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体験談 ~Vol.8 福多唯さん

言いたいことを言い尽くせる同士との出会い

 あともう一つ大きかったのは、双子の母親で、なおかつ摂食障害だというふたりの女性との出会いがあって、沢山話せたことかな。

 そのふたりとは主にメールでやりとりをしてたんですけど、お互いに双子の親だという親近感に加えて摂食障害だとわかって、話したいことが次から次へと止まらなくて(笑)。一日にメールが4往復も5往復もするような濃いやりとりを、どのくらいかな…半年くらいかな、していた時期がありました。

 はっきり言って当事者でないとあそこまで濃い世界には付き合いきれないと思う(笑)。一般的な感覚だと『そんなことばかり言ってないで、前向きになれよ!』って説教したくなるようなことばかり話してましたしね(笑)。でも、そういう、他ではできない話ができたということと、話し尽くせたってことが、結果的には良かったです。

 話してスッキリ、とかじゃなくて、言いたかったことを言い尽くしたからこそ、私にとって核になる部分にコツンと触れることが出来た、って感じです。

雪崩のように、全てが一気に崩れて流れたその瞬間

 私は海外旅行が好きで、当時もそのふたりに旅行が好きだっていう話をしていました。それと同時に、私は日常生活でも色んなことを過剰に管理しすぎる面が当時まだ強烈で、特に、双子でお金がかかっていたから、お金の節約に躍起になってたんですね。

 例えば、子どもたちと公園に散歩に行ったときに、公園の水道で哺乳瓶に200mlの水を汲んで帰宅して「この水の分の水道代が節約できた」と悦に入る、みたいな(笑)。

 ある日、そこまでして私が節約・倹約してるっていう話をそのふたりにしたら、「なんかアンバランスでおかしいよ、そんなに過剰に倹約するのに、海外旅行とか行くのって。何でそんなに旅行にはお金を使えるの? 旅行の何がそんなにいいの?」って聞かれたんです。

 自分でも、そうやって聞かれてみて、「ホントだ、何で旅行だとお金を使えるんだろう? 旅行をやめれば水なんて溺れるほど使える」ってはじめて気づきました(笑)。とても不思議だったんだけど、そう言えば私は自分のことを知っている人が誰もいないところに行くことや、言葉が不自由な外国に行くのが、本当に好きだよなーって。なんでだろう?って。

 特に海外で、日本語が通じないから英語で…ってなると、「英語だと、これしか言えないもん」とか、相手も英語が第一言語でない国の人の場合はさらに、「多少通じ合えなくても仕方ないか」となって、いろんなことをバサッと切り捨てられる自分になれるのが快かったんです。

 それで、そのふたりに「日本語のままだといろんなことをこだわっちゃうけど、英語だと細かなことは気にしようがないから、なんか、海外だと考えるのも話すのも楽なんだよね」みたいな返信をして、その後の通院の日に、主治医にもその話をしたんです。

 そしたら、先生が「なるほど。お友達がそういう質問をしてくださって、英語だと不自由だから、細かなことは切り捨てるしかなく、逆に考えたり話したりするのが楽だと気付かれたわけですね。それは確かに面白いですね」と、私の発言をそのままに伝え返しをしてくれて、…その瞬間に、自分の中で「あ、…わかった!!!!!!」って。

 伝え返された言葉が私の中で何かにコンッとぶつかって、雪崩が起きるように一気に全てが崩れて爽快なほどに流れ去るような大きな変化が、私の内側で起きたんです。

自分とは、いったい『誰』?!

 私達日本人が日本語を獲得してくる過程は成長の過程でもありますよね。単に言葉だけじゃなくて、いろんな価値観もくっつけて覚えながら成長します。例えば、「人から何かをもらったときには『ありがとう』だよ?!」とかに始まって、「久しぶり!」と言うよりも「ご無沙汰しております」のほうがフォーマルだ、とか。

 言語の習得過程は、どういう考え方や価値観なら『善く』て、どういうのが『いけないこと』で『ダサい』のかっていうのの習得過程でもあったりもする。

 自分が何をどうしたいかとか、本当の気持ちはどうなのかとかを母語で考えようとすると、どうしても私の場合は、そういう、育ちの中でしつけられて身につけてきた概念や価値観の縛りから完全に自由にはなれないんです。例えば、「最後の1個を食べたいけど、ここで手を出すのははしたないことだな」となっちゃうと、食べたいのかそうしたくないのかわからなくなってがんじがらめ〜、みたいな。

 そういったことが、あのとき、一瞬にして「全部わかった!」んです。

 私が、人として正しいとか善いことだって考えてきたことは全て、…私はそれまで無自覚に自分自身のオリジナルな考えのように思ってきたけれども、実は全て親や大人や世間から植え付けられていただけなのでは?! って。

 自分とは、この身体の内側で生きてきたのは、一体『誰』なの? とすら思いました。

   その、「わかった!」の瞬間に、大げさかもしれないけど、世界が変わって見えたんです。目に入る景色の色合いが全然違うというのかな。『空が青い!』と(笑)

 それが直接の回復…というか、すべてがわかって、それまでのすべてが要らなくなった瞬間です。その日から、過食嘔吐もないし、他の依存症行為も要らなくなったし、メンタル系のお薬も要らなくなりました。喘息は、奇跡のように治ったわけではなく続いていますが、今持病で通っているのは近所の一般的な内科で、体調も良いです。

 子ども? その日帰宅した直後から可愛かったですよ(笑)。普段なら子どもなんて憎々しくて私の手足をひっぱる面倒な人の映像としてしか私の目に入ってこなかったのが、「あら泣いているの~?よちよち」と映って自分でもオドロキ(笑)。その極端さもいかにも私で今になってみるとどうかと思うけど(笑)。でも、本当にその瞬間から楽になったんです。

 もともと、『嫌い』になるほど大きく決定的な出来事なんて乳幼児と私との間にあるはずがなくて、私の認知の歪みがあっただけなんですよね。