トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 いろんな人に聞いてみよう!vol.1徳法寺 杉谷淨ご住職

摂食障害の基本知識 ~いろんな人に聞いてみよう!

いい、悪いなどない。私は私でいい

 ―摂食障害は、多くの方が自分いじめというか、自分を否定して、自分は生きていちゃいけない存在だというところから始まっている病気です。社会そのものが、こうならないといけない、こうあったら優秀とか、こうすれば認められるという風潮で、個々の人が持つ力やその人そのものを受け容れていない。みんなが同じ方向を目指している状況があっての現象なのかなと、今お話をお聞きして思ったんですが、そこのところはいかがでしょうか。

杉谷淨ご住職  画一化と言いますよね。例えば仏壇屋さんは最近どんどん減っている。仏壇を自分の手でつくるのは、かなり高度な技術がないとできない。昔は世襲的なところが強く、お父さんが優秀な仏師だったら子どもに相続したり、もしくは優秀なお弟子に継いでいくという形で伝統工芸が伝わってきた。ところが今、学歴社会で子どもたちがいい点数をとる。すると、有名大学に入ったのに仏壇屋はないだろうと、帰ってこないんです。才能はそれぞれの場所があって発揮されますが、頭のいい人がみんな医者に向いているかというと、そうも言い切れない。能力的に向いているのと、性格的に向いているのとは、全く別の話です。ところが、この偏差値ならこの仕事というふうに全部点数ではかられます。それは違いますよね。点数が悪くても社交性のある人なら営業がうまいかもしれないし、あまり人についていけないスローテンポな方でも、いい仕事ができたりする。

 学習障害という言葉がありますね。県で学習障害の子どもたちのケアをしている知り合いによると、学習障害を認定する基準は50%増しだそうです。例えば普通の人が10分で読める文章を、15分以上かけないと読めない場合は障害認定になる。先生の授業を聞いてもついていけない、もっとゆっくり話してほしい、繰り返してほしい、そうしないと理解できない場合、障害認定になるんです。基準をどこかに定めて、この基準より下の人は障害、これをクリアすればOKというぎりぎりの線がある。それが大体5割増しです。平均値の5割以上理解力が遅い人は障害者です。障害認定で何が違うかというと、特別のルールがあって、大学入試に関しては学習障害の認定を持った生徒の試験時間を5割ふやしてもいいことになっている。ところが、4割遅い人は障害に入らないけど、時間内に解けませんね。世の中って、そんなよくわからない基準をつくっていく。その基準に合うか合わないか、どっちがよいかわからない。4割の人は障害でなくてよかったと言っていいのか、5割の人は障害者でかわいそうなのか。

 そういう基準が世の中にいっぱいあって、その基準ごとに振り分けられる。職業に関しても、あなたはこっちと、どんどん自分の周りにレッテルを貼られてしまう。でも、それは自分で貼ったんじゃなく、便宜上、貼られただけ。それを自分だと思い込んでしまうと、とても悲しいわけです。

 摂食障害でもどんな病気でもそうですが、自分で「うん」と言って少しずつ歩めればいいじゃないですか。人と同じスピードで世の中に出る必要はないし、ちょっと遅くなる人も速くなる人もいる。石川遼くんみたいに早熟な子もいて、家の子とはずいぶん違うなと思う。あの年でプロに入って幸せかどうかは別として、あの子はあの子でいいんです。いい悪いと言うからややこしくなる。20歳前であれぐらいしっかりしたことを言える子もいれば、30歳でも全然言えない人もいる。本当はそれでいいんです。それを、みんなああなりましょうと言うからしんどい。どこまで個々を認めてあげれるかというのが大事な話です。

 お経の中で有名な『阿弥陀経』というのがあるんですが、浄土真宗のお坊さんが一番よく読むお経です。『阿弥陀経』というのは事実じゃなくて説話です。お釈迦さんが舎利弗という一番弟子に対して、極楽浄土はこんな世界だとか、そこにいる阿弥陀仏はこんなものだと、ずっと説いていく。誤解されると困るんですが、決して神話的な話をしているんじゃない。例えば浦島太郎の話を聞いて、あれが本当かどうかというのは問題じゃない。物語を通して伝えたいことがあるんです。それと同じレベルで、阿弥陀仏とか極楽浄土を考えてほしい。あるか、ないかではなく、それを説くことによって気づいてほしいことがある。そんな形でお釈迦さんが一番弟子の舎利弗に、「極楽浄土というのは不思議な世界だよ。青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光。青い色は青く輝き、黄色は黄色の光で輝き、白は白く輝き、それぞれの色がそれぞれの光で輝いている。すばらしいだろう」と言う。舎利弗は黙ってうなだれる。自分の住んでいる世界は、「黄色に対して青色になれ」と言ってみたり、「私はなんで白いんやろ、赤のほうがすてきなのに」と言う。自分の色を認められない。これが辛い。極楽という「楽の極みにある状態」とはどういうことか。白い光は白のままできれいだ、赤い光は赤くてきれいだと言える状態が一番楽なんだということを「極楽浄土」を説く中で示している。だから、いい人になる必要はない。人から尊敬される必要は全然ない。自分が自分として、いい顔で笑っていけるような状況が一番いい状態なんです。

 私よくゴキブリとカブト虫の話をするんですが、ゴキブリは別に人から嫌われようと思っているわけでなくて、ゴキブリなりに懸命に生きている。でも人間にはパチッと叩かれる。ゴキブリに餌をやるなんて話、聞いたことないですが、カブト虫は餌をもらえる。じゃ、ゴキブリはダメでカブト虫はいいか。それは人間が勝手に決めた基準であって、ゴキブリもカブト虫もそんなことは思っていない。それでいいわけです。人間の基準を押しつけられて落ち込んだゴキブリなんて聞いたことがない。カブト虫にしても、人間に高い値で売買されるからいい気になることは、まずない。全部、人間が勝手につくった基準です。「私は私でいいんだ」と思って生きていけるほうが、実は自然なんですね。人間はどうしても物をいろんな形で評価して、こっちがいいとか悪いとか、高いとか低いとか言ってしまうので難しいんですが、自然界はそうではない。強い弱いはあるけど、いい悪いはない。そのことを人間社会が見失ってしまったのは、人間が自然から離れてたことが原因だと思います。人間が人間とばかりつき合ってしまって、ほかの生き物と触れ合わなくなり、人間の価値観だけで物を見てしまったので歪みが出た。都市部ほど歪みが激しいのは、そのせいだと思う。