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体験談 ~Vol.9 桂けい子さん

あなたはこの世で要らない存在じゃない、
摂食障害がそれを教えてくれました

摂食障害で苦しんできた道のり

 幼い頃から夕ご飯を食べてる途中に両親がよく喧嘩をしていて、それをビクビクしながら見ていたのですが、私が高校生くらいになると、両親の喧嘩が始まったらお箸を置いて自分の部屋に行くようになりました。無言の攻撃…ですね。ちょうどその頃、運動クラブを引退して太るかなと思ったので、ダイエットを考え始めました。その2つが重なったのが拒食の始まりです。朝も晩も御飯を食べなくなり、お昼だけを学校で食べるというような生活を看護学校に入っても続けていました。過食を伴う拒食症でしたね。

 就職してからは、今度は過食嘔吐に転じてしまったんですね。過食嘔吐全盛期の時はアルコールと一緒に過食嘔吐して、二日酔いで本当に辛くても、先輩が怖いから這ってでも職場に行ってました。過食嘔吐を理由で休んだりとか、摂食障害を理由に仕事を辞めるということは考えられなくて、体調を崩しても点滴をしながら働いていましたね。看護師1年目の秋に一人暮らしを始めたんだけど、それからは本当に酷くなってしまって、日勤だけの場合は仕事が終わったら過食嘔吐をして寝ていました。そして日勤深夜という勤務(朝9時~夕方5時、夜11時~朝までの勤務)の場合は、日勤が終わった後、すぐにお風呂に入って寝ればいいのに、その間も過食嘔吐をしていました。もっと酷い時期は勤務中のお昼休みにひとりで過食嘔吐をしていたこともあります。休みの日は一日4~5回、朝から晩までしてたんですけど、ある時、いつもより食べ過ぎて胃が破裂しそうになって、痛くて吐けない時があって…その時に「日常生活に支障が出てる」「これが理由で医療ミスがあったら大変だ」と思って「私、治さないと!」と強く思いました。それが私が摂食障害を治そうと思ったきっかけです。

治すための試行錯誤

 幼い頃に親から1年間くらい離されておじいちゃん、おばあちゃんに預けられた時があったんだけど、兄弟3人いるのに、何で私だけ預けられたんだろう?と幼いながらにすごく考えました。当時2歳だったのに、父親が私を置いて車で去っていく映像を今でも鮮明に覚えています。

 幼いながらに考えた答えは、「私が家族の中で悪い子だから、おばあちゃんに預けられたんだ」ってこと。そこから自分否定が始まりました。両親に見切られた今、おばあちゃんたちに嫌われたら、今度はどうするんだろう?私はどうなるんだろう?という恐怖が湧いてきて、私はいい子じゃなくちゃいけないと思ってしまって、「このシーンでは私がにこって笑った方が可愛いって思われるだろうな」と思って笑ったり、「この場面ではえーんって泣いた方が可哀そうって思われるから泣こう」というような計算をしながら行動してましたね。嫌われたくないし、また捨てられたらどうしようという恐怖心から相手の心を優先させる子供になってしまいました。

 3歳になって保育所に預けられる頃には実家に戻されたんだけど、また母親に捨てられたらどうしようと思って、母親の心を優先するようになりました。本音を言ったら怒られたり、嫌われたりするような気がして、自分が感じた感情を「全てなかったこと」として処理していました。小学生くらいになると、「全てなかったこと」として処理しなければならない感情を少しでも感じてしまうこと自体が辛いので、感じることすら出来ないように自分で心に蓋をしてしまっていました。余計なことを感じてしまうと処理する時も辛くなるから、最初から何も感じないように防御していたんでしょうね。私は、まず最初に人間関係を学び取れる母親に対してそうしていたので、もちろん学校の友達にも同じように、心に蓋をして接していました。そういうことを積み重ねて大人になったので、ある時、自分の中に封印していた本音の感情が限界を超えて爆発する形で摂食障害になってしまったのじゃないかと思います。たぶん、自分の中に「なかったこと」として封印した感情をしまう壷みたいな入れ物があって、その許容量を超えちゃって爆発したんでしょうね。

 そんな中、私の抱えている重たい感情や悩み、本音などをとことん聞いてくれる人に出逢いました。当時、自分の気持ちを言葉にするという経験が一度もなくて、自分の本当の気持ちをそのまま感じて、その感情をそのまま言葉に出すという作業はすごく時間がかかったので、最初は手紙に書いたりしましたね。その人は、この何とも言えない感情を忍耐強く、何時間も、毎日毎日そばで待ちながら聞いてくれたんです。本当に何時間も。それによって、今まで溜まっていた重たい思いがちょっとずつ浄化していって、症状も軽くなってきたんですよ。わかりやすく言うと、幼い頃の泣いてる自分(インナーチャイルド)に対して、今の自分が「辛かったね。大丈夫だよ。」って抱き締めてあげる感じです。幼い自分が泣いているシーンの1つ1つの思い出を、1つ1つ丁寧に抱きしめてあげて浄化していくんです。1つ浄化されると、心が少し軽くなるんです。そういう感覚を何回も経験し、少しずつ心の中の重たい感情が軽くなっていくことで、症状も治まったように思います。摂食障害を治すために、がむしゃらに「私の趣味って何だろう?」って探して、カラオケを歌いまくったりとか、走ってみたりとか、友達呼んで飲みに行ったりしてた時期があったんだけど、根本の気持ちを解決しないと、何も解決しないんですよね。私の場合は、そうやって浄化していくのがよかったみたいです。

 でも、自分の気持ちがちょっとずつ軽くなって、症状が少し治まった後も、まだ習慣性が残っていたんです。喫煙者が、朝起きてこの部屋に来たらまず煙草を一服吸う…というのと同じで、その場所・時間になったら過食嘔吐しているという自分がいて…。だから、やっと心が楽になって、この習慣性をどうしたらいいんだろう?と思った時期には、目の前のやらなきゃいけないことをやろうとか、幸せ探しをしてみようとか、そういうことが効果的だったように思います。私の場合、摂食障害だった時は五感が失われていて、お花が綺麗だとか、お花の匂いがわからなくなってしまっていました。でも少しずつ、自然の中に行った時に生ぬるい風を感じたりとか、レモンの皮を剥いて、レモンの匂いってこういうものなんだって感じられるようになって、やっと五感のアンテナが伸びて五感を取り戻し、小さな幸せを見つけられるようになって、ちょっとずつ習慣性という部分からも抜け出せていったような気がします。