現象が起こっていたのをおかしく感じていました。従来のアプローチだとどうしても、個人を分割して、「異常」な要因を探していくんですよね。でも個人を分割してしまうと、個人のまるごとの体験からはどんどん遠ざかってしまう。だから、分割しないでまずはこの本人が何を体験しているのかを本人に直接聞いてみようと。

-それって文化人類学独特の?

 それ以外の学問でもやっているけれど、文化人類学がそこを徹底しているのは間違いない。正常・異常とかそういうことの前にとどまって、本人に見える世界を見て行こうという。それをわたしは摂食障害にあてはめてみたんです。

-それをすることで、例えば原因追究のアプローチだったらより良い治療法に結び付けようとすると思うんですけど、文化人類学のアプローチだとどこに行き着こうとしているんでしょうか。

 それは良く問われるんです。でも逆に質問してみたいです。なんでそんなに原因を探したり治療法を探したりしなくちゃいけないんですか?人を見たり人を理解することって別に原因を探すことでも治療法を探すことでもないとわたしは思うんですけど。

-そうですね。原因を探すっていうのはやっぱり治療すべきものっていう前提がありますね。それはでも「楽になりたい」というところから自然と出てくる気はします。なんでこうなったんやろうって。

 楽になりたいかどうかも目の前の本人に聞いてみないとわからないので、それを一般化して「みんなが楽になりたい」って思ってるんだってこと自体、ちょっとおこがましくないですか?治療していくってアプローチは、「ふつうに食べられない人たちはそもそも楽になりたくて治療法を探してる」って前提に自動的に立つことになってしまう。

-つまり楽になるとかより良い治療に結びつけるというよりはとにかく理解したい…

 理解したいっていう言葉自体かなりおこがましい感じがする。、むしろ何が起こっているのかを明らかにする、できる限り近づいてみたい…

-うんうん、それはなんだかとっても本能的というか、人間の根本的な欲求のように思いますね。目の前のこの人のことをもっと知ってみたい、近づいてみたい…