トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 ドクターに聞いてみよう!vol.2香山雪彦さん

摂食障害の基本知識 ~ドクターに聞いてみよう!

共依存には、何度も陥りました

―共依存ということについて、著書に「溺れている人にこちらから手を差し伸べても、向こうからその手につかまってくれなくてはどうにもできない。こちらからつかみ挙げようとしたら、こちらも引き込まれて溺れてしまう」という記述があったと思うのですが、どのようにしてそのお考えに行きついたのでしょうか。

 それは、実際に共依存に落ちたからですよ。何度も落ちました。ひょっとして誤解されたら僕は大学を追われることもありうるかな、というようなことも。それくらいのことがいっぱいあります。それを厭わなかったから、関わるみんなが最初から本当の姿を見せてくれたのかとも思いますけど。

―その兼ね合いが…

 難しいですよね。今なら、共依存に陥らなくてもすんなり手を差し伸べてあげられるかなと、やっと、ちょっと思います。それは、やっぱり泥沼の中で教えてもらってきたことですね。そうでなかったら教えてくれなかったのだろうと思います。それは、苦しかったですよ。むちゃくちゃ苦しかった。相手は若い女性ですからね、これは難しい。むちゃくちゃ難しい。
 けれど、本当にハイヤーパワーのおぼしめしに導かれてきたと思いますね。僕は、ハイヤーパワーというのは、神様のような人間を超越したものではないと思っていて、それは人間が、ホモ・サピエンスという現存の種が確立して何万年か、その間に営々と蓄えてきた知恵、その間の何代も経てきた中で淘汰されてきた特性、一人の人間の中でも意識に上ることのないまま脳に刻印されている膨大な記憶、そういったものが全部積み重なったものがハイヤーパワーの正体であって、それは人間そのものである、と思ってます。そのハイヤーパワーにたくさん助けられてきて、すべての人に対する感謝、過去の人にも今の人にも感謝を強く感じています。それが僕には大きいと思いますね。

―私の持論なのですが…、自分から救いの手をつかめない状態の方っていらっしゃいますね、でもその人の手を誰かがつかんだらその人が自分の持つ力を発揮して歩いていける可能性があるのだったら、やっぱりこっちからつかみに行かなければならないんじゃないか。こっちからつかみに行って、つかみに行った私が崩れなければ、しんどくなったり倒れたりしなければ、私さえ立っていられるならば、どんどんつかみに行った方がいいんじゃないかと思ったりするんです。そのために、自分を強く磨いていこうと。共依存という言葉、概念はとても必要な概念だし、この言葉があって助かったことが私にも何度もあるんですが、ただ、この言葉が一方で、本当に必要とされているもの、システィマティックなことでは解決できない人間性の部分の何かに対して、援助者のシャッターを閉じさせてしまっている面もあるのではないかと感じたりしています。

 たとえばカウンセラーをしているような心理士の人たちでも、そこで引き込まれる人たちはいっぱいいるんですよ。心理士のトレーニングを受けた人たちは、そういう時はどうすると教えられているかと言うと、自分自身がスーパーバイズしてもらう先生を持たなければいけない。それは、自分は片方の手でどこかにつかまっていて、もう片方の手を差し出してあげるということになりますよね。そういうシステムが必要な訳ですよ。
 ところが僕なんかはそういうのが全然なくて、ただ一人で勉強して活動していると、そういうつかまるところがないですよね。だからよっぽど自分がしっかりしてない限りは落ちるわけで、まさに落ちてきたわけです、僕は。そういう中で、幸いなんとか決定的なダメージになる前に勉強したという形でまた這い上がれたと思います。
 そんなふうにまさに共依存を通して勉強してきて思うことですが、溺れているのが例えば小学生ならば、これはこちらから水の中に手を突っ込んで引き上げてあげなければしょうがないと思いますよ。だけど溺れているのが思春期を過ぎた人たちならどうするか。これは難しいです。自我というものがすごく芽生えてきていて、そこに手が差し出されていると、その手が本当に自分を救ってくれるかどうかということを必死になって試してくる。それに引き込まれてこちらが水に落ちることもよくあります。そうなると2人とも破滅ですからそれは避けなければならないけれど、どうしたらよいか、答えはないんですよ。本当に答えはない。
 私たちの大学に優秀な成績で現役で入ってきた女性で、医学部に来たのが医者になりたくて来たんじゃなくて、お母さん・おばあさんの夢を背負わされて、「○○ちゃんは当然医学部に行くわよね。」と言われて入ってきた人がいました。だけども入ってきてみたら、いろいろと問題が出てきて2年生で留年、さらにもう1回留年して3回目の2年生をやることになって、その留年が決まったときに、僕は手紙を出したんです。よかったら連絡ください、と。そこで2回くらい長いメールのやりとりをして、相当いろんなことが書いてありました。お母さんやおばあさんの見果てぬ夢だということも、そのメールでわかったことです。
 ところが、当然その人には大学の学生相談室も関わっていたのだけれど、学生相談室を担当している臨床心理士の人たちは僕とは全く違う考え方をしている人たちでした。たとえばその人たちは、福島お達者くらぶを絶対に認めない。過去に、その人たちが精神科病棟で診ていたある摂食障害の人が、認知行動療法をやっていてかなりコントロールが良くなってきていたのだけども、入院中にお達者くらぶのミーティングに出たら、そこでみんなに「食べ吐きなんてしていいのよ。」と言われて、食べ吐きに戻った、そんなことがあって以来、入院患者さんたちは福島お達者くらぶ出入り禁止なんです。僕から見ると、そんなことで簡単に戻るなら、退院したらすぐ戻ってしまうか、別の行動とかアルコールとかに行ってしまうに違いないと思うのですが。そのあたりの考え方が全く違う。彼らは自分たちが治してあげられると思ってるんですよ。
 その辺の考え方が全く違うので、もし僕がそれ以上に手を出すと学生相談室と全く違ったことを言いますよね。そうしたら彼女は混乱するじゃないですか。それは避けなきゃいかんと思って、「本当に困ったことがあったら、あるいは誰かに話がしたい時があったら、いつでも僕の所に連絡くださいね。」ということを書いて、そのあと連絡がなかったんです。僕も、どうしてるかな、と気になりながら、学年末近くなって学生部長から「彼女は今年も進級させられないから除籍です」と言われました。「そこまであんたたちは何もしなかったのか!?」に対して、「学生相談室が手を差し出していたけど、それに乗ってこなかったからしょうがない。」と。それでいいのか!?と思ったけれども、それが大学の規則だから、僕が手を出せるところじゃないんですよ。3月の教授会決定があって、その次の日に彼女は自殺しました。
 それが今でも僕の心に一番の傷として残っていますね。本当に、どうしてあそこでもうちょっと追いかけてやらなかったかと思います。だけど、向こうからつかまってこなかった訳で、僕があれ以上追いかけても、つかまってきたかどうかはわからないけど。今でもつらいですね。本当につらいです。
 だから、本当に答えはないんですよ。水の中に手を突っ込んで、ひっつかんで引き上げてやる、そこまでこちらから手を出すのか。だけど向こうからつかまってもらわなきゃしょうがないのか。だけど、ものすごく頭がよくてものすごく感受性が高くって、こっちのちょっとした迷いなんて全部見抜いてしまう人たちですから、あやふやな気持ちがちょっとでも混ざってたら絶対につかまってこないですよね。だから何もかも振り棄てて彼女を救いにかかったら、ひょっとしたらつかまってくれたかもしれないけど。しかし、それ以外も何人もの人がいますから、彼女一人に関わってやることはできないし。だけども、どうしたらよかったんだろうな。本当に無念だし、ものすごく心が痛い。