トップ >> 治療に関する情報 >> 摂食障害の基本知識 ドクターに聞いてみよう!vol.1大河原昌夫さん

摂食障害の基本知識 ~ドクターに聞いてみよう!

回復には、ある意味で必死さが必要だと思います

―結局、本人の回復力ですね。

それは大きいです。どこかでやっぱり思い切らないと、どこかで「よし、やるぞ」と思わないと、難しいんじゃないですかね。幾つも施設を渡り歩く人も難しいです。あの病院に行ったら治るとか、そうはうまくいかないです。僕が2時間聞いたから、症状がおさまるかというと、そうもいかないです。そこは謎だけど、どこかで本人が必死になってくれないと難しいです。

―症状を抱えている時点で必死なんだけど、その必死さがふっと回復のほうに向かったときに、すごい力で回復していくのかな。

それこそ僕は100人の摂食の人に聞いてみたいわけです。あなたは何がきっかけだったかって。僕の患者さんに何となくよくなっている人がいるが、よくわからないんです。よくなる人は、3、4回来てよくなる人がいる。初期の人でパーッとやめる人もいますよ。拒食だけの若い人は、数回話しして食べるようになる人もいます。完全に元の体重に戻るわけではなくて、ある程度やせ型のままで経過する人がいたりします。

―今まで先生はたくさん診られてこられたと思うんですが、その中からご本人になにか「こうすればいいよ」というものはありますか。

もちろん仲間との出会いは大きいと思います。僕は甲府で摂食障害の自助グループの「ピアグループ」が始まってずいぶん楽になりました。自助グループは山梨県で何回もできかかってつぶれてを繰り返して、あと、うちの臨床心理士の女性がEDミーティングをずっとやってくれているんです、2週間に1回。でも、医療者側の司会だから何か違うのかもしれない。完全な自助グループじゃないわけです。家族会のほうもぼくたちが司会をするので自助グループではないのだけど、家族は自助グループじゃなくてもいいんですね、きっと。僕らが司会をしていても、世代が同じせいもあるのかな、何となくうまく改善している。でも本人のグループは、本人たちがやり始めて、初めて飛躍できました。それは大きいです。だからあそこに「私は大丈夫よ」という人が2、3人いるとずいぶん違うと思う。

―いわゆる先を行く仲間ですね。

そう、ずいぶん違うと思う。あと、引っ張っていってくれる人がいると、違うと思いますね。

―回復できるなんて思わないですものね。それが実物がいるんですから。

そう、それは大きいと思いますね。10年やっている人はこれでいいと思っている人が多いから、それは僕ら治療者では難しいですね。僕が何か言うと「そんなこと、わかっているわよ」とか「そんな簡単に症状止まるなら来ていない」とかになると、こっちもそれ以上何と言っていいかわからなくて困ります。アルコールの場合はとにかく「自助グループに行け」という神の一言があるわけです。伝家の宝刀かな。それがあるんですが、「どうすればいいの」と聞かれたときに、摂食の場合はそれがないんです。そういう意味で自助グループができてほしいと思います。

―仲間ですね。

仲間は大きいと思う。摂食の人はたまに恋人を見つけて、一生懸命に二人で元気になる人もいらっしゃいますね。

―そうですね、結婚してとか。

これは微妙な問題で、公にならないけど事実としてある問題だと思っています。つまり長年苦労して病気やっていて、男見つけて、今まで何やってたのということになるんだけど、事実としてはある。これを残念と思うかよかったと思うかなんですが、ありますね。僕の知っている中でもあります。これは病気をどう見るかにもかかわってくるわけです。そんな簡単に症状が消えるのかということになるでしょう。難しいなー。

―結婚なり恋人の存在なりで症状が治まった場合と、そうじゃなくて苦渋の思いで何とか回復したという人の間には、何か差があるとお考えですか。

確かに恋人が消えたら元に戻るときはありますね。ただ結婚して夫がいい人で、ずっと夫がサポートしてくれて「よし、大丈夫」と続いている人もいます。ただ、その先はどうなるか本当にわからない。

―底の底まで行って浮き上がってきたら大丈夫だけど、中途半端なところから浮き上がってくると、何回も繰り返すケースもあると。

あるかもしれません。やっぱり必死になって得たものは違うでしょう。よく医者でも、自分が苦労して覚えた主義は身につくというんです。それはあるかもしれませんね。自分の自信になるわけだから、大きいかもしれません。そういう意味で必死さは必要だな。それがないと難しいんじゃないですかね。

―もしかすると、落ちるところまで落ちたほうがいいんですかね。

でもねー、自分の症状は大事なんだけど、やっぱり嫌だという感覚もないとだめですね。食べ吐きはその人にとってある意味で必要だったけど、それで救われてきた面があるからこそいいんだけど、でもやっぱり嫌だ、ここから治りたいという気持ちがないと難しいですね。「どうせ私は…」と思っていると、アルコール依存症と同じで、いつまでも止まらないと思います。

―諦めみたいなものということでしょうか。

そう、自分への諦めが出るとだめですね。「自分はどうせこうやって10年やっていくんだ」と思うと、だめだと思います。どこかで踏ん切りをつけないと、だめなんじゃないかな。