トップ >> 摂食障害経験者の声 >> 摂食障害体験談 ~Vol.10紗江さんの手記

体験談 ~Vol.10 紗江さんの手記

先生たちや仲間との出会い

 精神科のU先生のもとへ、通い始めて、今年で17年になる。「精神科」という響きに、ちゅうちょする親を説得したのは、私だった。「心療内科」でお茶を濁している場合では無い、と感じたのだ。当時40代後半だったU先生は、何故か初めて会った時から、信頼出来た。そこから、摂食障害を克服する為の長い長い物語が始まる。

(ここでちょっと一休み)
 ここに、一冊の本がある。よしもとばななさん、三砂ちづるさんの共著である、「女子の遺伝子」だ。その中に、印象的な文章があるので、ご紹介したい。まずは、ばななさんのお父さま、吉本隆明さんのお言葉、
「『親の育て方が悪い』というのは、子どもを厳しく叱りすぎたとか、逆に冷たく放っておいたとか、親のなんらかの言動が悪い、という意味ではありません。そうではなく、子どもが育つ過程で、親との関係性によって傷つけられるのです。(中略)つまり、傷ついた親が子どもを育てるから、子どもの心も傷つく。」
 もう一つは、三砂ちづるさんのお言葉、
「若い女の人たちで、自分と母親との関係に問題があると言ってる人は山ほどいる。その問題があると言ってるのには二方向あって、一方向は親が非常に管理的な親。(中略)もう一つは、母らしい愛情を注いでもらえなかった、お母さんが勝手なことをやってて、自分のことをよくみてくれなかったというようなパターン。つまり世話をされない寂しさみたいなものです。管理することと足りないこと、それが愛情なのかどうかわかりませんけど、二つの方向があるなと思うんです。」

(戻ります)
 精神科のU先生の所に、通い始めて数回目のこと、私は、医大で開かれている、摂食障害者の自助グループを紹介された。月に1回、第2土曜日に、本人と家族に別れて、ミーティングが行われる。初めて行った時のことは、忘れられない。講義室(註:正しくはゼミナール室)に、ぎっしりと妙齢の女性たちが集い、「言いっ放し聞きっ放し」のルールのもと、思いの丈をぶつけていく・・・。皆の話を聞きながら、私は、涙が溢れて止まらなかった。同じ悩みを持つ仲間に、出会えたという安堵感、過食および自傷行為という、自分の恥部をさらけ出しても、奇異の目で見られない。自分の番が来た時、私は震えと涙で上手く話せなかった。瞬く間に2時間が過ぎ、放心状態でいた私に、仲間の一人が駆け寄り、ハグしてくれた。その時に感じた驚きと、自分がここにいても良いのだ、という安心感と肯定感が、今も私を、その会に向かわせている。

 精神科には、2週間に一度のペースで通っていた。投薬と現状報告。学校は休学して、家で治療に専念することになった。当初、すぐに解決するかと思われた、「摂食障害」という病が、その後十数年に渡って、私に取り付こうとは、想像すらしていなかった。

 祖母が亡くなったのは、成人式を終えて、2ヶ月後、2月の末のことだった。晩年の祖母のことを思うと、今でも後悔で胸がきしむ。

 私は、祖父母に育てられた。子供の頃の記憶は、母よりも、祖母と一緒にいた印象が、強い。にもかかわらず、私は、摂食障害による、うつと高血糖で、部屋に閉じ込もっていた。晩年、病気がちになった祖母を、労ることも出来なかった。そして、そのまま、逝かせてしまった。我が家の精神的支柱であり、私の唯一の味方であった、祖母を失うと、私の症状は、ますます悪化した。リストカットや、溜めていた薬を、多量に飲むことも、増えていった。自分の体を傷付けることで、精神的安定を得る、そんな不毛な日々が過ぎて行った。

 当時、私は、糖尿病科の外来に、通っていなかった。必要最低限のインスリンを、打っていただけ。受診して、言われることは決まっている。母に頼んで、薬―インスリンや、注射針等をもらって来てもらったり、採血だけして診察は母任せ、自分は駐車場で待っていたり、した。

 そんなある日、1本の電話がかかってきた。当時、糖尿病科のセンター長をしておられた、A先生だった。私のカルテを不審に思ったA先生が、通常の診察の後の時間に、私を診てくれるという。指定された曜日に、おそるおそる、私と母は出掛けて行った。  初めて入院した際に、遠目で見かけていたぐらいで、A先生に診察してもらうのは、初めての経験だった。糖尿病科は予約制であり、A先生の診察を受けているのは、中高年の、経歴が長い患者さんばかり・・・要するに、とても敷居が高かったのである。

「やあ、お待たせしました。」
 約束の時間より、少し遅れてやってきた、A先生は、初老で大柄の、しかし、少しも威張ったところの無い、気さくな先生だった。

 緊張でがちがちになっていた私(たち)に、予想していたような、罵倒や非難の声は降って来なかった。カルテも見、私の話に耳を傾けながら、A先生は、落ち着いた様子で、「あと3単位(インスリンを増やしても)体重は増えないと思うけどなぁ」と、おっしゃった。「カルテを見ていたら、何ヶ月も来ていないから、どうしたのかなぁ、と思っていたんですよ。でも、元気そうで良かった」とも。

 こうして、私は、A先生の、時間外診察を受けることになる。後になって、私は、A先生が、ガンと糖尿病を患っていたことを知る。というのは、A先生が、それから2年足らずで、亡くなってしまったからだ。A先生の診察を受けつつも、過食が抑まらなかった私は、9ヶ月間、遠縁の親せきのもとに身を寄せることになる。その最中、一時帰宅した際に、診ていただいたのが最後になった。

 A先生も、精神科のU先生も、私の過食という緩慢な自殺行為を、責めたり、止めようとしたりしなかった。ただ、淡々と耳を傾け、受け入れてくれただけだった。過食をし、自責の念に駆られて自傷行為に走り、うつになる。その負のスパイラルから、抜け出せずにいた私にとって、お二人の存在は、何よりの救いだった。旅人のマントを脱がせた太陽のように、他人に対する恐怖心で、がちがちになっていた、私の心を、温めてくれた。かつて、A先生が、診察の最中に、私におっしゃってくれたことがある。読書が趣味だという私に、
「紗江さんの経験を、書いてみてくれないかな。僕は、すごく興味があるし、僕は、読むよ。」と。その言葉が、私に、この話を書かせる、一つのきっかけになった。A先生は、こんなこともおっしゃっていた。糖尿病の治療には、医者と栄養士と精神科医(または心理療法士)、三位一体で治療に当たるのが理想だと。残念ながら、糖尿病の患者数が爆発的に増えてしまった昨今、中々理想通りには行かないのだけれど。

 U先生の診察を受けながら、自助グループにも通っていた。だが、私は、次第に、疎外感を感じるようになっていた。原因は、私が「吐けない」こと、そして、糖尿病があることだった。さまざまな本を読み、また、先を行く先輩方の経験談から、導き出された、摂食障害者にとっての回復とは、「摂食障害も自分の個性と認めて、共に生きていくこと」だった。しかし、私が過食をすることは、死に直結することだった。その矛盾。ようやく見付けた居場所から遠去かっていくのに比例して、過食の量は増えていった。本当は、(私の)摂食障害の根底にあるものは、もっと根深いものだったと、気付かされるのは、もっと先のことになる。