トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 ドクターに聞いてみよう!vol.2香山雪彦さん

摂食障害の基本知識 ~ドクターに聞いてみよう!

パワーゲームではなく、一緒に横に並んで、この世の中を歩いていきたい

―支援を頼まれるというきっかけがあったにせよ、研究者でいらっしゃる先生が、どうしてここまで深く摂食障害に関わっておられるだろうという点に興味が湧きます。

香山雪彦先生 臨床医をしていたときには自分の人生これでいいのかと疑問を感じていたけれど、研究者になっても、やっぱり何か合わないものを感じてたんですよ。研究者というのは実はパワーゲームの世界ですから。大学の教師もパワーゲーム。自分が思う方向に大学を動かしたいというような思いがあるんですよ。特に僕は同じ年の僕と全く違う考え方をする同僚の教授とよく対立したんです。向こうは政治的に動きたい。僕は、摂食障害の人たちに関わりだしてたから、そういう政治的なことに関わってパワーゲームに身をやつすと、絶対に摂食障害の人たちに信じてもらえないだろうなと思ったから…。
 実際、摂食障害ってパワーゲームの病気なんじゃないかと、僕は思うところもあります。例えば、お母さんとパワーゲームやってる。お母さんになかなか勝てないから摂食障害になって必死に訴えながら生き延びている、そのお母さんをコントロールする唯一の手段が過食だったり、拒食だったり、という面もあるんじゃないかと思いますね。お母さんに、愛してると言ってほしい、という人がいっぱいいますね。ある人たちには「そんなの、諦めようよ」と言うんだけど、諦めない。母・娘の関係というのはそんな簡単なものじゃないですからね。それを、僕はパワーゲームだと思ってる。
 だから、僕自身がパワーゲームに身をやつしながらいくら手を差し出したって、それは信じてもらえないと思う。だから、大学の中のパワーゲームは止めることにしたんです。その争いから身を引きました。僕は大学の外に活動の拠点を移す、という感じですね。だけど、講座主任・教授としてやっていく時にはやはりどうしてもパワーゲームが必要なこともあって、講座が活動するためのお金を集めてきたりしなきゃならない。それが、もうあとちょっと残ってるんですよ。さいわい、今年は科学研究費などのお金がたくさんもらえたので、これでそういった仕事は終わったと思ってます。

―パワーゲームの世界から身をひかれたのですね。関わっておられる摂食障害の方との信頼関係のほうを重視なさったわけですね。

 僕は、人を捨てられないんですよ。なぜか人を捨てられないんです。向こうから離れていくのは自由に離れてくれていいんだけども、僕からは捨てられない。どんな人も。けど、人と真剣に向き合い続けるということは大変だったですね。本当に大変だった。

―人を捨てられないという先生の本質みたいなものがあるからこそ、ここまでこの苛酷な摂食障害と向き合うことができたということでしょうか?

 それがなぜ摂食障害だったのかというのは、今だにあんまりよく分からないけど、自分に一番合っていると感じますね。僕は、自分の本質は治療者や援助者では絶対にないと思っている。そうしたら本質は何かと言うと、同行者です。今は助けてあげたい、手を差し伸べるという立場であるとしても、いずれ一緒に生きていく人間だと常に思っている。一緒に生きていきたい。心を通わせながら一緒にこの世の中に並んで生きていきたい、という思いがすごく強いんです。僕が深く関わるのは「この人とは一緒に並んで歩いていきたい」と思う人たちなんですね。
 その人たちは、自分だけよければとは絶対に思わない人たちですね。必死になって自分をさらけ出し、必死になってすがってる人たちであっても、そんな気持ちはないですよね。その人たちが、いずれは一緒に並んで生きていく立場になるんだということ、お互いに依存しあったり試したり試されたりするのではなく、いずれは自立し、人と心を通わせながら生きていくようになるということ、それを理解してくれるかどうか、それが僕には一番大きいかなと思うんですよ。それは相当時間がかかったりもするのだけれど、今は必死になってただ生き延びようとしていても、いずれは一緒に並んで生きていってもらえる人になるだろう人たち、そういう人たちが、僕が関わる中で一番長く残っていきますね。

―香山先生の中での理想の人と人の関係が、摂食障害の私たちの成長の過程にどこかぴったりあてはまるものがあると…

 こういう人がたまたま出てきた、というだけで、そういうのを求めるところは全然ないんだけど…。
 もう一つ、僕は人と話していて、「あー、ここはわかってもらえないみたいだな。」とよく思うことがあって、それは何かというと、嫉妬心なんです。僕はなぜか嫉妬心がほとんどない人間なんです。これは、不思議だと言われるんですけど、そうだからしょうがない。たとえばもし家内が誰か別の男の人と仲良くなってそっちに行きたいと言ったら、「う~ん、まあ、しょうがないなあ。」と言うだろう人間なんですよ、僕は。自分が思いをかけた人が誰か別の人と仲良くなって、そっちに行くようなときに、もし相手さえよければ一緒にそこへ交じりたいくらいの思いがあって、そんなふうに僕には独占欲がないんです。
 そこのところは、摂食障害の人たちと関わってて、自分がそうだからついそのつもりで関わってしまうと、向こうがそうでない思いを僕にかけてしまうことがあって、それが共依存を辞さないくらいに関わったときに苦しいところなんです。それはすごく苦しいですね。僕とすれば、自分のそういった思いがあるのだけれど、ところが相手はそういうわけではないというのが、自分が共依存を起こして苦しんできた原因だろうなと思います。僕がもっと嫉妬心なんかがあって警戒心があったりしたら、そういうところは危なくて手を出さなかったのかもしれないですからね。けど、そんな嫉妬心、独占欲のない人間はどうも少数みたいですね。その辺がちょっと僕の特殊なところかなと思いますね。

―そこのところも、摂食障害というのが関係あるようなないような…。パワーゲームの病気だとおっしゃいましたが、嫉妬がないということはパワーゲームがないということにもつながる気がしますね。

 パワーゲームからは割と簡単に降りられるということですね。僕は大学のなかでどういう立場になりたいというというものが全然ないし、ふつうに生活できれば特にお金もいらないし、だから公然と意見を言える。だから今、大学の中で中枢部の人たちには一番うるさい、目の上のたんこぶになっていると思います。だけど、そこに嫉妬心やパワーゲームの要素をまったく含んでないかというと、そうではないだろう、少しはあるだろうとは思いますが、相手を落とすために単に上げ足を取るようなことは絶対にしない。
 しかし、実はコントロール欲求はものすごく強かった人間です。自分が相手をどうしたい、こうなってほしい、というのはありました。摂食障害の人の目の前の何か大きな障壁があったら、それを前もって取り除いてあげたくなる人間です。けど、それをしたらすごく怒らせてしまったこと、そのために逆にその人の成長を遅らせてしまったことが何度もあって、一切そういうことをしなくなりました。それはすごく勉強させてもらいました。