トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 ドクターに聞いてみよう!vol.2香山雪彦さん

摂食障害の基本知識 ~ドクターに聞いてみよう!

初めて摂食障害に触れたとき、それまでの価値観を根底から覆されました

―まず、摂食障害に向き合ってこられた軌跡と現在の取り組みを教えてください。

 私が教えていた学年にいた学生で過食症で留年を繰り返していた人への支援を頼まれたのが始まりです。よく知っていた学生が「自分の友達をちょっとサポートしてやってもらえませんか。」と連れてきたのです。摂食障害のことなど何も知らないままに引き受けてその人に関わって、それまで自分の知ってた世界がどれだけ狭かったのか、人の心というものがなんと奥深いものか、というよりは、なんと恐ろしいものかということに衝撃を受けました。人間40年くらいも生きていると、それなりに自信を持ってたのだけど、その自信を打ち砕かれました。
 それで摂食障害の勉強をしてみようと思って手当たりしだいに本などを読んだのだけど、どの本を読んでも関わった彼女と違うんじゃないかと思った。専門家の書いた本だってそうです。その中で唯一、本人たちが書いた手紙を載せたNABAの「いい加減に生きよう新聞」から了承を得られたものをまとめた本『カナリアの歌』を読んだ時に、あ!これが本当なんだ、と思って、すごくよく理解できたんですね。
 ちょうどそのころ、福島で今の「福島お達者くらぶ」、そのころはまだ「福島摂食障害者の会」という名前で、それじゃあんまりだというので若い人たちが「お達者」と名付けた会が立ちあげられました。毎月1回のミーティングですが、最初の数年は毎回、僕が『カナリアの歌』で感動したNABAのスタッフの方たちが来て司会をされてたんです。それで、「僕も加えてください!」と言ってお達者くらぶのスタッフに加わったんです。そこで本人の人たちの話すことを聞きたい気持ちもあったけれど、臨床の現場も知らない人間ですから家族ミーティングの方に入りました。そこで話を聞いているうちに、「将を射んとすれば馬を射よ」と言うように、摂食障害に対応していくには家族が大事かなと強く思うようになって、それ以来ずっと家族会に関わってます。

―摂食障害の当事者の集まりには参加してないのですか?

 本人の人たちの集まりは自助グループに近い形なんです。受付などのためにスタッフが一人入ってますが、その人は始まったら口を出しません。これまで17年やってきましたが、最初は色々とすったもんだがあったけれど、この10年以上、できるだけすべて本人たちに任せよう、ということにしています。よほどのことがない限り、スタッフは口を出さない。できるだけみんなが違和感を持たずに話せるようにスタッフは固定しよう、ということで、一番優しい看護師が入ってます。司会は数回以上参加している人の中からジャンケンで決めるとか。そうやって、自助に近い形でやってます。
 しかし、家族会の方は自分たちだけでやっていくのはなかなか難しいです。それは、親の世代は長年生きて生き方が固まってますから変わりにくく、外からちょっと違う考え方を示してあげる必要があることも多いし、自分たちだけでやると中心になる人がその仕事自体に依存を起こしたり、あるいは燃え尽きちゃう。ただ、ちょっと僕たちが口を出しすぎたところがあったりして、今また、やり方を変えようと試行錯誤しています。変えるのはなかなか難しいところもあるのですが。

―先ほど、人の心がなんと恐ろしいものかと衝撃を受けたとおっしゃいましたが、何を恐ろしくお感じになったのでしょうか。

 その人たちは生きていけないくらいのものを心に抱えてしまっている、それがいろいろな形で吐き出されてくるわけで、それも怖かったし。それに、関わっていた人の態度がいきなりコロッと変わったことがあって、2、3日前まで必死にすがってきているようだったのに、急に「もう私に関わらないでください。」と言われて。今なら、ものすごくよくわかる。けれども、当時はそういうことが全然理解できなかった。一体どうなってるんだ?と。裏切られたのともちょっと違うけれども、理解できなかった。そういうこと全部含めて、恐ろしいと感じました。

―恐ろしいと思ったりショックなことがあったら、そこから目をそむけたくなったり、もうこりごりだと思ってもおかしくないと思うのですが、そこで香山先生が食らいつかれたのはなぜですか?

 自分が知らなかった世界だからショックを受けて。それはもう本当に、それまでの価値観みたいなものを根底から覆されたわけで。やっぱり勉強し直さなきゃしょうがない、という感じですね。

―先生はもともとお医者様でいらっしゃったんですか?臨床医でいらっしゃったんですよね。

 医師の資格は持ってます。実際8年間臨床の部門にいて、といっても麻酔科・ICUですが。しかし実際に臨床医をやったのはどれくらいだろう。5年はやってないかな。あとは留学したりして研究だけしてましたから。

―医学部に入られたのは、もともと医師になろうという夢がおありだったんでしょうか。

 あんまりなかったですね。僕は、父親が大学の生物の教師で、父の友達がニホンザルの研究をやってたんです。イモ洗いをするサルとか、知ってますか?そういうのがものすごく面白くって。だから、大学に行ってサルをやろうと思ってたんですよ。ところが、高校3年生の1月くらいになって、「サルよりも人間の方が面白いかな」と、ふっと思ったんです。それで急に医学部に変えたんです。だから最初から、医者になりたかったいうよりは、どちらかというと研究者になりたかったんですね。それで、いろいろあって、脳のこと、それも脳生理学をやってみたい、と思うようになりました。人間の情報処理がどうなっているんだろう、と。

―人間の脳の中の情報処理ですね。

 そうです。コミュニケーションが必然的に関わってくるけれども、脳の中でその情報がどう処理されているかということが基本にある。それをやろうとしてたわけです。研究を目指しても、最初は全く違う分野も考えていたのだけれど、いろいろな事情や縁があって、神経生理学を専門にするようになったというのが、現在の職業です。