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体験談 ~Vol.10 紗江さんの手記

塾、高校、そして過食の地獄へ

 退院後、ときおり保健室登校をしていた私に、新たな出会いが訪れた。それが、最初に述べた塾の、N先生である。彼は、私のクラスメイトの家庭教師をしていた。その親御さんからの紹介だった。

 両親は、勉強を教えてもらう以上に、病院に通院する以外は、部屋に引き込もっていた、私の、話し相手としての役割を、彼に求めていた。彼は、確かに、色々な話をしてくれた。高校進学の他に、大検という道があること。彼は、情報薄弱な私たち家族の前に現れた、フランシスコ・ザビエルのような存在だった。けれど、私が、実際に彼に教えを請うのは、それから半年以上先、私が中学を卒業してからのことになる。

 私が、N先生の塾に、(その頃、彼は、家庭教師業を辞めて、塾を開校していた。)通うことに決めたのは、進学の為の学力の向上の為だけでは無く、何よりも、逃げ場所を求めていたのだと思う。その頃、私は、祖母からのプレッシャーを、ひしひしと感じていた。糖尿病が発症して以来、祖母は、度々、「紗江は家にいて、体のことを一番に考えて、家のことを手伝ってくれればいいから」と、言っていた。それは、私にとって、救いでもあったが、同時に、危機感を募らせることにもなった。(私、このままで大丈夫なの?)という思いである。私の決断を、両親は喜び、祖母は、顔を曇らせた。それは、祖父母に育てられ、家事手伝いをしていた私が、図らずも反旗を翻す結果となった。

 塾には、月~金曜日の5日間、午後に通うことになった。午前中に、テキストの予習をし、午後に採点と次回に向けての補修を行う。週に5科目。学校に行かなくなってから、4年間分の勉強を、2年間で詰め込んだ。塾で過ごした2年間は、概ね楽しいものだった。  彼とは、色々なことを話した。金縛りのメカニズムから、宇宙への人類移住計画、「恋愛と結婚は違うのか?」なんていう私の質問に、彼が答えてくれたこともあった(答えは「違う」だった)。彼は理系の大学出身だったが、私は、文系の頭だったらしく、度々行われた模擬試験の結果は、社会が一番良かったりした。その後、私は、当時県内唯一だった、単位制高校に合格した。

 入学前の説明会の時点で、私は、不安に襲われていた。1クラス40名、1学年3クラス、120名。3学年合わせても100名に満たなかった、故郷の学校とは、大違いだった。

 私は、ひどく緊張していた。3つ歳上という事実に引け目を感じ、今度は、失敗してはならない、と、自分に言い聞かせていた。また、同じことをくり返してはならない、と。結果的に、私のそんな思い込みが、空回りして、自分で自分の首を、締める結果になった。高校入学と共に、私は、家を出て、新生活を始めることになった。姉の勤め先と、高校の中間の町にアパートを借り、二人暮らし。分担して家事をやり、私は、朝7時前に家を出て、片道1時間半の距離を、通うことになった。

 結果的に、私が、せっかく合格した高校に、通いきれなかったのは、人に対する恐怖感を、拭い去れなかったことにあるのだと思う。塾での2年間は、マンツーマンであり、同年代の人たちと、接する機会が無かった。加えて授業は、1日7時間あり、1日1科目を、集中して勉強していた、私のやり方が、通用するはずも無かった。先生にもクラスメイトにも恵まれて、高校生活は、概ね楽しかった。だが極度の緊張と、完璧主義が、私を、次第に摩耗させていった。体も、心も。

 きっかけは、パンだった。その日、私は一人で部屋にいて、昼食用のパンを切っていた(炭水化物の計量は、糖尿病患者の基本だ)。卵に野菜にトーストに・・・昼食を準備して、血糖値を測り、インスリンを打つ。いつも通りの食事を終え、後片付けをした後に、ふと、調理台の上のパンが目に入った。気が付くと、袋を開け、パンを食べていた。手で裂き、指で引き千切って、貪り食っていた。我に返った私は、慌てててインスリンを追加し、運動に出掛けた。いつも行くスーパーへ、わざわざ遠回りをして。それでも、血糖値の上昇による、喉の乾きと頭痛は治まらなかった。

 過食は、加速度的に増えていった。暴走する食欲を、理性で止めることは出来なかった。パン、クッキー、チョコレート・・・それまで我慢していた炭水化物を、手当たり次第に詰め込んだ。近所にあるコンビニに、1日3回通い、スーパーやパン屋さんを、何軒も梯子した。炊飯器で米が炊きあがるのを待ちながら、スパゲッティや乾麺をゆでた。単なるやけ喰いと違うのは、凄まじい自己嫌悪がセットになっていることだった。

 食べたことによる満足感を、打消すように口に指を突っ込み、下剤を飲んだ。それに加えて、私の頭の中には、糖尿病を発病した当初の、1週間で5kg落ちた経験があった。折しも、巷では、『低インスリンダイエット』なるものが流行っていた。インスリンは悪者とされ、「インスリンは脂肪を貯め込む」「高血糖は肥満のもと」などという情報が溢れかえった。隠れて過食をしながら、その一方で、私は玄米食になった。勿論、そんなことで、血糖値の急上昇は、止められなかったけど。上手く吐けなかった私は、インスリンの追加打ちを止めた。当然、血糖値は、うなぎ登り。常時、300、400は当たり前。ついには、一日中、血糖値がHiという有様になった。

 当時の私は、命を危険にさらすことよりも、太ることが怖ろしかった。いや、血糖値が高くなることを、贖罪のように考えていた。皆の期待を裏切り、また、同じことをくり返してしまったことに対する謝罪。それから目を背けるように、食異常を起こしてしまったことに対する贖罪。自分を、死んでも当然だと思い込んでしまった為に、過食は、ますますひどくなった。食べ物のことが頭を支配し、片時も離れない。普通に食事を終えた後に、部屋に込もって過食した。血糖値の急上昇による、喉の乾きと吐き気と目眩。たまりかねてインスリンを打ち、床に引っくり返る。緩慢な自殺行為を、日々繰り返していたようなものだった。そんなことが度重なり、7号だった洋服のサイズが11号になった頃、家に戻ることになった。

 糖尿病科の先生方には、当然、そんなことは理解されなかった。完治の無いこの病気では、合併症を防ぐことが、治療の目的である。高血糖を抑える為に、インスリンの単位が増やされたが、打つのは自分である。一向に、症状が改善されない私は、心療内科の受診を勧められた。それで、行きました。けれど、処方された薬―食欲を抑制する薬だったが、全く効かず、先生との相性が合わなかったこともあって、数回で行かなくなってしまった。

 その頃から、うつ状態や、家を飛び出すことが多くなった。過食にお金がかかる上に、人に対する恐怖感が拭い去られていなかった私は、盛り場に行く訳ではなかった。(その頃は、常に母が同行していた)母と買い物、或いは病院に行く。商品を選んだり、会計を待っている時に、頭の中で、何者かがささやく。(ここは、お前のいる場所ではない)(これ以上、皆に迷惑をかけてはならない)と。私は、その声に突き動かされるまま、外に飛び出す。行き先など決めていなかった。バスに乗り、電車に乗り、とにかく遠くへ。その衝動は、30を過ぎる頃まで続き、捕まったその足で、精神科病棟へ、連行されたことも、あった。