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体験談 ~Vol.10 紗江さんの手記

Ⅰ型糖尿病と不登校

 指先にぷつりと浮かんだ赤い雫を、機械に装着したチップに吸い込ませる。5秒後、チチッと小さな音がして、血糖値が画面に表示される。その値を見て、インスリン注射の単位数を決めるのだ。1日、5回。昨年までは、4回(超速効型を食事毎に3回、持続型を就寝前に1回)だったが、持続型を、日中の血糖値を安定させる為に、朝晩2回に分けて打つことになったのだ。

 さて、今から17年前、摂食障害にかかった当初、私の血糖測定器は、常にHiを表示していた。血糖値が650を越えると、Hiと表示される。つまり、18歳から数年間、私は、常時、血糖値が650以上あった、ということになる。私は、12歳、中学1年生の時に、Ⅰ型糖尿病と診断された。始まりは、風邪だった。37度台の熱が、ぐずぐずと2週間ほど続き、その内に異常な喉の乾きと、全身の気怠さが始まった。

 飲んでも飲んでも、乾きは癒えず、唾液で舌が口の中にはり付き、枕元に置いたペットボトルの水を飲みながら、夜中に何度もトイレに走った。そうこうしている間に、今度は体重が減り始めた。1日約1kg。1週間で5kg落ち、吐き気と頭痛で運び込まれた掛かり付けの医院で、私は糖尿病と診断された。

 この医院は、糖尿病の専門医ではなく、過齢や肥満による、いわゆるⅡ型の糖尿病と、同じ治療法を指示された。食事と運動療法である。しかし、さらに体重が5kg落ち、血糖値が安定しなかったこともあって、別の病院を紹介された。二軒目の病院、そこで、私は、初めてインスリンの注射を指示された。

 その頃、私は、登校拒否の真最中だった。

 糖尿病の発病は、私にとって、重荷であり、同時に救いでもあった。というのも、私が学校に行かなくなって以来、我が家は嵐の真只中にあったからである。何とかして、学校に行かせようとする家族と、何としてでも、学校に引っ張り出そうとする学校側。担任の先生や、友人たちが、度々家を訪れてくれたが、私は、時々保健室登校をする以外、登校することは出来なかった。昨日まで笑顔でいたクラスメイトが、今日には背中を向けられる驚きと恐怖感。何よりも辛く、悲しかったのは、私の気持ちを受け止めてくれる、家族がいなかったことだった。「その程度のこと、我慢出来ないでどうするの」「学校に行かないで、将来どうするつもりなの」、果ては、「学校に行かないなら、家から出て行け」「そんな子供に育てたつもりはない」「学校に行くことは義務なんだ。義務違反で警察に捕まったら、それはお前のせいだ」・・・。

 今にして思えば、何とかして、学校に行かせようとした、家族の気持ちも理解出来る。20年近い時間が経って、母と、当時のことを振り返った時、こう言われた。家を居心地の悪い場所にして、何とか学校に向かわせようとしたのだ、と。毎日毎日、怒り飛ばす父と、嘆き悲しんだ末に、家出までした祖母。学校と家との間に立たせられて、私を連れて、自殺することすら考えたという母。ひたすら無関心を装う姉。私は一人だった。家にも学校にも居場所を見付けられないまま、膝を抱えて、縮こまっているしか無かった私。

 当時の母の年齢を超え、母の立場を省みることが出来るようになった今なら、理解することが出来る。けれど、当時の家族に訴えかけたいことがある。自宅を居心地の悪い場所にする、その手法が通じるのは、家が安心出来る場所だと、体得出来ている人間だけなのだよ、と。

 私にとって、病気が救いになったのは、家族にとっても学校側にとっても、理由が出来たからだった。「病気があるから」家にこもっていても、当然なのだ、と。

 転院した病院先でも、血糖値が中々安定しなかった私に、親しく言葉を交わすようになった栄養師の女性が、転院することを提案してくれた。「ここの病院はⅡ型の患者さんには対応出来るけど・・・」、Ⅰ型の患者は、私以外、診ていないというのだ。「日本国内でも有数の糖尿病の専門科が、ある病院があるから、行ってみたら」と。それが、現在の私が掛かり付けの病院である、K市のO総合病院である。

 「入院しなきゃ駄目だね、これは」検査結果を見て、その先生は言った。彼は、驚きの余り口をきけずにいる、私に、診察室のベッドに横になることを指示し、足の付け根の動脈に注射針を刺した。 「1日2回?駄目駄目、それじゃ。どうしても帰りたいって言うんなら、これを4回に分けて打ちなさい。でも、ベッドも空いているし、入院することを勧めるね。僕は。」

 私に選択肢は無かった。着のみ着のまま、入院病棟に放り込まれた私は、それまでとはまったく異なる治療法を指示された。1日4回の血糖測定(入院中には、10回採血、測定されたこともあった)と、インスリン注射。カロリー計算と運動療法。2週間の教育入院の間に、治療と講義を受けた私は、それらの方法を叩き込まれた。15歳の時だった。

 Ⅰ型の糖尿病と、Ⅱ型の糖尿病の治療法は、基本的に同じである。だが、患者の絶対数が違っていた。入院した時、周囲は、皆大人ばかりで、一人10代半ばの私に、好奇心と奇異の目が集まった。それが何より辛かった。実は、前の病院で、Ⅰ型糖尿病患者を対象にした、サマーキャンプの誘いがあった。けれど、私は、それを断っていた。同年代の子どもたちに対する、恐怖心が、拭い去れなかったのである。